laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

人ごみから逃れて2013京滋紅葉狩

2013-11-28 | voyage

南座見物ついでの紅葉狩り初日は一人なので琵琶湖方面へ。
平日とはいえこんなにきれいな三井寺にはほとんど人がいない。
なぜに人は京都に行くのだろう。
紅葉じゃなくて人ごみが好きなんだろうか……

 

今回けっこうあちこち見ました。
1日目上記のように三井寺☆☆☆☆★・石山寺☆☆☆☆
2日目 友人と合流。友人の希望で嵐山方面へw懸念したほどの人手ではなく、宝筐院☆☆☆☆・清涼寺☆☆☆☆☆など。
ご機嫌だったのだけれど渡月橋付近は死の行軍となり、どっと疲れた


3日目 妙心寺・退蔵院に早朝拝観。朝がゆを数十年ぶりに食す。大根うま~~~
のあと、宇治方面へ。混雑をさけて三室戸寺☆☆☆☆★へ。ここもよかった。
4日目 友人が帰り、一人で午前中蓮華寺☆☆★へ。穴場だったはずなのに混雑していて逃げ帰るw
夕方から南座夜の部。5本立て終演22時に疲労困憊。伏見のアパートに帰ったら23時過ぎた。
5日目 南座昼の部。途中で飽きて祇園ぷらぷら。(二人椀久半分パス)。

こんな感じで、紅葉ミシュラン的には紅葉の状態と人出の総合判断です。石山寺と三室戸寺は花の寺として有名なので、紅葉は人出がましなのかも。とくに三室戸寺はつつじの季節にまた行って見たいと思いました。

大好きなコ○スのマスターがなくなった(ご家族で営業は続けられるそうです。味は落ちてなかった)のを知ったのがショックだったけれど、数十年ぶりで純精進料理(阿じろ)を食して、結構感動したり、食的にも充実していました。
やっぱりごはんは一人より二人、だね。いろんな意味で。

 


おわりのはじまり。あるいは何気ない日常。

2013-11-27 | monologue

昨日、26日は歌舞伎座での梅津流舞踊会で勘九郎が君が代松竹梅を踊ってたんだけど。
東京でやる勘九郎の舞台、特に踊りで行かなかったのはここ数年で初めてのような気がする。

ただ券のお誘いすらあったのになぜ行かなかったのか。行く気にならなかったのか。

そして今日。

明治座での花形舞踊、チケットを取っていたのになぜか行く気になれず流してしまった・・・

うーむ。

今後私の勘九郎愛w、歌舞伎愛はどうなっていくのか。とりあえず記録として書いておくことにする。


なぜ死ぬ?なぜ産む?なぜ産みたい?

2013-11-26 | cinema

ある愛へと続く旅見てきました。やたら説明的なタイトルのくせに中身をそんなに上手に表してないと思った。。画像はイタリアでのポスター。この世にやってきた?生まれでた?うん、こっちのほうがまだいいかなあ。むしろこのブログのタイトルがいいんじゃない?www

の感想はいずれまたあらためて。

→からの~www

四泊五日の京都紅葉狩三昧&南座二日目&三日目観劇を兼ねて遊びほうけてまいりました。

ので、なぜ死ぬ?なぜ産む?なぜ産みたい?関係についてはまったく忘却のかなた、であります。
(感想は12月3日に書いております)

いちばん覚えてるのはやはりいちばん興味のあったジェーンバーキン(カメオに近いちょい役)ですね。
ちゃんとインテリっぽく見えるのが、若きころのバーキンを知ってる人間からすれば意外だけどwもはや素顔はこっちに近いんだろうな。
英語がなまってるのに笑った。フランス語が英語なまりなのが可愛いとずっと言われていたのに、今や母語がフランス語なまりになっちゃってるのね。数十年住んでもフランス語が下手で、日本語は綺麗な岸恵子はある意味凄いのかもw

…本筋に関係ないですね、まったくw

物語としては重くて暗い旧ユーゴスラビア内戦をめぐるイタリア人とアメリカ人カップル(サラエボで知り合った)が長い年月を経て、ボ・ヘ(長いので省略)でおきた真実へと向かっていく・・・というものですが。
その真実がけっこう重くてねぇ・・・
てかそもそも主人公カップル、とくに女性(ペネロペクルスが見事に老けていて、英語のなまりもほ矯正されて、まじでソフィアローレン目指してるなこいつ、と思った)がどうしてここまで子供を欲しがるのか、のテーマに直結する部分がどうしても理解できなかったのよ。
出会い→新婚の時代の部分で瞬間睡眠に陥っていたから余計なのかもしれないけれど、後で補ったストーリー(もともと流産しやすいからだでニ度早産を繰り返し云々。。。)を加えても、だったら子供のいない人生、という選択もあるんじゃ?と思うわけで。
歌舞伎役者の妻wwwとかならともかく、旦那も「子供を作らない人生でいい」と言ってるし、わざわざ異国に渡って、代理母を使ってまで子供を作りたがる動機がわからん。
代理母の真実・・・これが重いわけなんだけどさ。
(ネタバレしてますんで読みたくない人はとばしてね)

結局夫とはセックスしなかったのにその直後、セルビア人?クロアチア人?兵士に集団レイプされ、そこで妊娠してしまう。夫はそれを目撃し・・結果的にその子を自分たちの子として認めてしまう。
内戦から妻と生まれた子供を避難させたあとも自分は残りそして・・・

結局夫は自責の念?絶望?わけのわからない衝動?で自殺してしまうわけだけど。

イタリアからやってくるカップル、代理母になるセルビア人の女、イタリア女をガイドしたことから終生の友(片思い?)になるセルビア人男の四人の主人公すべてに、どうにも共感できない。どの人にもなんでそうなるの?なんで他の生き方ができないの?と思ってしまう感じでした。
もちろん登場人物に共感できなくても感動できる映画はたくさんあるのだけれど、こういう、現実に即した重いテーマの場合、違和感が先に立ってしまうと、画面と距離感が大きすぎて、かえってただただ重苦しさだけが残ってしまう、そういう気がしました。

タイトルに戻りますが。
なぜ死ぬ?→夫
なぜ産む→代理母
なぜ産みたい?→ヒロイン
そしてなぜ結婚する→ガイド
を付け加えて、誰もが、生きていくことに関する物凄く重要なポイントの行動が理解できない、という
稀有な映画だったのでした。ははは。

そして映画をみるたびに感じる「自分の現代史に、現代世界の自分たちをとりまいている環境」に対しての問題意識の低さを改めて思い知らされて、愕然となってしまうわけでした・・・


セルビア人にしか見えないペネロペの息子役の子は、なんと監督と原作者の実子だとか。
なるほど、(いろいろな意味)・・・

 


小バケ?

2013-11-25 | spectacles

大バケとはいかなかったけれど、ラストがベストでよかった!の

さらば八月の大地千龝樂見てきました。

山田監督、ここ見てる?www

 

と思いたくなるほど、前回の観劇での提案を出来る限り実現して下さってありがとう!w

幕切れから美雨の存在が徹底的に消えてました・・・可哀想なほどに。
完全に三人の男の国境を超えた友情にスポットが当てられていて。
こっちのほうがずっとテーマがすっきりくっきりしてよかったと思います。
できればオーラスぎりぎりまで三人のシーンでよかったんじゃ?
勘九郎が台詞かアドリブかしらないけど「さっきアレだけ三人で感動して盛り上がったのになぜ戻ってきた?」wみたいなことを冗談めかして言ってたように、三人でのわかれが素敵だっただけに、またまた翼だけが戻ってきての、二人のシーンは余計だったかな。
ま、ジャニーズの人気者さんと主演との二人の場面はいろいろな事情から必要だったのでしょうけれど、絶対冗漫なので、ここを見てる山田監督w、再演があったらあそこもカットでいいんじゃないでしょうか。
いや、再演しなくて全然かまわないんですがw

ほかにもちっちゃいところでいろいろ、カントクなのか出演者なのか、両方だと思いますけれど、工夫してるところが加わっていて、テンポもかなりよくなっていて、群衆シーンも細かく見てると本当にそれぞれが撮影所の一員みたいで。
いろいろ問題はあった作品だけど、このカンパニーはよいカンパニーだったのだな、と素直に思える雰囲気でした。

一階前方席だったのですが回りはジャニヲタさんにうずめられていたようで、ちょっと違和感を覚えたのが、あの方たち、ご贔屓の役者さんしか見ないのねw
芝居が上手で進行していても、下手にご贔屓さんがいるとそっちに目を釘付け。なので、芝居を見ようとするといっせいにこっちを向いてるジャニヲタさんたちと目があって気まずいw
そんなことがニ度、三度。
役者の出入りに拍手、っていうのは歌舞伎とジャニーズだけのしきたりなのかな、と思うほど丁寧に拍手なさってましたが。
正直あそこまで徹底してご贔屓しか見ないと、芝居の筋わかるかしら?と思ってしまったw

そして楽だけ超満員ってのもなんだかなあ・・・
噂によればその前日は一階もすかすかだったとか。楽に見たいのはわかるけど、ジャニーズさんや宝塚さんたちはやっぱり楽が好きなのね、(私もなので、人のことはいえませんがこの点はw)と思っちゃった。

とにかく、まあ最後の最後まで良くなる努力を続けていたカンパニー全員には感謝!
山田監督は舞台に出てきたけれど某脚本家は出てこなかった。責任感じてるんでしょうかwww

 


円熟の秀才&天才少年に酔う

2013-11-21 | kabuki a Tokio

歌舞伎座仮名手本忠臣蔵通し後半(夜の部)見てきました。

今月の大歌舞伎、何をみても「さびしい」が先に立ってしまってなんだかなあ、だったのですが、大歌舞伎最後でようやく満足、というか、楽しめました。

五、六段目は正直またまた「さびしい」をタイトルにつけなくちゃいかんなあ、という感想だったのですけれどね。
音羽屋の勘平、やってることに間違いはないんでしょうが、どうにもあっさりしてる。あっさりしてるのが音羽屋の魅力だし、本来の勘平って早とちりさんだし、意外とこういう風にあっさり死んでいくのが本当かも、などと頭では理解するのですが、個人的に中村屋、とくに長男のほうの汗と涙と唾と涎と埃にまみれた事件現場的死にっぷりに洗脳されちゃってるので、どうにも物足りない、と思ってしまう。

時蔵のおかる、いい意味で目立たない。この段のおかるはあくまで脇役なので、これでいいんだと思う。
東蔵のおかやは悪い意味で達者すぎかな。巧い役者だけど時として巧すぎる。吉之丞や田之助にはそれがなかった。
あと、いかんともしがたいことだが、丸々としていて視覚的に哀れさが出ないなあw
定九郎の松緑、どうなの?と思っていたけれど美脚と怪しい雰囲気は良く出ていたと思う。死に際の所作はちょっとわざとらしくて笑ってしまったけれど、だんだんおとっさんに似てきたなとも。
祇園の女将と女衒コンビ、別に秀太郎と松之助ほどこてこての関西の必要はないと思うのだけれど、特に團蔵の源六はいくらなんでもちゃきちゃきの江戸っこすぎないか?

…三階だったせいか周囲はほぼほぼ寝静まって客席もさびしかったので、ああまたやっちまったか、状態だったのですが。

七段目、これがなんと目覚しくよかった。!!!

何がいいって、とにかく梅玉の平右衛門!!!
例によってまったく予習せずに来てるので、梅玉が「ねい、ねい・・・」言いながら出てきたときには呆然としましたよ。ええええええええええええええええ貴公子の奴さんかい!とね。
いくら達者で代役キングといわれている梅玉さんでも無理でしょ、とね。

いやあ。びっくりしました。
すっごくいいのよ。
最初こそこちらに先入観があっていまいち品がありすぎじゃないの?とか思ってしまったのですが、二度目の出以降は、もうすんばらしいとしかいいようがない。
とくに芝雀のおかるとの兄妹の掛け合いは、今までみたどの七段目より愛情と愛嬌のほとばしる、素晴らしいものだったと思う。
正直人気コンビのじゃらじゃらした兄妹というより恋人に見えちゃう掛け合いにはどうにも違和感があったので、個人的には「七段目はこれだよ!これでなきゃ!」と深く納得しました。
中村座での中村屋兄弟のもよかったけど、いかんせんまだ若すぎた。兄弟にはぜひこっちを目指していただきたい。某じゃらじゃらコンビではなくて。
というか七段目を勘九郎は今月見に来るべき。勘九郎の目指すべき平右衛門はここにある!
個人的に福助のおかるが見られなくて残念ではあったのだけれど、兄妹の掛け合いの場面に関して言えばきっと福助がおかるのときよりずっとよかったのじゃないか、と推察。
福助おかるの真髄はむしろ前半の由良之助との掛け合い、いやそれ以前の出の場面のなんともいえないけだるさだと思ってるので。

もうひとつの大満足ポイントは、鷹之資。
いやあこの子すごいわ。台詞はまだまだだし、外見は子供残しの太めなんだけど。
身にまとった空気感が・・・なんというか・・・10代ではない。
いやそれどころか、その前日に国立劇場で見た山城屋の「なんでもないてぶら感」に近いものを感じてしまったのよ。
一生懸命演じようとか所作に気をつけようとか(いや本人は思ってるかもしれないけど)そういう気張りが一切感じられない、ただただ自然にそこに立っていて、ただただそこに力弥がいる感じ。
なんなんだろうこの自然っぷりは。
絶対に絶対に大器だと思うので、なんとか上手に育てていただきたい。播磨屋はこの子を一人前に育てることが今後の残された課題だと思う。

芝梅鷹のすばらしい芝居と存在を見せてもらっただけで十二分に満足したのですが、もちろん七段目の吉右衛門はすばらしいし(先月とかと比べると全体的に省力運転?まあいいよねw)、十一段目では萬ちゃん種ちゃんも見られたし、ひさびさに充実した歌舞伎鑑賞でした。

最後の最後の佳次郎の「えい!」(首を落とす掛け声)で腰砕けになったのと、梅蔵さんが師直にしてはちょっとメタボすぎません?と思ったのはまあご愛嬌。


さびしい・疲れた・当代一

2013-11-20 | kabuki a Tokio

伊賀越道中双六通し?@国立劇場見てきました。

通しにあえて?をつけたのは、結局発端と大詰めと沼津だけだったから。それでも四時間超。話の筋が通るわけでもなく、ただ疲労しただけかも、という印象。
国立の存在意義である、通し上演と復活狂言という二本柱、最近どちらも有名無実になっちゃってるような。通しを見たければ文楽に行くからいいよ、とついついこういう中途半端な半通しを見るたびに思っちゃいます。

いや、国立さんは営業的にはがんばってるとは思います。先月の文楽の伊賀越・・・と両方見たらチケット割引、筋書割引、イヤホンガイド割引、そして記念品プレゼント、となかなかのキャンペーン。チケットは割引対象外の安いランクだったし、イヤホンガイドは借りないので、筋書と記念品だけありがたく。筋書は800円のところが500円だから相当太っ腹!歌舞伎座もせめて1000円にならんか?

開演前には入り口でお出迎え、幕間には一階から三階まで練り歩き、愛嬌を振りまき写メのモデルになり・・・と涙ぐましい愛嬌を振りまくくろこちゃん(可愛いよね!)といい、本当にがんばってる。

…これだけ営業努力してるのに、そして人間国宝の至芸がみられるというのに、客席は・・・ここまで入りが悪いのは本当にひさしぶり、という閑古鳥状態。
一階が6割?2-3階を見上げたら2割入ってるかどうかという悲惨な状況。

芝居は・・・発端はともかく通しのなかでも重要かつ面白いはずの政右衛門屋敷(饅頭娘)の盛り上がらなさはなんなんだろう。客が盛り上がらないから役者が乗らないのか、役者がいまいちだからただでさえ少ない客が全員寝静まってしまうのか。

先月文楽で見たときには退屈してしまったのだけれど、今回は割りと面白く見ただけになんだかもったいないなあ、と。これ、技術はともかく政右衛門が海老蔵だったら客は寝ないよなあ、橋之助って顔もいいし芝居も悪くないのになんで人気ないかなあ・・・などと考えながら見ていました。ま、こういう余計な考えを浮かばせちゃうところが橋之助の橋之助たる由縁なのかもしれません。どっか散漫なんだよなあ。
孝太郎は最近絶好調だと思ってたんだけどお谷というある種現代では理解しにくいキャラクターのせいか、本人の柄にあってないせいか、いまいちだったなあ。
沼津は親子三人でやるのが一種の売りになってるので仕方ないんだけど、お米孝太郎、お谷扇雀のほうが役としてはなじんだんじゃないかしら。
沼津での扇雀を見てますますその感を強くしたのですが。

で、客のほとんどがお目当ての国宝様。
役者の出でこの日初めて手が来たよw出入りの拍手が好きじゃない私ですが、なんかほっとした。あ、みんな起きてるのねって感じw
国宝様特注wのなだらかなスロープ上になった階段を降りての客席お散歩はこの日いちばん、つか唯一の盛り上がりを見せてwここの場面の翫雀はよかったな。アドリブ混ぜて、父親の足取りに合わせつつ、ちゃんと自分のほうが年寄りに見える足取りで。

親子三人での沼津っていうのは中村屋でも見てますが、ここんちは何が凄いって、父親が息子の役をやっちゃうところ。すなわち息子が父親の役なんですがw
国宝様の十兵衛は、これはもう、そりゃコレだけ見とけばよろしい、つーくらいに素晴らしいです。
よく勘三郎が「舞台の上でなにもしないでそのままで役になってるような役者になりたい。最近ようやくそういう感じがつかめてきた」という発言をしていて、そんなことありえんやろ、と思ってたのですが。
この日の十兵衛はまさにそんな感じ。
なんつか、ヘンな言い回しですが

てぶら

なんですわ。

余計なもの持ってこない、余計なもの身につけてない。
何するわけでもない。もちろん台詞はしゃべってるんだけど、声は小さくて全部聞き取れるわけでもない。(ゆえに初めて見る、筋を知らない客にはお薦めできません)。

だけどそこにいるのは間違いなく十兵衛なんですなあ、これが凄い。とにかく見てごらんというくらいに凄い。
昨今のように早世したり若くて大病したりする人が続いている現状でこれを見ると、もうまさに「有り」「難い」としかいいようがない。
どんなに天才でも、どんなに綺麗な役者でもこの味だけは年輪を重ねないと得られないものだもんな・・・勘三郎がここまで来たらすごかっただろうな・・・(生前好きじゃなかったくせに死んじゃったら惜しい惜しいいってすんませんw)。

この十兵衛を見られただけでよしとすべきなのかもしれませんが、沼津という優れた場面の芝居全体としては・・・不満だったなあ。
まあ現存の役者なら誰でも無理だと思うんだけど、翫雀の平作は、藤十郎の十兵衛を受け切れてない。がんばってはいるんだけど、滑稽味ひょうきん味以外の、平作の心の描写は残念ながらほとんど出来てないので。
沼津というのは、平作の物語だ、と思っている私にとっては酷く物足りない段になってしまった。
千本松原で一滴も涙が出なかったのは初めて。
お米の扇雀はその段階にすら達してない。まるで七之助並(失礼w)に浄瑠璃に乗れてなくて、クドキの場面など体が完全に男になっちゃってて、思わず笑ってしまった。なんだあれ。

息子相手に家の芸をやる、というのは確かに伝承芸の世界で重要なのかもしれないし、まあ勉強させてやってるってことなんだろう。それに現存してる平作役者でこれを受けきれる役者は我當以外にいないんだが、体のことを考えるともう無理そうだし。
翫雀が急成長する奇跡がない限り、藤十郎十兵衛が本領を発揮する舞台はもう見られないのかもしれないなあ、などとまたまたさびしくなってみたり。

ああ、最近歌舞伎みるたびにさびしくなっちゃうなあ・・・

気を取り直して他の役者についても。
今回いちばんよかった!のが彦三郎。
一時、足元も台詞もおぼつかない感じでかなり心配していたのだけれど、今回は足もしっかりしていたし、何より口跡がはっきりしてきて、声も通って、お、回復した?って感じ。
こういう役者がゲンキになってどんどんいい芝居を見せてくれることがどれだけ若手にとって勉強になるか、と思うと本当に彦三郎よかった!と嬉しくなった。
亀鶴はいつもの「役不足」状態。誤用じゃなく本当の役不足w
こういう小さい役ばかりやってるうちにだんだん小さい役が似合う役者になってしまうのが不安。そういう役者、けっこうみてきてるからなあ・・・
虎之介は、この役をやらせるのが無理。扇雀が命をかけて守る夫には見えないwま、並ぶ場面はないからいいんだけどさ。
それこそ力弥あたりだったら綺麗にこなせそうなのに。ま、無理な役を必死でがんばる孫を叱咤激励?あるいは目を細めてみる?国宝様のじいちゃんぶりを楽しむのもこれまた歌舞伎の醍醐味、と無理やり思い込んでみるw

冒頭にこれじゃ通しじゃないじゃん、といいましたが、半分くらいでも十分、と思うくらいに主筋や父親の敵討ちのために無理する人が続出。
本来この話の主人公である政右衛門なんて、義理の父親(逢ったこともない!)の仇を討つために

1.女房を離縁
2.親類に自害強要
3.失職
4.実子(嬰児)を殺害

…まだあったかも。とにかくなんでそこまで?と思ってしまうわけで。
平作はもちろん、女子供弱いもの何人がたったひとつの敵討ちのために人生を台無しにされたことか。
うーん。こういう典型的敵討ちものって、いくら現代の道徳観と切り離して味わおうと思ってもここまで極端だと引いてしまうのも事実。
敵討ちのパロディでありアンチテーゼである研辰の討たれ(野田版)がなんだかまた見たくなってしまったのだった。わ、気づいたらまた勘三郎惜しんでるしわたしwww


さびしい安定感

2013-11-15 | kabuki a Tokio

歌舞伎座忠臣蔵通し前半昼の部見てきました。

またまた数日放置だぜ!やる気なさすぎだぜ!
細部はほとんど忘れたんだぜ!
それでも残ってる強い印象だけをつづります。

 

タイトルの「さびしい」はちょっと言いすぎかもしれません。全体的に安定して水準は高い芝居でしたから。
ただ、私のなかで、水準はともかく、興奮と感動という意味では数年前の中村座における完全通しも含めた、ダブル、トリプル、いや、クワドキャストのあれを超えるものはおそらく近い将来出てこないので。

現存の役者のなかではいい座組みで、それぞれがそれぞれの任を淡々とこなしていた、という印象は否めない。

個々の役者ではやはり貫禄の菊五郎。まだ夜の部はみていないのだけれど、おそらく勘平より判官のほうがいいんじゃないかな?品とすっきりした容姿(なぜかこの日は特にきりりと綺麗だった。まだまだやればできるやんおやぢさま!)がまさに当代一。本来この一役で十分なのに、夜の部で勘平をやらなければならない現状が歌舞伎界の現状をそのまま表しているかも。
それぞれの幕でいちばん印象に残ったのがなんということでしょうw
道行だったのでした。吉野山と違って派手な動きがあるわけでもなく、いわゆる綺麗な花形が並んでいるわけでもなく、踊りの名手ともいえない(失礼)二人だったのに、なぜかとても面白かった。
時蔵が、びっくりするくらいうきうきといわゆる「おかる」っぽい動きと表情で、この人には悲劇なんて何も関係なくて単に恋しい人と道行きできて喜んでるだけなんだなあという感じがとてもいい。
対する梅玉は、哀愁というかめんどくさそうというかw、もともと持っている味でもあるのだけれど、勘平の現状の、自責の念、無念、そこからくる自暴自棄みたいな雰囲気がこれまたぴったりで。
綺麗綺麗な二人だとそれだけで満足しちゃうし、踊りの名手だと踊りに気を取られてしまいがちなのだけれど、あえてこの二人だったからこそ、勘平とおかるの食い違った感情が交錯する、実は本来のこの場にぴったりの雰囲気を感じ取れたのだと思う。いやーやっぱり役者とこっちのコンディションで感想がいろいろ変わるから、歌舞伎は面白いわ。

松の廊下の場で、判官の脇差の鍔と柄がすっぽり外れるというハプニングあり。落ちた柄を左團次が何気なく後ろに押しやり、菊五郎は柄の替わりに懐紙で刀を握り・・・の段取りがあまりに自然で、きっと会場の半分くらいは気づかなかったのではと思わせるのはさすがだけど、懐紙で刀って・・・なんかその後の切腹を暗示させてるみたいで、いいのか、と思ったり、ひょっとしてこれが新しい型になるのか、とわくわくしたり(ならないw)。柄なしでは無理だったのか、最後の刀投げがなかったのもちょい残念でした。

若手では萬太郎の所作の美しさ、梅枝の抜群の台詞述と、時蔵息子が目立った。時蔵も道行でよかったし、この日は時蔵一家の日、だったかな。

夜の部のおかる、福助が休演とのことでとても心配。福助として最後のおかるを見損ねたのが残念無念。
そして三津之助さんの急逝・・・といつまでショックなことが続くのか。歌舞伎界。ちゃんとおはらいしてるのか。


away,away,far away

2013-11-13 | spectacles

青木さん家の奥さん@神保町花月見てきました。神保町に花月があるのをこの芝居で初めて知ったwの感想はいずれ、ね。→ばたばたしてるうちに二度目にして最後の観劇日を迎えてしまったので、そのうちに二回分まとめて書く事にします。ま、面白くなくはなかったんだけどね♪(11月17日記)

→からの~www

 

結局二度目はパスしてしまいました。野暮用が入ったこともあったんだけど、やりくりすれば行けない時間帯ではなかったんだよね・・・。
エチュード芝居なんだから一度目とは違ったものが見られるかもよ!と自分を鼓舞してみたんだが、やっぱりニ度見たい!とはあまり思えなかったの。最前列の空席は私です、ごめんなさい。

で、一度しか見てない感想は・・・ニ度見たくない、というほどつまらなくはなかったのよ。
ナンセンスコメディとしてそこそこ面白かったし、即興部分はまあ吉本のお笑いさんが達者なのを確認して、段ちゃんが何もできない、あるいはしない状況を楽しむしかなかったかなあ、と。
一番の謎は段ちゃんがいまさらこういう芝居(吉本という舞台、エチュード主体の状況劇、そしてお笑い)に挑戦するつもりになった背景なんですが。まあ恐らく何も考えてないw楽しそうだ、ヒマだし、身体も回復したし、みたいな感じなんだとは思うけど。
本人「勉強になりました」と言ってるんだけど、ここで勉強したことが歌舞伎に役に立つかといわれるとかなり???だったりする。もちろん無駄な経験はない、といってしまえばそれまでなんだが。

個人的に唯一?の見ものだったのが、歌舞伎のさわりを演じるところ。初日は弁天小僧だったのだけれど、本人はご満悦でやってるし、そこの部分だけは確かにかっこよかったんだけど、芝居のなかで浮いていてw周りもどう扱っていいのかわかってなかったのが惜しい。
日替わりで名場面やるっていってたのでそこだけは見たかった。
本人「歌舞伎座でやりたいんですよ、本当は」って今の現状考えるとめちゃ前向きな発言してたのが救いというか。前向きすぎるやん、というか。そういうところが御大将に嫌われちゃうんじゃないの?とか思ったり。

ん。ま二度目見たかったような気もしてきましたが、いろいろ邪念が浮かんで疲れるんで、見なくてよかったかも、ということで。

まったく知らないコンビ二組の吉本さんたち、ほんま達者ですが、達者以上の凄い魅力を漂わせていた人もいなかったような。これ、さんまとかが出てきたら段ちゃんも上手にいじってもらえたんだろうにな・・・はい、ファンもめっちゃ前向き発言ですんませんw

 


一回1300円!

2013-11-12 | spectacles

さらば八月の大地、三回目見てきました。何度見るんだ。
初日と楽を一階で、真ん中に三階で一回、のつもりだったのだけど、半額チケットぽちってみたらとちりなんか出てきやがったもので、前回の二度目を増やしたわけで、計四回。観劇欲だだ下がり中にしたら異例の回数。

だからといって気に入ってるかというとそうではないのが辛いところw

三回見ての結論は

バランスが悪い。
まず全体によくも悪くも山田洋次臭。それは当然といえば当然なのだけれど、映画では生きるかもしれない、細部にわたる演出のこだわりが、劇場、とくに演舞場のような大きな箱では生きてこないということ。
私は一階かぶりつきで二度も見てるから、脳内補填できるけれど、三階から見てみて、これじゃ三階には伝わらないな、と思う小道具使い、表情の小ささ、花道の使い方など、いろいろ分かった。
主義主張をするならもっと辛口に作りこむ手もあったとおもうのだけれど、結局甘い結末に無理やり持っていく商業演劇との齟齬も感じてしまった。
リンフォンやワンの今後ってきっと今までより辛いものになるんだよね。日本の満州帝国に与した人間が共産党政権下で無事に生きていけるとは思えない。
そういう匂いをまったく感じさせずに希望だけを見せて終わる・・・あの題材を採っておいてそれはどうなんだろう?
あと、壇れいが、綺麗ではあるんだけれど役者陣でやはり圧倒的に力不足。
美雨とリンフォンの恋愛エピソードはいらなかったんじゃないかな?そこをばっさりカットして(主演女優と理事長の関係に憤慨するリンフォン、だけで十分かと)、すっきり日中親善w友情と映画の物語、にしてしまえばあと20分くらいは縮められて、あの結末でもまあ納得いったんじゃなかろうか。

三階から見てよかったのは一幕目の撮影現場での勘九郎の動き。
俯瞰で見ると全景のなかで実に細かく助監督リンフォンが動き回り、あちこちに指示をとばしているのがよく見えて、映画撮影のなかで監督以上に彼が重要な立場であることが凄くよく理解できた。

あと、俯瞰だったからこそ気づいたのが後半結婚式のシーンで、中国人グループで笑ったり語ったりしてるとき、余興?みたいに勘九郎が扇をいじってるところ。
扇返し(ってんですかい?要返しではなくて、くるっと一回転させて取る、弥生ちゃんなんかがやってるやつ)を二回!
二度とも鮮やかに成功させていて。
コンナ芝居(失礼)しながらもお稽古してるのねwww
今回三階のB席だったので2600円。
扇返し二回見られたから、一回1300円。十分だ。
前半の女形芝居wも含めて、うん、元は取りました。ははは。はは。は。


二度目まとめて

2013-11-09 | spectacles

今週は二度目シリーズが続いて、もう感想はパスしようかと思ってたのですが、一応「観たものメモ」としての機能を果たさせるために、書いておきます。ほぼほぼ一度目と感想変わってないってことで、詠むほうはパスしたほうがいいかも。

二度目その1.さらば八月の大地(6日観劇)
半額チケットにてw

初日から間もないので演出も台詞も何も変わっていず・・・やはり後半だれる。少し寝てしまった。
唯一気づいた顕著な変化がいてうの大森が持っている「赤紙」。初日は真っ赤で、あれ?赤紙ってピンクだたよな?分かりやすくするために赤にしたのかな?と思ったのだけれど、6日は史実に忠実な?ピンクに変更。誰かクレームつけたのかしら?細部にこだわる山田演出、映画監督ならではなのかもしれないけど、もう少し大きいところにこだわって欲しいようなw

 

二度目その2.ムードインディゴ(8日観賞)
正確には二度目、ではなく以前に見たディレクターズカット版の短縮版、ラブストーリー中心の編集で。
2時間10分を1時間半に編集しているのだけれど、完全にカットしたエピソードはほぼなしで、ちょっとずつつまんだ、という感じ。たくさんつままれてたのがジャンソールパルトル&シック関連と、コランの転職エピかな。
コランとニコラの従妹のアリーズ?ちゃんが寝ちゃうシーンがカット(スチールインサートのみ)されてたのは純愛ストーリーには邪魔だと思ったからかしら?いかにもあそこらへんがフランスっぽくて好きだったんだけど。短縮版の編集は誰がしたのかちょっと興味深い。
個人的には無駄なストーリーやディテイルがたくさん詰まっていたロングヴァージョンのほうが好きだった。
ラブストーリー一直線!って感じでやられると、そもそものストーリーが王道病気物wなだけに、おしゃれなはずのディテイルがなんだか邪魔というか、気取りすぎ?で半端に感じられちゃうかんじ。
むしろ瑣末にこだわったサブカルムービーwのなかにこっそり王道ラブストーリーがはいってる感じのほうが、自然に受け入れられると思った。
ディレクターズカット版、東京では二回限りと銘打っていたから必死で見にいったのに、好評につき拡大、って平日の昼間でも見られるようになってた・・・なんかだまされたような。長ネギを九条ネギと偽られたのと同じくらいにちょっとプンプンしてしまった。

今週は明治座夜の部のただ券もいただけるところだったのですが、ただでもなんだか見る気が起きず(獅童さん松也さんおもだかさんごめんなさい)スルーしてしまったり、うーむ。観劇欲は着実にw落ちつつありますなあ。

 


微妙に惜しい一日その2 尻すぼみの良心作?

2013-11-01 | spectacles

歌舞伎に続いては山田洋次の新作、というよりは勘ちゃんの主演舞台 さらば八月の大地に。

前半、とてもよかったのですよ。
さすが山田洋次演出と思わせる、映画のような美しい舞台に、ユーモアたっぷりの芝居。歌舞伎・新派・小劇場・新劇・それにジャニーズwというさまざまなジャンルの混成部隊の役者さんがどの人もいい味を出していて。
ストーリーもまあ、鄭義信脚本、山田演出という顔ぶれから予想された通りの左臭はするものの、ストーリーの展開を邪魔するほどの政治くささは感じられず、とにかく、スケールの大きいストーリーに小ネタが見事にかみ合って、ここんとこ見た舞台の中でも出色じゃないの?と物凄く面白かったのだった。
中でも目を惹いたのが、歌舞伎界から勘九郎とともに出演してるいてうの付人役。実生活でもそうなのか?と思わせるほど、やたら謝っているばかりの腰の低い役で、台詞のほとんどが「すみません」w
そのすみませんの表情がひとつひとつ違っていて、歌舞伎でほとんど台詞のない役ばかりやっているような役者でもここまで芝居心があるのだなあ、と改めて再認識させられる。ミスターすみません、とひそかに呼んで、次はどんなすみませんを見せてくれるのかなあと楽しみにしていたのだけれど。後半途中で突然召集されて姿を消してしまい、後日談もないままなのがとても惜しまれる。

↑のエピソードで象徴されるように、前半で展開した数々のドラマが、やや広げすぎの大風呂敷をあわててたたんだような、そそくさとした終わり方をしてしまった、と感じられた後半。
逮捕された主人公の父親のその後、同じく逮捕されたヒロインは主人公と再会できるのか。
前半あそこまで丁寧に描かれていた満映理事長の自殺があまりに片手間に唐突に描かれておしまいな件。
突然後半で結婚したカップルも、明るいエピソードを入れるためにいきなり恋仲になったように見えてしまったし。
同年齢で親友となった三人のその後も描かれ方が中途半端で今井翼のカメラマンがなぜ残留を選ばなかったかもよくわからないし、田中壮太朗の脚本家が国民党を選ぶ経緯もさだかでない。
国民党を選んだ時点で悲劇の萌芽を感じさせつつ、大詰めはあまりに定番というかクリシェ感のある満州の大地に昇る朝日の絵で締めくくるなど・・・前半がすばらしかっただけに
後半のあまりのやっつけ仕事ぶりがかなり惜しかった。

商業演劇としてはありえないニ週間足らずの稽古で本番、とか台本が当初の2/3程度に縮められた、などの情報を後から聞いたのだけれど、それらの事情が、特に舞台の後半に悪い方向に作用したのかな、と、本当に残念でならない。

勘九郎はじめ役者はみんなすばらしい。
なかで特筆すべきなのが前述した脚本家役の田中壮太朗。寡聞にして知らなかったので中国人?と思ったほど中国語が美しく、スターであるw勘九郎と今井翼とのトリオでもまったく物怖じすることなく、むしろ二人を食っていた感すらあった。少なくとも中国語の発音に関しては勘九郎よりよかったような。勘ちゃん、中国なまりのせりふがときどき田舎のおっさんみたいになってたよw
勘九郎の芝居として特筆すべきなのは、本当に「軽い」芝居ができるようになったな、ということ。
今まで勘九郎といえば歌舞伎であろうがなかろうがとにかく力いっぱい、がんばってる感の芝居ばかりで、そこが魅力でもあったのだけれど、このままでは飽きちゃうかも、とも思ったりしていたのだけれど。
今回の芝居ではいい意味で力が抜けていて、軽くて。
ああこういう芝居もできるようになったんだな、と。
大人になったんだね・・・
もうひとり、満映理事長(甘粕大尉がモデル?)役の木場勝巳。この顔ぶれの中ではやはり役者が違う。堂々たる存在感を見せ付けてくれた。
壇れいはあえかに美しく、山口馬木也は昔のスターにしか見えず、本当に役者はみんながんばっていただけに、後半、なんとか手を入れてどんどん良くなっていってくれたらいいのになあ。
稽古期間が短いってことは、ある意味舞台が開いてからどんどん変わっていくってことでも在ると思うので、これからいい方向にどんどん磨きをかけていってもらえるといいのですが。


微妙に惜しい一日その1看板倒れの「大」歌舞伎

2013-11-01 | kabuki a Tokio

三津五郎出演が予定されていたころのままの看板なのだろうけれど、どう見ても花形歌舞伎だった。別に悪くはないんだけどね・・・これで大歌舞伎といわれても、という感じ。詳細はいずれ。の松竹大歌舞伎巡業初日@日本青年館。

 

野崎村

野崎村を見るたびに言っているのでブログを読んでる方は「しつこい、お前はしつこい!」といわれそうですが、私にとっての永遠最高のお光ちゃんは2004年10月、松竹座での(もう10年も前!)当時22歳勘太郎のお光なので。
しつこいついでにまた出しちゃおうw

菊之助は、悪くないけど、遅すぎたなあ。いや、もっと若いうちにやってたのかもしれないけど、私が菊之助お光を見るのはこれが初めてなので。
貫禄がありすぎ。お染久松が若くて細いだけに、まず見た目でどうしてもあねさん風にみえてしまい、台詞の説得力がまた悪い意味でありすぎて、この二人にならあねさんがゆずって当然ですぜ!みたいに見えちゃうw
今の菊之助がやるなら、お染はともかく久松は時蔵くらいのちょっとずるさが見える大人の男じゃないと、バランス的にお光ちゃんの哀れさが出てこない。そう、菊之助のはお光ちゃんじゃなくてお光さんだったのよね。
お染久松のヤングカップルは二人ともそれなりに健闘してたと思う。
とくにお染の右近は、丸本物の基礎である糸に乗れてるかどうか、の観点だけでいえば三人のなかでいちばん。耳と目がアンバランスで気持ち悪くなり勝ちな若手の丸本物のなかでは梅枝に次いでいいかも。声がいまだに不安定なのはこれから安定してくるのか、あるいはそもそも女形に向いてない声なのか・・・
くどきの所作がよかっただけに、台詞にもう少し少女の哀れさ・必死さが欲しかった。
巳之助は行儀よくていいのだけれど、お染のこともお光のことも思ってない感が見えてしまって。まったくの流されるままの人、ではないよね久松って。なんか心ココにあらずというか、二人の女が必死になるだけの色気が感じられなかった。
三津五郎が休演で代役の彌十郎。久作は何度もやっているだけに安定の好演。安定しすぎてつまらないくらいw
これ、三津五郎が久作だったらますますでかくみえるお光が、どうなってたんだろう。
大きさを超えてなにか違う化学変化が生じてたんだろうか。など、不在の存在を感じてしまったのはやはりこの芝居に大満足!とはいかなかったからなんだろう。


江島生島

今の菊之助はやはり立役のほうがいいのかなあ、と前半の綺麗な生島を見ながらおもっていたのだけれど。
後半の狂った孤独な生島はやはり物足りなくて。
三津五郎の生島はよかっただろうなあ。これまた数年前に勘太郎の生島がよかっただけに、いまだにそれを凌ぐ生島を見られていない。三津五郎で見たかった。
江島の右近。
なんかすっかり普通の踊り手になっちまったのよね・・・
第二の赤い靴を履いた少年は、いつ赤い靴を脱ぎ捨ててしまったんだろう・・・
決して下手じゃないけど魅力がない。きっと本人が踊ることを楽しんでないんじゃないかしら、と思われる通り一遍の、手だけ入れましたよ、的な。
尾上右近21歳。まだまだこれから。まだ期待し続けたいね。

実は今回一番興奮したのは三人海女。
なんだか見慣れないむくつけきあまちゃんwが来たなあと思ったらなんと坂東流ブラザーズ
シスターズこと大和八大三久太郎でした。大和くんの女形はなかなか珍重すべきものでしたわw
そんなところを楽しむくらいに物足りなかった踊り。

三津五郎の不在は大きい。そしてどうしたって花形歌舞伎の内容なのに大歌舞伎で売りつづけるのはどうなんだろう?菊之助にも荷が重くはないだろうか。
まあ実際の客は「大」と「花形」の違いなんて気にも留めてない人がほとんどなんだろうけどね。