laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

予知夢?

2011-07-31 | monologue

もう数日前になるけれど、タブチが死んだ夢を見た。なんだか悲しくなって目が覚めたらイラブが死んでいた。イラブは大好きなので、すごくショックだった。

今朝、えびぞーくんが悲しい顔をして、話しかけてきた。隣で富十郎が死んでいた。この夢は何かを意味しているんだろうか・・・てか富十郎はもう死んでいるわけだが。
どうせなら悲しい顔して話しかける役は勘太郎か段治郎に振ってほしかったのだが。夢の中まで邪魔な奴。

 

ちなみに野球選手限定でデブ好きです。エナツもエガワも大好き。いちばん好きなのはノモですが。、


お買い得

2011-07-29 | kabuki a Tokio

チャリティー歌舞伎(正式名称違うかも?)に行ってきました。

通常の公演みたいに四の五の書くのも野暮なので、箇条書きでカンタンに。

☆うれしかったこと

段ちゃんをひさーーーーーしぶりに見られた

☆悲しかったこと

その段ちゃんがなんだかすごーーーーくやさぐれていた

☆心配なこと

芝翫さんが欠席。冒頭で挨拶するだけなのに欠席って・・・いつものずる休みだといいんですが。

☆わかったこと

えびぞーくんの毛振りがちゃんとできてるって↓で書いたけど、嘘でした。
5人並んで振ってるの見たら、三人ちゃんとしていて、二人ぐだぐだ。海老ちゃんと染ちゃんでした。ああいうの、残酷。
単体でみたらちゃんと出来てるように思ったんだけどね・・・

☆憂慮すべきこと

大幹部のなかで踊れる人が菊五郎しかいなかった。考えてみれば芝翫雀右衛門がほぼ踊れない状態、富十郎はいなくなり、勘三郎は休演中・・・気づいてみれば踊れる幹部っていないのよねぇ。挨拶だけじゃなくて元気なんだから藤十郎も入ればよかったのに。

☆がんばったこと

平成御曹司ズでいまいち見分けのつかなかったよねきちりゅーのすけたねのすけの見分けがつくようになった。これで御曹司ズはコンプリートか。

☆よかったこと

チャリティに貢献。あたしじゃなくて連れが、ですが。
某役者さんの某作品を入手。サイン入りで普通に飾れて5000円だったからお買い得だったかと。

個人的には勘ちゃんの押し隈でも出てれば30万でも買う気まんまんだったんですが(ちょっと嘘)。出てなかったし、押し隈はわれわれが行った時点でほぼ完売でした。富十郎さんの押し隈があったのにちょっとほろりとしました。

 

…ってことでぐだぐだな踊りはともかく(それでも珍品で面白かったよ)、いろいろ楽しめて、結果そこそこお買い得だったと思ったのでした。

チャリティの行き先がどこなのか、少し気になりますが・・・


尻すぼみ

2011-07-26 | kabuki a Tokio

昨今尻のつくタイトルが多すぎですが。演舞場楽昼の部はこんな感じでした。

 

鳥居前

えびぞーくん関連の公演に付き合わされるw代わりのご褒美で、序幕を持たせてもらってるという感が否めない昨今のおもだかチーム。大好きな段ちゃんはいないけれど、やはり見てる比率が高いだけに、そして判官びいきの体質ゆえに肩入れせずにはいられない。
夜の部の石段よりこっちのほうがずっとよかった。
特に右近。型のきれいさといい、本家本元のはずの宗家や御曹司も見習ってもらいたい、と思うほどの衒いのない、まっすぐな荒事ぶりといい、文句なし。あと10センチ背があれば・・・と思わないでもないが、愛嬌があるので、本当にいい荒事だった。
義経のちゃんも、うまいとは言いがたいが品があって、悪くない。猿弥の弁慶は文句なし。ただ楽のせいか声をやられちまってましたなあ。無敵のこの方、のどが弱いのが弁慶のむこうずねwでしょうか。
静がねぇ・・・この人、「ヘタさがわかりやすい」んで、困る。たぶん歌舞伎初めて、の人が見てもヘタとわかるヘタさ。この人のせいで「やっぱりおもだかは古典ダメだなあ」って思っちゃった人、きっといると思う。
この人笑也は、現代風のきゃぴきゃぴした芝居は割りとうまかったりするので、楊貴妃に出てもらって、笑三郎が静をやればよかったのに。
しかし、千本桜でも最近、鳥居前しかやらせてもらえないおもだかチームがやはり不憫だ。正直、猿之助型の四の切をやらせたらいまだに当代一だと思うんだけどなあ右近。(五月好演の亀ちゃんがかなり迫ってきてるが)。
右近忠信、義経段ちゃん、静笑三郎でもう一回見たいなあ。

 

勧進帳

海老蔵復帰のニュースで相変わらず素っ頓狂な気持ち悪い台詞回しの富樫だったので、すごく心配していたのだが。

心配して、期待値最低だったせいか、とてもよかった。
抑えた台詞回しのなかにちゃんと富樫の心理(疑ったり心配したり、感動したり)が現れていて、なにより出すぎてないのが海老蔵にしたら上出来。
團十郎の弁慶は前半抑えすぎ?というか元気ないのかと心配になるくらいだったが、その分後半、義経の無事がわかってからの泣き落とし、酒盛り、延年の舞、そして六法までの流れは盛り上がって、これまたとてもよかった。
梅玉の義経は、やる気があるのかないのかわからないのはいつもどおりだが、ちょっとお疲れ気味に見えた。
四天王(市蔵友右衛門権十郎松江)も同じく、地味っちゃ地味。まああの程度の迫力じゃないと、前半の抑えた弁慶では止められないしねwww

今回、全体見ていて思ったのだが、正直この親子のカップリングではなく、海老蔵の富樫なら三津五郎の弁慶あたり、そして團十郎の弁慶は絶対に菊五郎の富樫が合うなあと思ったのも事実。
別にヘタ同士だからダメってわけでもなく(それもあるが)なんとなく、親子でありながら芸の風情やテンポが合わないなあ、と思ってしまったわけで。こういうことを成田屋親子に感じたのは初めてでありました。

ただ、富樫に関しては今までの海老蔵のなかでベストに近い出来だったと思う。海老蔵は弁慶より富樫のほうがいいんじゃないかな。幕切れで、花道の弁慶を見つめるまなざしがびっくりするほど慈愛に満ちていて、「この人、こんな目もできるんだ」とびっくりしたことを付け加えておく。

 

楊貴妃

 

二つ、うれしい予想外の上出来だったので、巷で散々にいわれてるこの芝居も、ひょっとすると・・・と思ったんだが。
期待値最低だったにもかかわらず、そのとおりの芝居でありました・・・

大仏次郎の原作も知らないわけだが、このとおりの本だったとしたら、あまりに説明不足。引っ込み思案で内気だった娘がいきなり十年たって驕慢で誇り高い楊貴妃に変身しちゃってるし、美貌と権謀術数を兼ね備えてるはずの高力士は、ぼーーっと突っ立って変声でしゃべるだけ。
前半の貴妃の三姉妹(笑三郎・春猿・芝のぶ)のコントwは、それなりに楽しかったが、本筋の芝居展開が退屈でわけわからないのでは、意味がないどころか逆効果。
これ、原作を大幅にカットしてわけわからん芝居になっちゃってるのか、それとも原作そのものが役者の芝居力に頼ってかかれたものなのか。
楊貴妃は水谷八重子に当てて書かれたものだとは知っていたが、高力士は初演で誰がやったのか、調べてみて仰天した。
滝沢修・・・あの民芸の大俳優。

ああ、水谷と滝沢なら、ひょっとしてあの大雑把な筋でも説得力を持たせることは可能だったのかもしれないなあ、となんだかすごく納得。

そして、そこによりにもよって福助海老蔵をはめ込んだ松竹の浅すぎるキャスティング力にがっかり。とともに、芝居がつまらないことにも変に納得。

あーあ。せっかくの楽気分。最後の駄作で台無しだったよ。

 

 


毒を抜かれたコブラに存在価値はあるのか

2011-07-21 | kabuki a Tokio

演舞場夜の部見てきました。

巷では今月演舞場は夜の部のほうが昼よりずっと面白い!という話だったのですが、夜でこれなら昼はどうなっちゃうの?と逆の意味で期待が高まってしまった・・・久々の怒り爆発シリーズか?

とりあえず夜の部の感想をごく簡単に。

曽我なんちゃら

勝手に対面をやるもんだと思い込んでたら全然違うもので肝をつぶした。
三郎四郎の猿並びだ~なんてくだらないことで喜んでたら右近が悪?で猿弥が善?で普段と逆なので肝をつぶした。上に変な雲がでてたので、この二人なら善玉悪玉の三社祭なんかみたかったなあとぼーっと思ってたらいきなりのがんどう返しで肝をつぶした。
だんまりになっておもだかチームなのに梅玉さんが出てて肝をつぶした。
ずらっと並んだら二人もわからなくて肝をつぶした。一人はちびっこだったので、梅玉さんからの推量で梅丸君だとすぐわかったけど、もう一人は・・・美形だけど下手ってんで海老?いやいや、夜三つは出ないだろう。それに気持ち悪くない。シンノスケ?いやいや、こないだ大阪でがんばってた。ん・・・なぜか大向こうさんもこの二人だけよけてるしw
数分かかって、ようやく松江だという結論を得たけれど、なぜここで松江?なぜ?段ちゃんが出られないから?あの五郎なら、膝イタイタの段ちゃんでも出来たと思うけどなあ・・・うーーーーーん。

ってことでずっと肝をつぶしっぱなしだったので面白かったのかどうかわからない。
春猿きれいだった。弘太郎が相変わらずのきれいな動き。笑三郎は私の位置からはほとんど見られなかった・・・

 

鏡獅子

亀鶴がいきなりいて肝をつぶした。(もう言わない、ごめんなさい)
海老蔵の前シテ弥生、気持ち悪いおカマ笑いとオイチニサンシの器械体操っぷりはややマシになっていた。その分、つまらなくなっていたともいえる。うまいわけでもないのに、毒気が抜けて存在感がなくなったというか。
後シテ、毛振りは、思ったよりまとも。30回くらいまではきれいにまわせてるじゃんと感心したくらい。
ただ、獅子ってもんをこの人勘違いしてないか?霊獣ではあるけれど怪獣じゃないよ。やたら凄みを利かせてにらみまくってたり、シューシュー音立てたりしてるのは、あれなんのつもり?
シューシュー言ったって、もう毒は無い感じのこけおどしコブラだった。まだこれがハブなら酒に漬けて利用できるけど、海老コブラはなにか再利用できるんだろうか。

胡蝶の玉太郎吉太朗はそれぞれにきっちりお稽古できてますね、という感じでよかった。
ただ、獅子がにらみを聞かせてるせいか、胡蝶は獅子と戯れるというより、獅子に追いかけられて怖がってるみたいに見えちゃったなあ。

 

江戸の夕映え

数年前の團菊祭で旧三之助で見て、かなり感心した覚えが。
海老蔵ベストを決めろといわれたら、苦し紛れにこれは絶対3本の指にはいるだろうな、というくらいこの芝居での海老蔵も魅力的だったんだけど。

うーーーん。ほかの役者がいけないのか。
海老蔵から時といろんなものが魅力をうばっていったのか。

まず、松緑と菊之助に代わっての團十郎福助が、違和感。
特に團十郎が・・・出の部分のおおらかさはなかなか、と思わせてくれたのだが、海老蔵と絡むと、ちぐはぐでちっとも面白くない。江戸っ子のキップのよさも武士としてのけじめみたいなものもなんだか見えなくて、海老蔵に啖呵を切るところもちっともかっこよくないんだもん。
福助は、成田屋親子の邪魔しないように気をつけてるのかしらんが、おとなしくて面白みに欠ける。
そもそも三人の位置関係みたいなものが、この三人からはちっとも見えてこなくて、海老蔵は無責任なだだっこにしか見えないし、團十郎は茫洋として何も考えてないみたい。
そもそも先代、先々代世代の成田屋音羽屋紀尾井町の三人のために書き下ろされた芝居なんだからこの三人がそろったときにやればいいのに、無理やりやって、やっぱり失敗しちゃったジャンって感じ。
海老蔵単体としては、見ていて気持ち悪くない分、やはり海老蔵ベストwに入るんだと思うが、相変わらずお釜声と地底人声のふた色しかなくて、ちっとも技術は上がってないことも確認。

本当に退屈だなあと思っていたらラストシーンで團十郎と海老蔵が酒を酌み交わすシーンで二人ともやたらタメまくった芝居を・・・いい加減にへたくそな芝居ためるのやめてよ、と思ってたら近所の席で号泣する声が・・・ああ、お帰り、といって二人が杯を交える芝居を見て、成田屋ファンは感動するのか、と目からうろこ。あのためっぷりは、ファンサービスだったのか。しかし、あんな芝居でも号泣できるんだねぇ、ある意味うらやましい。

そうそう、船宿の場で、團十郎が二回も海老蔵に「でかけちゃなんねぇ」って言ってて、「出かけるのをやめなさい」を思い出して噴出してしまった。周囲で笑ってるの私だけだったので孤独だった・・・・

脇も左団次は老骨の武士っぽくないし、壱太郎はけなげではあるんだけど、声の甲高さが相変わらず聞き苦しいし・・・さとぴーをちらっと見られただけがとりえの芝居でした。

終わってみたら肝をつぶしっぱなしでろくに味わってない序幕の曽我なんちゃら(覚える気はない)がいちばん面白かったかもしれない・・・


国力とサッカー

2011-07-18 | monologue

…は反比例する、という有名な学説がある。

2001年ミュンヘンの国際スポーツ学会で発表されたものを拝読して以来、深く納得して、友人などに触れ回っているわけだが、GDPの伸び率と、サッカー国際大会での戦績が面白いほど反比例曲線を描いている、というもの。

今朝方、なでしこジャパンの女子ワールドカップ優勝戦と、裏で中継されていたコパアメリカ準々決勝でのブラジルの敗退を見ながら、またこの学説の裏づけがでちゃったなあ、とふと思った。ブラジル、最近経済の躍進めざましいもんなあ。
きょうのなでしこたちの、リードされてもされても負けるもんか!とくらいついていく姿はまさに発展途上国のど根性国民だったし。

今の日本の国力の落ちっぷりからすると、こりゃ、次回のワールドカップではサムライジャパン(だっけ?)も3位くらいまで躍進しちゃいかねないよん。どうする、生きてるうちにワールドカップ優勝が見られちゃったりして!

…なにはともあれ、なでしこさんたちおめでとう!
アメリカ選手は美形が多かったなあ・・・

 

(この記事のほとんどは筆者の妄想によるフィクションです)。


おじいちゃんそっくり!

2011-07-12 | spectacles

チャリティ舞踊公演『祈り』を見てきました。

最近個人的評価がうなぎのぼり中の菊之助が浮かれ坊主と藤娘という両極端の踊りを・・・というだけで魅力だし、とりあえず楽しんでチャリティできるというのも気に入った。

子守

まずは弟分右近の踊り。

うーむ。

なんというか。

天才少年ケンスケの幻影をどうしてもかぶせちゃう自分がいけないのかな。

冷静に判断すればまだ10代の少年としては十分踊れているんだけど。

この演目、難しくなかったかなあ。

特に前半、かわいらしさを出すのに、逆に10代後半20代っていうのはいちばん難しい年頃なんじゃなかろうか。
もっとちっちゃいころなら素でかわいいだろうし、もう少し芸が安定すれば芸の力で見せられる。そして60過ぎるとまた素のかわいさが出てくるw
後半、体を存分に使える部分ではさすがに動けるので魅力が出てきたけれど、今の右近にはちょっと演目が気の毒だったかなあ、と思ってしまった。
何より踊っていてあまり楽しそうじゃなかったのが気になった。
神に選ばれた赤い靴を履いた少年ズの一人だと思っているのでまた何かが乗り移ったかのようなすごい踊りが見たいものだ。

 

浮かれ坊主

菊之助は少なくとも踊りに関しては「神に選ばれた少年」ではなかった。どちらかというと、こつこつ稽古をきっちりしてるな、という踊り。ちゃんとしてるけど面白くない、ってのが常なる感想だったんだけど、やっぱりまじめに稽古してると、神様も認めてくれるんだなあ、と。

最近本当に充実してると思う。

愛嬌、踊りの技術(なんせ脚がほとんど見えちゃうからごまかせない)、きれいきれいでごまかせない(何せあの顔、あの装束)。これ、音羽屋の舞踊のなかでもかなりの難度だと思うけど、とにかく、一応さまになっていた。
いつも菊之助の舞台で感じていた「硬さ」が取れていたのはそれだけでこの時点では合格点でしょう。
まあ「味」とか「風情」とかを今求めるのは行きすぎなんだけど、少なくとも松緑が同じ舞踊をやったときのようなちょっと凝視できない痛々しさはなかった。
ただ、まだまだきれいな娘役もやっていかなければならない彼にとって、あのむき出しの鍛え上げられた太ももっていうのは・・・どうなんだろう。
特にきれいな菊ちゃんファンのお姉さまがたは心の中で悲鳴をあげてたんじゃないのかな。

個人的には鍛え上げられた歌舞伎舞踊の踊り手としての実にいい脚だと感心していたけれど。それでも、直後に藤娘を踊るのはどうかなあ、と思ったりもした。藤娘みながら、あのたおやかに見えるからだは実はムキムキなのだ、ってどうしても思っちゃわないかなあって。

 

藤娘

 

最初はそういう↑邪念もあったけれど、いやあ、そんな邪念を忘れちゃうほどいい藤娘でした。
この踊りは技術云々より(技術だけでいえばきっと子守のほうが難しい)、とにかく見ていてほっこりまったりいい気分になれるのが眼目だと思っているので、その点では当代の藤娘の踊り手のなかでも1.2じゃなかったでしょうか。
とにかく、この人風情がいい。
ほどよい色気、(かといってこまんのように脂粉ぷんぷんという感じじゃない。ちゃんと娘の色気)、品のあるシナ、観劇暦が長かったら絶対ファンになっていた役者リストナンバー3であるところの(ちなみにナンバー12は紀伊国屋の宗十郎藤十郎兄弟)梅幸さんに似てるなあ・・・とぼんやりうっとり思っていたら「おじいちゃんそっくり!」の大向こう。
あまりのタイミングのよさに大笑いしてしまった。やっぱりみんなそう感じていたのね。
梅幸さんの藤娘は、晩年のスチールを見て肝つぶして(当時はまだ初心者で心の目wが育ってなかった)見なかったのが残念至極。どっかでOAしないかなあ。

上品で崩れず、でもぽってりとした色気に満ちた・・・そんなおじいちゃんそっくりの女形、目指していただきたい。たぶん、お父さんそっくり!の江戸前のいい男にもなれる人だと思うけど、どっちかというとおじいちゃんを目指してもらいたいなあ、と。(つい2.3年前までこの人は絶対立役役になるべきだと思っていたのだが、ここ1.2年で一変しましたのです)。
菊之助は今年になって、確実に役者として一皮むけたなあ、と確信した踊りの会でした。

そうそう、踊り手がこんなに柔らかくなっているのに、なんだか藤の束が妙にがっしりしていて、針金丸出しだったのが気になった。ほかの藤娘ではもっとたおやかにしなっていたような気がするんだけどなあ・・・
小道具手抜き?


美術展もひと味違う

2011-07-11 | voyage

猛暑の中相国寺に浮世絵を見に行った。
前日にグッチ回顧展@金閣寺を見に行ったときに、金閣寺内にポスターが貼ってあって知ったハンブルク美術館所蔵浮世絵展。

写楽北斎広重師宣晴信・・・など錚々たるラインナップもさることながら、なにしろ総本山相国寺の中にある美術館ってのが、なんとも京都らしくていい。
ところで、金閣銀閣は相国寺の塔頭だったんだねぇ。知らんかった。本当に知らないことが多すぎる世の中であります。

猛暑なので、ひとつ見たらおしまい、の観光。

前日は金閣グッチのみ。この日は相国寺美術展のみ。贅沢な観光客です。


しり上がり

2011-07-09 | kabuki en dehors de Tokio

ひょんなことから関西遠征。松竹座昼夜続けて見てきました.

その後京都で遊んだり、放置していたので感想も忘れがち。簡単にまとめておきます。

昼の部

播州皿屋敷

歌舞伎の番町~が思ってた皿屋敷と違ったと思ったら播州で知ってる感じのストーリーやってたのね。
ちょっとえぐいくらいの責め場が見ものなんだろうけど、愛之助孝太郎では悪も女も魅力に欠ける。こういう内容の無い、ただ見せるだけの芝居は海老蔵七之助あたりのSMが似合いそうな美形コンビでやればいんじゃなかろうか。

素襖落

三津五郎の素襖落は(たぶん)初見。期待したのだが、やはりこの人には舞踊の技術云々の前に、愛嬌とかほっこりした雰囲気がどうしても欠ける。実にきっちりした踊りなのだが、こういう類の出し物だと面白みが足りないと思う。
脇で出ていた萬太郎ばかり見つめていたせいかもしれませんが。ははは。
萬ちゃんは地味だけど見るたびにちゃんと成長していて、顔も美形に近づいてる。いいなあ。若い人の成長は。

江戸唄情節

なんで大阪で、仁左衛門で、江戸前の芝居を見せられなきゃなんねぇんだ。

なんで、三味線の名人の話で、仁左衛門の素人三味線聞かされなきゃなんねぇんだ。

この二つの根本的な疑問が最初から最後までつきまとって、役者のいい芝居を楽しむ気にどうしてもなれなかった。
薄幸の女房役、時蔵は本当にいいし、ちらっとでてくる三津五郎は江戸前役者の役がぴたりとはまり、いい味出してるし、仁左衛門も役そのものは似合っていて魅力的だったのだが。

愛之助秀太郎竹三郎吉弥らに無理して江戸前芝居させることはなかったんじゃなかろうか。竹三郎吉弥がそこそこ江戸前芝居になってたのはさすがに芸達者と思ったが、彼らで見たいのはこんな芝居じゃないし。

なんせ、江戸の役者が、こいつの三味線じゃないと踊れないって、必死で探し回るほどの幻の三味線の名手、その晴れ舞台!ってところで山台の地方さんに混じって三味線持った仁左衛門が・・・ってところまではいいよ。とても面白い。ご趣向もので。
そこで、仁左衛門に生で三味線弾かせるのも、百歩譲って、ご趣向。楽しいかも。
ただ、もちろん日本一の名手であるはずなどないとはわかっていても。。。せめて盛り上がる場所で調子をはずすような演奏はやめてほしかった。
生でやるなら、せめて客の興を削がない程度のレベルまで稽古してやってほしかった。

仁左衛門、先月に続いて「好事家のおやじのお稽古披露」レベルの芸を見せちゃってるなあ。うんざり。

 

夜の部

車引

個人的にかなり楽しみと恐れを持って臨んだのだが。

なにせ、あの進之介が松王!lavieの観劇史上、最大量の進之介の台詞が聞けるんじゃなかろうか。てかそんなに台詞しゃべれるのか。

これが意外なまでにはまっていた。

松王の大きさ、せつなさ、荒事の稚気、そんなものがいい感じで混ざっていて、なんだかちょっと感心してしまった。台詞回しもうまいとはいえないが、少なくとも気持ち悪くならない分東の御曹司よりはましだわ(あたしにとっては、ね)。ただ、下半身の猛烈な不安定さは、これはもういかんともしがたいので、腰を落として梅王とにらみ合うところなど、ぷるぷる震えてる松王を見ながらこちらも笑いでぷるぷる震えてしまったのだけれど。いや、それも含めて荒事なら許せるかなあ、と。はい、あたし、この人嫌いじゃないです。
この松王を受ける大変な役回りが松嶋屋いとこの残り二人。愛之助と孝太郎。
愛之助は実は二枚目なんぞよりこういう役のほうが似合うと思っているのだが、今回も悪くなかった。孝太郎は、いくら桜丸でもやや線が細すぎかな。
杉王の巳之助が腰の入ったいい形を見せて、あ、ちゃんと稽古してるのね、と思わせた。あとは声の張りをもう少しお願いします。
我當が時平で締める。動きの無い役だと安心してみていられるが、やはり声にも衰えが見え始めてるねぇ。しんちゃん、お父さんが元気なうちになんとかなってよん。ならないか。

 

伊勢音頭

 

ここまで(特に昼の部)なんだかなあという感じだったのだが、いやあ、これを見られただけで来た甲斐はあったかなあと最後に納得。
おまけでしんちゃんの松王もかっこよかったしね。

仁左衛門の貢が絶品なのはいまさら言うまでもないが、今回おこんの時蔵、万野の秀太郎、おきしの梅枝、千野の吉弥の女形がことごとくすばらしい。
特に時蔵、おこんって役者によっては名に考えてるかわからないしどころのない役に見えちゃうこともあるんだけど、時蔵のおこんは終始貢への愛がちゃんと見えていて、じっとしてるときも何を考えてるか、何を耐えてるか、きっちりわかるすばらしい芝居だった。
最初、万野は吉弥で見たいなあ、と思ったんだけど、いやいや、やっぱり秀太郎は二枚も三枚もいい、ただ憎らしいじゃなくて、いやみで、いけずで、でもどっかかわいらしいすごい万野だった。

今回あまりかからない相の山からの通し(たぶん一度だけ相の山は見たことある)だったので、有名な伊勢の日の出のシーンを見られてちょっとめでたい気分になった。

 

最後の芝居がとてもよかったので、後味よく、気持ちよくなんばで一杯、できたのでした。


濡れっぱなし

2011-07-07 | spectacles

エッチ系ではありません。『血の婚礼』@すがも創造舎仮設劇場で見てきました。

lavie調べによるところの現代美貌男優ナンバー1の窪塚洋介と、若手注目中の田島優成ががっつり並んで芝居してるところを見られただけで満足!といえば満足なんですが。

いや~いろんな意味でつらかった。

まず、仮設劇場ゆえか、空調が悪く、ただ暑いだけならともかく突然熱風が吹きつけたかと思うと、その直後に冷風が・・・みたいな過酷な環境。
いすはパイプいすにふにゃふにゃクッションで、腰に悪いことおびただしい。これ三時間の芝居だったら、今のあたしには、無理。短くてよかった。
その上、2時間弱の上演中、一時間半以上は舞台上にたたきつける本水の雨により、湿度は熱帯雨林地方並み。

原作清水邦夫と聞いていたからある程度覚悟はしていたものの、やはり難解な内容で、この暑さと湿気のなかではとても集中して難解な比喩を含んだ台詞を咀嚼する余裕はなかtった。
もともとの下敷きとなっているロルカのオリジナルも読んだことも映画見たこともないし、さ。それはよかったのか悪かったのかよくわかりませんが。、

役者は総じていい。全員ずぶぬれになりながら、雨音に負けることなく、かといって過度に絶叫するでもなく、日常と不条理の隙間を淡々とすりぬけていく感じ。
伊藤蘭が悪い意味で80年代芝居っぽすぎてちょっと笑っちゃったけど、若い世代の役者は気張らず自然体に不条理やってて、いいねぇ。

特に感心したのは妻役の中島朋子と寝取られ夫役の丸山智巳。中島は最近テレビのコメンテータなどでただの貧相なおばさんになっちゃってる感じだったのだが、舞台の上ではちゃんと可憐で妖しい魅力を振りまいていた。丸山という人をちゃんと認識したのは初めてだったのだが、ちょこちょこテレビにも出てるし、なんとモデル上がりだったとは。失礼ながらモデル上がりとは思えないきっちりした台詞回し。
後半窪塚と丁々発止するときなど、思わず「クボヅカ、見習え!」と思っちゃった。

はい、クボヅカは声と発声が致命的ですね。声質が軽すぎるのは、今後考えられる役回りを制限しちゃうだろうが、まあ声質はどうしようもないとして、せめてカツゼツだけはなんとかしようぜ。あれだけの圧倒的なオーラがあるのに、本当にもったいない。

もう一人のお気に入り、田島くんは、キャスト中ナンバー1のずぶぬれ度、などまあがんばってはいたが、やや凡庸。
クボヅカになんとなく似てる(だからキャスティングされた?)だけに並ぶと、いわゆる「神に選ばれた人とそうでない人」に見えちゃう。
いや、選ばれてなくてもがんばれば一流にはなれるんだ、がんばれ。

観劇環境最悪だったことを考えれば、まあ面白かったかな。
こんなにわからない芝居でも面白がれたのは、やはりくぼづか田島へのミーハー心ゆえ、かもしれませんが。

とりあえずクボヅカはもちろん、田島くんも蜷川お気に入り男優チームに入ったみたいなので、今後ともがんがん使ってやってください!
できればもう少しわかりやすい芝居でw

そうそう、なぜか客席の年齢層がむやみと高かった。歌舞伎座の三階より高いw
芝居終わりで外に出たらこんな難解な芝居だというに関東の某県から、団体バスで来てるグループがいたらしい。そういえばこの種の芝居では珍しく上演中におしゃべりして注意されてるおばちゃんいたなあ。
おっちゃんおばちゃんの理解力を疑うわけではないが、楽しかったかなあ。ちょっと幹事さんのチョイスに疑問。


生きかわり、死にかわり。

2011-07-05 | kabuki a Tokio

国立劇場歌舞伎鑑賞教室『義経千本桜・知盛編』見てきました。

座頭の弟子、辰巳の自殺未遂事件の翌日だったということを最初に書いておいたほうがいいかとも思う。
やるほうは当然ながら、見るほうにも大きな影を落としていたから。

若手では1.2を争うニンと思われる松緑初役の知盛、少なからず期待したのだが・・・
初役のやる気とか覇気があまり感じられなかったような。
もっと覇気がなかったのが典侍局の魁春。これまたニンだと思うんだけど、夏ばてなのか、辰巳ショックなのか、若手相手でやる気が出ないのか、どうにもつまらないできばえ。
亀亀兄弟の駿河入江の魚尽くしにも、愛嬌が足りなかったし、「かぶきのみか」たの松也にも笑顔や元気さがなくて、とにかく全体に「沈んで」いた印象。

実はこの「沈みっぷり」があまりにすごいので、途中からこの芝居そのものを違う形で見られるという思わぬ副産物が。

そもそも知盛は壇ノ浦で死んでるわけで、生き残ってることがフィクションなんだけど、この芝居の中の知盛と局の覇気のなさは、実は芝居の中でも本当は知盛たちは死んでいて、この芝居すべてが壮大な知盛の脳内スペクタクルなんじゃ?と妄想してしまったのだ。
そうやってみると最初から死装束で登場することとか、軍兵が三角印(正式名称なに?)や骸骨つけてるのもすごくしっくりするし。あれは芝居の中の「死んでる」しるしじゃなくて本当に死んでるんだよ!きっと!
で、死ぬ間際の知盛の怨念が義経にとりついて、この壮大な物語を義経の脳内で描き出させている・・「生きかわり、死にかわり」の台詞もそう思うと深い意味を持ってくると思いません?
この妄想は、先月の三五大切の源五の脳内ワールドに影響を受けてることは間違いないです。串田さん、本当に碇知盛やってみません?w

こんな妄想も含めた二重構造を前提にこの芝居が作られてるような気もしてきたし、そもそもそこを狙って(夏だし)松緑と魁春が芝居を作ってたらすごいなあ。まあそれはないかw松緑初役だし。

安徳帝は(たぶん)大河。ダブルキャストなんだが、プロの子役にしたら下手だったのと、顔の下半分が松緑に似てたのが根拠。
重心がつねに左(本人的には右)に傾いているのと、眠いのかやる気がなさそうなのが気になったが、口跡、台詞まわしはなかなかのもの。ちょっと期待しちゃいましょう。

入江に絡む立ち回りで、筋書に辰巳の名前が。
代わりの役者(音之助?)もよくやってはいたが、やはり彼の切れ味のあるとんぼやギバを見たかった。
あんたのいるところは女のひざの上でも、深夜の公園でも、病院のベッドでもなく、舞台だろ、とちょっと他人事ながら悔し涙が出そうになった。