laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

リアル「シュトルム・ウント・ドランク」

2012-05-28 | kabuki a Tokio

平成中村座追加公演、これが本当のラストショー、見てきました。

いや本当にめ組の大詰め喧嘩シーン、リアル嵐だったのですよ。びっくらした。

十種香

前日パスしてしまったのが惜しまれるほどよくなっていた。

何がよかったって七之助。相変わらず丸本物をやると固いなあと思っていたのだが、驚くほど柔らかく、悪い意味で人形ぽかった動きも、まだまだところどころダメではあるものの、この人のクドキで笑わなかったのは初めて、というくらいの上出来。いやあ発展途上役者は見守らないといけませんな・・・このまま丸本物もちゃんとできる役者になれば本当に名優になる可能性をはらんでると思うんで。

直接教わったのは玉三郎化福助だろうし、目に残っているのは芝翫だったり、ビデオで見た歌右衛門だったりするんだろうけれど、なぜかいちばんダブって見えたのは京屋だった。玉三郎の再来とか一部で言われている七之助だが、個人的には京屋+神谷町のような可憐でかつ義太夫味あふれる役者を目指してほしいな。

20日過ぎには全員枯れていた声だけど、七之助と勘九郎はなんとか調子を取り戻していたのもよかった。やはり女形が声が荒れてると興ざめだしねぇ。
これ、染五郎が勝頼だったら花形歌舞伎として相当高水準行ったんじゃないかなあ、と別に扇雀が悪いわけではないのだが大きさのバランスがねぇ・・・

勘九郎濡衣についてはもう・・・好みどストライクなので、なんもいえねぇ!!!
ええわあやっぱり勘九郎のけなげ系女形。

勘九郎七之助の女形コンビでぜひ見たいもの1に野崎村2に梅ごよみ34がなくて5に四谷怪談(見たけど)。
そして七之助がこのまま順調に丸本物できるようになったらぜひ見たいのが妹背山の久我之助と雛鳥。大判事が播磨屋なら理想的。

…なんて脳内妄想するほど、七之助の丸本物としては初めて、といってよいほどよかったのでした。

 

三社祭

 

これ、どう思ったらいいんでしょうか?
昨日で楽が終わっていて、あくまでおまけの追加興行だと思えば楽しかったんだけど・・・
ちょっとやりすぎ?と思わないではなかった。いや、善玉勘九郎はほぼいつもどおりにやってたんですが、悪玉染五郎が単独で踊るパートがあまりにオリジナルwで、ほとんど日舞の振りになってなかったんで。
もともとごく一部に「ひげダンスw?」テイストの振りを入れていてまあそれは一瞬だったんでご愛嬌かと思ってたんですが、追加公演のこの日は、ブレイクダンス入るは、ムーンウォークするは、のもうやりたい放題。客席は大喜びなんだけど、いくらソロパートwとはいえ、振り付けの先生とかに了承は取ったんだろうか、とかふと思ってしまったのも事実。
そして石橋での獅子の毛振り。これがまたもノ凄くて。
回数とスピード「だけ」は前代未聞だったかな。こんなにやってると脳が揺れてバカになるぞ、と思うほど振ってた。
ただし形がめちゃくちゃ。特に染五郎の毛振りはもともと形が変なんだけど、回数とスピードを優先するあまり、足元は三回くらいふらつくし、身体は完全に斜めになっちゃってるし、ちょっとどうしようもなかったのでした(二階席から見ていたので特に毛振りの形が目に付いてしまったのかもしれないけれど)。

ダンス風の振り付けもスピード回数優先形無視の毛振りも、現場の客は湧きに湧いていて、「客を喜ばせてなんぼ」の芝居だといえば確かにそれでいいのかもしれないし、追加興行なのだからもっと許容範囲はあっていいのかもしれないけれど・・・狭量なファンであるあたしは、やはり、せっかく前日あんなにいいアンサンブルを見せてきた二人の「まともな」「がっつりした踊りを見たかったのだ。

 

め組の喧嘩、そして・・・

 

千社祭と同様、楽のぴりっと締まった芝居に比べてどうしても緩んだ部分はあちこちに見られたけれど、それなりに楽しかった。ただ、今回数回見た中ではいちばん退屈だったのも否めない。特に勘三郎梅玉、歌女之丞の芸達者が丁々発止を見せる焚き出し喜三郎内の場面で初めて眠気が・・・役者の緩みは微妙に客に伝わるのだね。

まあ乱暴に言ってしまえばこの芝居、大詰めの喧嘩場を見せるためにあるようなもので、長ーーーーーーいプロローグは寝ててもいい(実際寝てる客多し。某評論家とかもずっと寝てた)ともいえるのだがw。

この日、午後に嵐の予報は出ていたのだが、千社祭のころまでは昨日に引き続く超好天。ところが一天にわかに・・・め組が始まったころからものすごい強風が吹き荒れ、場面転換で大道具を入れ替えるたびに外でばたんばたんと騒音が。大道具さん大変だったと思う・・・
喜三郎内のあたりから雨も加わり、なにせ「小屋」のこととて雨音で梅玉さんのせりふが聞き取りにくくなったり、ああ、これは大詰めのお遊びなしかなあ・・・などと危惧しながら見守る感じ。
最大の見せ場、喧嘩場もあちこちに楽、じゃなくて追加公演スペシャルが隠されていて(気づいたのは彌紋を小屋の屋根まで担ぎ上げる振り、咲十郎が参加していたことなど)。
いちばん目立ったのは、通常出ていない染五郎・七之助・国生・鶴松などが鳶で、彌十郎が取的で参戦。こういうお遊びはあっていいと思うのね。ほかの場にとびいるのではなくて新入りグループwの場をひとつ作って「隔離」してたのもよかった。芝居を壊さずに客も楽しめる。女房役の扇雀まで鳶に変身してたのはちょいやりすぎ?まあギリ許容範囲か。
そして幕切れに昨日と同様神輿乱入。神輿の担ぎ手の中には宜生もいたな・・・梅丸くんも入れてあげればいいのに、と心の中で思ったんだよおあたしは。
ここからが追加公演スペシャル。

前述したとおり、どしゃぶり、強風のなかみこしはどこで待機してたんだろう?担ぎ手がびしょぬれというわけでもなかったからどこかテントでも張ったのかしら?とにかく、大嵐のなか、わっせわっせとお神輿担いでる勘九郎の楽しそうな顔を見てなんだか救われたような気持ちになった。中日過ぎくらいから本当につかれきった顔で、大丈夫なのかこの人と思ってたから、さ。
カーテンコール的な場ではたいてい隅っこにいる勘九郎が「神輿だけは譲れねぇ!」って藤松が乗り移った感じでずっと先頭で担いでるのも微笑ましかった。
新三の女中の扮装?を拵えて小山三も登場、幹部役者のご挨拶も一通り終わって、ここからがスペシャル第二弾。これが凄かった!

新門の鳶頭の木遣り歌(いやあ美声でした!)に続き相撲甚句(もと関取大至。この人甚句名人だよね)。これまたなんていい声、いい節回し。♪はぁ~ドスコイ、ドスコイの合いの手を入れてるのが彌十郎さんともうお一方で。彌十郎の美声と、もと関取と並んでも見劣りしない体躯にも感動w

木遣り唄のときには雷まで始まって、天然のドラムサウンドまでプラスされ、なんだかものすごいコラボになってましたw聞こうと思って聞けるものじゃないからねぇ、こういうのって。なんか本当に中村屋(たぶん父親)は「持ってるんだなあ」と実感。
ここら辺から腕組シニカル観劇派のlavieも立ち上がりいわゆるスタオベ状態。これで興奮しなかったら江戸っ子じゃねぇ!

って江戸っ子じゃないんですがwww

耳はいろんな江戸の音に傾けながら目は勘九郎と萬太郎を探せ!
勘九郎はわかりやすいんだけど、萬太郎はちっちゃくてわかんねーや、と思ってたら、勘九郎がみこしを担げよ!と新悟を誘っていて、その新悟が萬太郎も一緒に行こう!と袖を引っ張っている現場を目撃。「ねぇねぇいこーよ!」「いやだよ、絶対いやだよ」みたいなやり取りがあって、結局新悟も担ぐのをやめてたw
なんなんだこの引っ込み思案な二人は。かわええ。まったくかわええ。

てな感じで会場もlavieも最高にもりあがってるところに七緒八登場。パパ→じぃじ→パパ→叔父さんに交互に抱かれている姿は祭の日と同じなかむら格子で特注した鳶装束。鉢巻が似合うねぇ。さすが七緒八なんて名前伊達に付けられてないわw
あまりのうるささ(客も天気も神輿も)にさすがの動揺しない王子様も泣きそうになって早々に引っ込んじゃったけど。

ああ、この子も泣くんだ、とちょっとほっとしたりしてw

とりあえず大騒ぎをしているうちに大嵐も収まって、小屋を出たときには小雨、浅草駅に到着したときには完全に雨がやんでいたという・・・

最後の最後までドラマチックにやってくれるなあ、ともう喜んだり苦笑したり、(さすがの仕込み嫌いのlavieも天気の仕込みまでは文句付けられませんわwww)の最終公演でした。

生来の皮肉屋ゆえ、いろいろいちゃもんもつけましたけど、この七ヶ月を一言で締めくくるなら、

あー楽しかった」になるんだなあ、これがwwwww

だったら最初から素直に楽しんだほうがいいじゃん、と思った方、正解!いやあもうこれはサガなのでしょうがないですな、突っ込み体質。

蛇足ですがタイトルの言葉、文学史で習いましたよね?ドイツのある文学運動を示す語で、一般には疾風怒濤と訳されてますが、実は大嵐と衝動、みたいな意味なんですってね。
この訳のほうが今回の大詰め嵐にはふさわしい!

画像は七ヶ月毎日通った中村座近くの隅田公園入り口付近。最後は紫陽花が綺麗でした。


コサンザの涙、キツタロウのジャンプ、キクジュウロウの礼

2012-05-27 | kabuki a Tokio

中村座「本来の」楽、昼夜あちこちカットしつつw見てきました。

昼の部

目覚ましかけるの忘れて寝坊、遅刻必至になってしまった・・・
で、あまりに天気がいいのでもう一幕パスしちゃえと隅田川リバーサイドウォーク。
7ヶ月一度も渡ったことのない言問橋を渡ってスカイツリーの街、墨田区へ。墨田区に足を踏み入れたのってひょっとして生まれてはじめてかも?そんなことないか?ってくらいなじみのないエリア。
といっても川沿いに橋一つ分歩いただけなんですけど。好天のスミダリバーはまるでセーヌのようで。いや、ほんとにセーヌも少し外れてラジオフランスあたりまでいくとこんな感じだもん。とても気持ちよかったっす。画像は言問橋と桜橋の間付近から対岸の中村座を。桜の季節に来たらよさそうだったのに。もうすぐ左の茶色い建物は姿を消しちゃうのね、とちょっとしんみり。

濡衣ちゃんには明日会うことにして、ふた幕めから。

 

千社祭

この日は「なんちゃってお大尽席」と勝手に呼んでる2階お大尽席隣だったのですが、いやー、ここ、舞踊を見るには最適のポジションですね。
全体が見渡せ、かといって遠すぎず、表情もオペラグラスを使わずに見える。

ってことで本当に堪能しました。

初日近辺では余裕の勘九郎、vs必死な染五郎っていう印象だったのが、染五郎が演舞場掛け持ちがなくなって?楽になったせいか?とてものびのびとしていて。
両者の力が拮抗していてこそ、こういう二人舞踊はより魅力を発揮するのだなあ、と。
せっかく正面席なので、できるだけ二人のアンサンブルを見ようと努力していたのですが、やはりどうしても勘九郎の動きに目が吸い寄せられてしまうのは、しょうがないのかなw
善悪交代バージョンも見てみたいなあ、ぜひとも。あと、亀治郎とも。いや、もう亀治郎とは無理だから猿之助とも。

め組の喧嘩

これ書いてるのが翌日の追加公演を見た後なので、どうも記憶が混在している・・・
芝居としては本来の楽であるこの日のほうがずっと役者の緊張感といい、上質だったと思う。あ、それは二つ目の踊りも同じね。
新たに感心したのが序幕二場のあんまのちょんま役、千次郎。なんてことないんだけど、江戸の庶民の風情を漂わせるこういう役がよくないと芝居が締まらない。この人、三月の試演会での大蔵卿でも思ったけど、地味だけど味のある役者さんだと思う。歌も巧い。
勘三郎の辰五郎、何が菊五郎に比べて物足りないかいろいろ考えているんだけれど、結局愛嬌が勝ちすぎていて、思慮がないように(lavie流に言えばアホっぽく)見えてしまうことに尽きるんだろうね。これはもう、勘三郎の魅力でもあるところなので、いかんともしがたい。この辰五郎が好きな人はそういう「手下といっしょになってわいわい言いそう」な雰囲気がすきなんだろうし。好みの問題かな。
というわけでどこをどうやってもらって、たぶんあたしにとっては菊五郎の辰五郎のほうが上なんだろう。
そして藤松は圧倒的に菊之助より、勘九郎。
かといって、辰五郎を菊五郎、藤松を勘九郎がやればベストかというとそうでもないところが芝居の妙w

てか正直、数年後(早すぎる?)には勘九郎の辰五郎も見てみたいなあなどと。ファンって結局そうなるのよね。いい芝居でニンっぽいのは贔屓の役者で見てみたくなる。

男女蔵、錦之助といった器用じゃない役者もようやく乗ってきた感じで、鳶一同はそれは魅力的でござんした。
いてう橋吾の鳶vs取的一対一対決は、やはりどうしてもミツエモンミツノスケあたりと比べちゃうんで、まだまだだけど、まあここらへんは若い必死な感じを愛でるとするか。

大詰め、いつもは開かない後ろが開いて、神輿が乱入。三社祭ヴァージョン再び、ですな。三社祭の時には見にこられなかったのでうれしいサプライズ。

なんでも祭の時以外は担ぎ手が集まるのは難しいんだけど、この日は日曜日、そして中村座楽ってことで意気に感じた?担ぎ手がすぐ集まったそうです。こういうのは中村屋お得意そうだもんねぇ。

 

そして夜の部へ。

これまた一番目の毛抜は、パス。
往年の萬次郎ファンの某女史に萬次郎の(今では)珍しい前髪姿をお目にかけたくて(てかあたしは浅草散歩のほうが毛抜より楽しいw)、一幕交代しました。
昼下がりのお散歩は前から行ってみたかった馬道付近のカフェへ。ここまったり出来ていいですよ。もうひとつこちらも。ここは中村座に通ってる間何回か行きました。ただ浅草茶房のほうはおじさんがたった一人で3フロア仕切るという無茶な体制なので、時間がたっぷりあるとき限定のお薦め。茶房うまみちは、マダムのお知り合いの常連さんがいつもいる感じなので、そういうのが嫌じゃない方へ。
ってことでこれまた二つ目から。

志賀山流三番叟

これが圧巻だった・・・

まずは口上。勘三郎はいつもどおり+α(詳細忘れたw)で無難にこなし、小山三へバトンタッチ。
小山三もいつもどおり・・・だったのだけれど、最後に「わたくしは浅草鳥越の生まれで、この地でこうして口上が述べられるのは・・・」と付け加えてあとは涙に咽んでしまった。
基本的に役者が舞台で泣くのは最低だと思ってる人間ですが、90すぎたら許すwてか、しょうがない。
客席が泣き女になってるのは相変わらず嫌だけど(毒)。

口上だけで盛り上がり放題盛り上がって、まるで舞踊がつけたしみたいになっちゃうんじゃないの?と一抹の不安を抱いたのだったが・・・いやはや勘九郎、怖ろしい子。いや怖ろしい親w

この人のことをいつも「赤い靴を履いて生まれた」と表現してきたのだが、この夜の踊りに関してだけはもはや「赤い靴すらいらない」と思ってしまった。
それくらい、虚心坦懐、無になって、ただひたすら無上なるものにささげつくす『供物」としての踊り。
三番叟という演目の特徴でもあるのだけれど、奉納舞とはこういうものなんだな、と実際の神社仏閣で踊られたときよりも、ずっと実感させられた。

鏡獅子のときにも自分だけを見つめて内へ内へと入り込む巨大なエネルギーを感じたのだけれど、今夜の三番叟は、それを凌ぐほどの巨大なマグマを内に秘めた、「表面はあくまで淡々とした」形を感じさせた。この人の踊りはどこまで深化(進化ではなく)するのだろう?

鶴松はもちろんその境地には程遠いのだけれど、本当に行儀よく、あちこちで「いい形!」とかけたくなるいい筋の踊り。背が伸びないので女形になっていくのかなあ?芸筋としては七之助より勘九郎と合いそうなので、ちょっと期待。一度勘九郎が親で鶴松が子の連獅子も見てみたい。

 

そして夜の部、いや今月の、白眉(圧巻と白眉はどっちが上とか突っ込まないように!)

髪結新三

 

途中までは完璧!だったと思う。

なにより勘三郎の新三は、掛け値なしに当代一(当社調べ)。
め組の辰五郎のときには邪魔にすらなった愛嬌が、新三をただの悪党ではない「憎みきれないろくでなし」に膨らませてくれている。
60近くとは思えない若々しい色気が、ひょっとしておくまちゃんは本気で新三のこと好きになっちゃったかも?と思わせる倒錯妄想まで喚起して。
決して容姿(特に身長)に恵まれた役者ではないのに、ここまですっきり二枚目に見えるって、どうよ?
出の前に♪オレは世界一いい男♪と1000回くらい口ずさんでんじゃねーの?(わかる人だけわかってください)。
対する忠七、梅玉。これはもう、よくぞ中村座に出てくださいました!と感謝感激平伏したいいい忠七さんです。普段の仲良し座組みで割り振るならば扇雀あたりになるのだろうけれど、いや、別に扇雀が悪いというわけではないけれど、もう、白塗り二枚目ややつっころばし、をやらせたらこの人の右に出る人はいない、と思われる梅玉を得てこそ、勘三郎の悪が本当にキラキラ輝くのだった。
勝奴の勘九郎、初日から初役とは思えないほどはまっていて、よい出来だったのだけれど、楽に至って、はまりすぎていて、なんだか新三が二人いるように見えてしまったのは良いのか悪いのかw
むしろ勝奴に欲しい愛嬌が一味足りないのかなあ。鍵をなくした振りしてすっとぼけるあたりとか、もう一息味が欲しかったかも。
大家の橋之助は、やや誇張がすぎるきらいはあるかなあ。彌十郎が源七と二役でやってもよかったと思うんだが。まあ楽しかったからいいんだけど。
亀蔵の気弱な役も、久しぶりでいいし、おくまちゃんの新悟も本当に巧くなったし、
とにかく大詰め近くまでは本当に堪能しました。

最後の最後に・・・大家が泥棒に入られた場面で、大家のおかみさん(橘太郎)が卒倒するところ。
20日過ぎに見たときも凄く誇張されていて、びっくりしたのだけれど、千龝樂すぺさるヴァージョンなのか、びっくりするほど派手に背中から落ちていて、客席大騒ぎ。役者も素なのかわざとなのかびっくりして、大家の橋之助がかなり台詞をすっとばしたり、混乱していた。
これを楽しいというのか、舞台行儀が悪すぎるというのか、微妙なところだが、この日初めて新三を見る客だって多そう(実際大詰め前の場面転換で、もう終わったと勘違いして拍手をやめない客多し)なこういう場面で、きっちり芝居を見せずにぐだぐだってのは、どうなんだろう?

そこまでの芝居があまりによかっただけに、ちょっと疑問に思ってしまった。
いや、げんばでのあたしは、大笑いして受けてたんですけどねwww

ってことで、勘違いカテコ騒ぎなどもありーの、で大詰めまで終わって、本物のカテコw
まあ新三は死んじゃうわけで、派手なカテコはしにくくて、それがかえってよかったかも。
後ろをあけてスカイツリーのライトアップを見せるサービスはあったものの、あとはシンプルに一人ひとりの挨拶など。
とにかく梅玉さんがうれしそうなのが印象的。
あとは、四季の季節感を入れての彌十郎の挨拶もよかったなあ。

菊十郎さんの控えめな挨拶、綺麗なお辞儀、そして最後には書割に隠れちゃってるしかぇめ(江戸風に言ってみたw)な感じがとても印象的だったのも特筆物。


ただ、勘三郎がやたら翌日の追加公演について「今日が楽で明日はおまけ」って言い訳してたのはちょい見苦しかった。
やっちゃったもんはやっちゃったもん、言い訳しちゃいけねぇよ、江戸っ子は。
しかもおまけにしたらずいぶん派手に翌日やってたよねぇwwww

まああたしが突っ込めるほど、元気になってよかったかw
嫌な部分は頼むからこれ以上元気にならないで、と思いますが。

基本的には(ぶらり浅草散歩も含めて)とても楽しめた楽でした。翌日の大騒ぎはまあおまけってことで。

芝居終わりでこんなものも初めて肉眼で見られたし。(あたしの席からは見えなかったので)。できれば江戸紫ヴァージョンが見たかったけど。

 


 


 

 

 


プチ観光付き浅草一泊二日の旅

2012-05-21 | kabuki a Tokio

中村座夜→昼→→試演会というハードスケジュールをこなすべく浅草支局に一泊して万全の体制?
画像は新装オープンした浅草観光事務所の屋上カフェから。仲見世の人ごみを俯瞰できる場所って割りと少なくないですか?ちょっと面白かった。(ほかのお客さんはみんなスカイツリー側を見てたけどw)

さて、肝心の感想は・・・昼も夜も二度目で、まだ見るので本当に一言ずつで片付けます。

夜の部

毛抜の後見橋吾がものすごい目で橋之助を見守っていたのが印象的。翌日同じ役やるんだもんねぇ。
三番叟、新三ともに勘九郎が疲れてる様子が心配だった。芝居も踊りもちゃんとやってはいるんだけど、頬がこけ、目がうつろ。まだまだ襲名は続くわけで、ちゃんと休んで欲しい。

昼の部

正面から見たのは初めてだったのでw面白かった。
特に踊りの印象はやっぱり正面から見ないとわからない。これまたはつらつと見せてるけど、二人とも疲れてるなあ、と。
十種香は全員声枯れ過ぎ。のどの強いはずの七之助もやや枯れてたので、興がそがれた。
め組は大詰めの立ち回りがますます派手になっていて、誰か怪我しなければいいがなあ、と心配しちゃった。

さて、ここからちゃんとしたw感想を書くつもり

試演会

十種香

春希という役者、ちゃんと台詞言ってるのを見たのは初めてだけど、まだまだつたないね。だけど、そのつたなさ、そして丸顔のあどけない容姿が、八重垣姫の本来の姿のようで、興味深かった。七之助の容姿は綺麗だけれど、どこか妖婦ちっくで八重垣姫じゃないよなあ、と思うのだ。
仲之助の濡衣、いてうの勝頼もいずれもつたなく、つたなトリオで初々しい感じで、まあそれが合ってるかなあ、と。仲之助はつたなきゃだめだろ、と思いましたが。もう少し知的にみせてちょうだいな。
蜂須賀六郎の國矢が圧倒的に巧い。本役でもいいんじゃ?と思ったのはこの幕ではこの人だけ。

毛抜

よかった。特に弾正の橋吾。実はこの人以前にも勉強会でw陣屋をやっていて、そのときも実際についていて教わっているはずの橋之助よりも成田屋に似ている、と思ったのだが。
今回の弾正も、「らしさ」という点では、橋之助より上なんじゃ、とすら思った。團十郎と橋吾に共通しているのは、「おおざっばさ」というかいい意味での「自己中」っぽいところ。いや実際の性格は知らないが、舞台上でそう見えるわけね。十八番ものをやるときにそういういい加減さって絶対必要だと思う。橋之助の弾正が予想とちがってイマイチなのは、「芝居」をやりすぎてるからじゃないかなあ、と改めて橋吾を見て気づかされたのだった。橋吾だから、よけいに成田屋方式でやって欲しかったような気もする。やっぱり左團次型はいろいろつまらない。
そうそう、「○○相勤め候」みたいな木看板は名題下のときはかけないんだねぇ。かけてあげれば記念になったのに。

ほかには梅之の秀太郎がはんなりしてよかった。橋弥の玄蕃も、大きくてよかった。
しのびに橘太郎、腰元に歌女之丞というお目付けつかご馳走、つかも楽しかった。

たぬき会・供奴

正直梅丸のただしい鼓姿(ちゃんと打ててるし、端然とした座り姿の美麗なこと!)に目を奪われ、上手ばかりを見つめていたので、下手の勘九郎のチョー適当な太鼓に腹を立てることもなく(いや、もっといい加減な人がほとんどだったんだけど。それこそちらっとしか見てないし)、楽しく過ごせました。
いやあ、梅丸、怖ろしい子。綺麗な子。
そしてラッキーなことに萬太郎が梅丸のすぐ後ろで三味線を、こっちは本当に拙く弾いてるんだけど、いちいち隣の栄津三郎に教えを請う姿が真面目な性格を現していて、こっちもとても好もしかった。完璧な梅丸も好きだけどやっぱり拙くて一生懸命な萬ちゃんが好みだったりするのだったw
いずれにしても、最上手で完全にエア三味線だった扇雀とはえらい違いだ。扇雀なんて器用そうだし、ちゃんと習えばすぐ弾けるようになれそうなのにねぇ。

ってことで幹部でまともだったのは勘三郎萬次郎くらいかな。二人とも立三味線・立鼓を引き受けるだけのことはあるかも。…って技量だけなら立鼓は梅丸だと思うがねぇw

座談会

ひょっとして?と期待したのだけれど、梅丸くんは本興行に出ないからか、座談会出演なし。
全員一言ずつのご挨拶のあと客席とのQ&A。、試演会出演役者のご挨拶、そして締めくくりに梅玉&勘三郎が挨拶して、一本締め。

知ったことであたしにかかわる部分をメモ。

来年秋の大阪仲村座には勘九郎は同道しない。来年7月にはNYで公演。これに勘九郎が同道するかどうかは言及なし。大阪がNYの凱旋で設定されてるならNYもなしかな?だったら行かなくて済むんだけど。なぜヨーロッパに行かない!
三年後再び浅草で中村座を。これは前々から言ってる「還暦になったら助六をやりたい」の実現だろうと思う。勘三郎の助六、見たいような見たくないような。
ちっちゃいんだろうなwww

 

蛇足・浅草観光メモ(三社祭やスカイツリーなど、時のものはすべてはずしてますw)

1.観光案内所のカフェはまだまだ知らない人が多いらしくお薦め。カフェ横の椅子はただで座れるし。
2。各フロアにトイレがあるので、緊急時にも案内所に飛び込めば、まず待たずに用を足せます。一階でのご案内は地下トイレになってるけど、上に行ったほうが空いてるはず。
3.浅草観音温泉はレトロ好きに有名だけれど、本当の、根っからのレトロ好き以外には、レトロすぎてあまりお薦めできません。正直、お湯につかりながら「今直下型が来たら確実に圧死だな」と思ったことも付け加えておきます。
4.一泊後の翌朝は金環食の日でした。浅草支局(要するに友人宅)の外で、スカイツリーと金環食のペア鑑賞という贅沢を味あわせてもらいました。私どもは日食メガネなる無駄モノは持っていなかったのですが、下町の人情あふれるおじさまおばさまたちがメガネを貸してくださいました。実は曇ってたので肉眼のほうが綺麗に見えたのですが・・・

 


松嶋屋っ!

2012-05-16 | kabuki a Tokio

演舞場昼の部見てきました。

油地獄がとてもよかった。あと二つはまあ・・・

西郷と豚姫


実は翫雀の女形がかなり好きなので、かなり期待していたのだけれど・・・
思ったよりよくなかった。太目の体型の愛嬌は出ているのだけれど、中に隠された女の哀しみみたいなものが表現しきれてない、という感じ。
相手役(西郷)がイマイチだったせいもあるかも。いや、獅童の当社比としては、がんばってたほうなんだけど、やはり、小物感がぬぐえなくて、最後の別れも、普通に「掌返した不実な男」にしか見えないという・・・

今月、毛抜といい、これといい、「團十郎の偉大さ」を改めて認識する月間に図らずもなっているような。
決して巧いともかっこいいとも思えない当代成田屋だが、何か口では説明しきれない大きさ、暖かさがある、やはりかけがえのない役者なのだなあ、と。

松也の酔っ払い芸者が哀れでよかった。欠点を「デブ」じゃなくて「デカ」にして西郷とキリン姫だったら主演できるw
児太郎は児太郎なりに少しずつ成長してる、と雛勇を見て思った。しかし昼の部どこ見ても児太郎が出てくる演舞場って・・・昼の部どこ見ても勘九郎が出てくる中村座とのレベルの差がわかりやすいっちゃわかりやすいw

紅葉狩

好きな役者なので。あえて言いますが、福助、手も気も抜きすぎ!
別に扇をおとしたから言ってるわけじゃなくて、全体を通してメリハリのない芝居、特に女形ならちゃんとしてるべき赤姫の部分がまるでダメ。
10日過ぎて、録画の日でもなく、いちばん中だるみ(一生懸命が売り?の中村座ですら感じた中だるみだし)のころだから、と言ってしまえばそれまでだが、三階客にまで伝わるほどの手抜きってどうよ?

ニュージェネレーションでは萬ちゃんの次に好きな種之助が意外にもたくさん台詞をしゃべると棒だったのもがっかり要因。又さん歌昇くんから類推して下手なわけないと思ってたんだけど!踊りはしっかりしてるので、まあ今後に期待。なんせ隼人のほうが台詞はしっかりしてたわけで、野菊の児太郎も含めて、場数が大切ってつくづく思った。

維茂の獅童は今月の中ではいちばん無難。こういう型のある役のほうがやはり彼には無難なのだと思う。しかし、彼もまた少しずつ「歌舞伎役者」になりつつある(遅!)とまたまた「場数」の大切さを痛感。

山神を誰がやるのかしらと思っていたら愛之助で仰天。いや、別にいいんだけど、やはりここははつらつとして踊りの巧いのがやってくれないと、目が覚めないのではないかと・・・

 

…ということで夜に引き続きはずれっぽい演舞場だなあと思っていたら最後にえらくいいもん見せてもらいましたよ。

愛之助の

女殺油地獄

もう最初から「どうせ仁左衛門の写しでしょ。ニザさんそっくりだけど、ニザさんにはまったく及ばないんでしょ」

という先入観バリバリで、貶す気満々だたのですがwww

いやあ。愛之助に謝らなければ!

何がいいって、前半、特に出の場面。

どうしても品と貫禄が拭い去れない仁左衛門と違って、もうどっから見ても、根っからの「河内のチンピラ」なんですわ。
小物感、小心者ゆえに肩で風切って歩く感じ、隣家の女房に頭が上がらないくせに、友人に見得張って「あんなおばはんなんでもないわい」みたいにすかす感じ。
すげー。愛之助。等身大の与兵衛に見えるという意味では仁左衛門を軽く超えてました。
この絶好調は脇の好演に支えられているのも大きいと思った。河内屋の場での徳兵衛の歌六、太兵衛の亀鶴、妹の米吉、みんなすこぶるいい。中でももう白眉といっていいのが秀太郎の母おかち。究極のツンデレというか、冷たく見せておいてものすごーーーーく情があるという、ひでたらさんならではのおかち。見るからに愛情満点の竹三郎さんも悪くないけど、ひでたらさんとらぶりんの関係を考えると、やっぱりツンデレのほうが、萌えるわんw

お吉の福助も、年上だけれど色香が残っていて、っていうのがちょうどいい年回りで、本当にぴったり。
油屋店先の殺し場では、愛之助はさすがに凄惨な美しさでは一歩も二歩も仁左衛門に劣っていたのだが、それを福助が救っていたと思う。
この人、本当にVICTIMって感じがするんだもん。もう、歌舞伎によくある「殺されるために設定されて生きてる」感じが全身から匂って来て。
仁左衛門の相手がほとんどの場合、孝太郎なのと違って、やはり女の色香が漂う殺し場はよくない雰囲気が漂ってとても歌舞伎。

個人的には前半愛之助、後半仁左衛門(殺し場のみでよし)、お吉福助で上演したらこの芝居最強だと思ったんだが・・・なかなか難しいんでしょうか。

いやあ、久々に愛之助の芝居に感心した、素敵な日でした!


三階の大部分は女子高生の団体が入っていたのですが、油地獄には息を呑んで見入っていた様子。教育上いいか悪いかは知らないけれど、ある意味とても現代的な作品を、同世代の役者たち(児太郎とかハヤトとか、リアルに同世代だよね)が演じる姿は興味を惹かれたようでした。


ちょい中だるみ気分?

2012-05-14 | kabuki a Tokio

客のこっちが?舞台のあっちが?よくわからないけど、中村座夜の部二回目はタイトルのような気分。感想はまたいずれ。

と書いたけれど、それほど書くこともないので。なぜ乗れなかったのか、ちょこちょこメモ。

志賀山三番叟

面明かりだけで本当に幻想的だった初日より、全体に明るくなってしまい、江戸っぽい雰囲気が薄れた?
口上で小山三がえらい荒い息吐いてたのもちと気になった。

新三

勝奴の勘九郎が腰にサポーターかなにかをつけてるのか?着流し姿の背中に段々ができていて、粋じゃなかった。体のあちこちにガタがきてて大変なのだとは思うが、外に見えないようにしてもらいたいなあ、やっぱり。

そしてこちら側の事情として、風邪気味で体力切れ。

…ちっちゃなことばかりなんですけどね。

あと、具体的に表には出てこない役者の微妙な疲れ、慣れによる緩み、など、こっちも、なんとなく感じ取ってしまっているのかもしれないね。(ちっとも疲れてないし、緩んでない、とおっしゃるのでしたらごめんなさいませ)。

 

初日に、初めて退屈しなかった新三、今回はちと長いなあ~と思ったことを告白しておきます。

そうそう、緩みや退屈が一瞬吹き飛んだのが大家のおかみ、橘太郎のスライディングw
初日はあんな転び方してなかったし、昨日だけのハプニングだったのじゃなかろうか。勘三郎も勘九郎も、一瞬素に戻ってたように見えた。

 


芸能レポーターの日々その2

2012-05-10 | spectacles

今回はあの有名な二股男こと、塩谷瞬の芝居、(と世間では言われている)土御門大路です。もちろん、芸能レポーターとして、ではなく、段ちゃんこと月さまこと、市川月乃助目当てです。明日も行く予定なので←バカ、感想はたぶん二回まとめて。

記者会見はこんな感じだったのね。月乃助が妙にうれしそうだw

題字(上のチラシ参照)が先ごろなくなった雀右衛門ということでどうして?と思っていたらこの作品の初演はジャッキーの長男と次男が主演だったそうで。友右衛門と芝雀ね。「第一回幻想歌舞伎・土御門大路」と銘打って1992年に上演されている。第二回幻想歌舞伎があったかどうかは知らないが。
つまりはもともとは一応歌舞伎だったんだねぇ。
劇中、五世呂大夫が鉄輪の故事を浄瑠璃節で語っているのだが、能が原典なのにどうして?と思ったら、そういうことだったのね。

たぶんまったく別物になっちゃってると思うんだけど・・・

えっと。

面白くなくはなかったです。微妙だけど。

とりあえず段ちゃん、じゃなくて月さま・・・どうも月さまってのも違うんだよね。ってことで、某掲示板からヒントを得て、これからこの方のことをモトダンと呼ぶことにします。元段治郎。元旦那みたいでちょっといいじゃない?亀ちゃんファンがこれからなんて呼べばいいの?って悩んでるらしいが、モトカメでいいんじゃない?

というのは余談。

で、モトダンは超かっこよい。これはいつものことだけれど、いつもにも増してかっこよい。そして、またこの顔ぶれに混じると所作も台詞も段違いに巧い。もうびっくりするくらいに所作が決まっていて、台詞の迫力も凄い。

…つまり、その、モトダンが超名優に見えてしまう。その程度の顔ぶれだったんですなあ…

ワイドショーをにぎわす戦隊物ヒーロー出身の役者(塩谷瞬)に期待していたわけじゃないけど、思ったとおり棒だった。無理して時代劇やらなくてもいいんじゃないか、と思った。そもそも台詞の意味がわかってないと思う、あのイントネーションを聞いていると。
しかし、この人がパッチギ!の主演だったと聞いて肝をつぶした。当時映画見たけれど、顔違ってない?

まあ脇が薄いのはこの程度の芝居ではしょうがないんだろうけれど、いちばんがっかりしたのが宝塚の男役トップスターだったというヒロイン役の人。大和悠河って、有名?

巧い下手はおいといても、(いや下手なんだけど)、前半の貞淑な妻のところはまだしも、後半、鬼女に変身してからのすさまじい迫力が・・・まったく・・・・ない。
呂大夫の語りに乗せての後半の出があまりに酷くて、昨日はため息ばかりついていたので、二度目の今日はばっちり目をつぶって彼女を見ずに呂大夫の世界に浸りました。邪道かもしれないけど、ずっとよく鉄輪の世界に入れました・・・

いったん消えて、鬼界に引き入れられた春宮の悪霊(舘形比呂一、ダンサーだけに芝居はいまいちだったが立ち回りの迫力は最高!)とモトダン演じる陰陽師の戦いのシーンが最高に盛り上がり、さて、ラスボスの鬼女登場!でまた一気に盛り下がる。

これ、なんとか今回も幻想歌舞伎にできなかったんですかねぇ。笑三郎あたりがやってくれたら申し分なかったのに!贅沢はいうまい、春猿でも笑也でもいい!

鬼女があまりにあまりだったのだけれど、鬼ふたりもたいがい酷かったなあ。怪しさもおおきさも何もない。特に一人が酷すぎる、と思って調べたらなんと北島三郎の娘だって。とほほ。

モトダン以外でまともだったのは、舘形の所作と、猿琉くん(気弱な宮司を面白く演じていた)くらい。
あとは、コミカルな演技を要求された三人の女優とか、悩める浮気男の黒田アーサーとか、もうどれもこれも・・・・

これ、本当にもったいない。

もう少しまともな座組でやらせてやりたかった。

 

…とはいえ、会場の花の数は圧倒的に宝塚さんのほうが多かったし、客も宝塚ファンが多かったので、やはり、こういう人と組むことが営業上は大切なのでしょうか。

いや、宝塚が悪いというわけじゃなくて、せめてもう少しできる人を選んでくれ、と。

 

まあいっか。モトダンは無条件にかっこよかったから。

ああ、大歌舞伎で見たい。見たい。見たい。書き物とかスーパーじゃなくて古典で見たい。

今現状でモトダンが芯を取れる現場というのがこのくらいなんだなあ、ということは痛いほど認識しつつ、かっこいいモトダンを見れば見るほど欲求不満はつのるのでした。

 

…気を取り直して芸能レポーターとしてのお仕事(違う)。

塩谷いじりの台詞。

「女にはくれぐれもお気をつけあれ」(もとの台詞)に、日替わりでアレンジ加えてるみたいで
「さすがに懲りておられるであろうが」とか「なに、まだ懲りておられない?」とか言って笑いを取ってました。

もうひとつの芸能レポーター的興味。
愛川実花さんに愛之助からお花が!↓暗くて見難いですね。一応せっかく撮ったので。
恋愛は終わってもお友達としてね!ってことなんでしょうか。

塩谷宛の芸能マスコミからの花は・・・・なかったなあw

 


…ん?…駄作?

2012-05-09 | kabuki a Tokio

恐れを知らぬlaviedureさん、今回は昭和の大文豪に弓引いてますかw

弓といえば椿説弓張月。とってつけてます。演舞場花形夜の部。

正直タイトルどおりの感だったんですが・・・ははは。

特に前半「つかみ」の部分に、魅力が乏しいので、客が寝る寝る。

とりあえず初見なのでがんばって起きてましたが、寝不足だったらきっと寝てた。
馬琴の原作どおりの展開なのか、三島オリジナルなのか知りませんが、通し狂言の始まりとしたら、できの悪い俊寛みたいな絵面はどうなんだろう?
夜の部だからか、夕食終わりに真っ暗な崇徳陵の場面ってのも、また寝てくださいといってるだけみたいな。本当に周りほとんど寝てましたから!

ここをがんばって起きてたのと、幕間に三島の肉声が聞ける!というのに惹かれて数年ぶりに借りてみたイヤホンガイドのおかげで、筋がわからなくなったりはしなかったけど、イヤホンガイドなしで、途中で寝ちゃった人はきっとわけわかんなくなっちゃったんじゃないかなあ。

いや、退屈な歌舞伎が悪いといってるんじゃないです。退屈でも面白い歌舞伎はあるし。面白く見せられる役者はいるし。

後半のいわゆる見せ場の「責め場」と「スペクタクル」はさすがに起きてる人がほとんどだったけれど、責め場は、七之助の琴の下手さに気が取られて、(以前の仁左衛門の三味線といい、無理やりナマで役者に弾かせることにそこまでの意味があるとは思えない。それこそ阿古屋とかならともかくも)、責め場に集中できなかったのと、薪車の鍛え抜かれたボディ(まさにボディなんだわ)は歌舞伎っぽくなくてちょっと・・・だった。三島が生きてたら、薪車で喜んだかしら・・・これまでの武藤太が段四郎・助五郎(当時)・猿四郎と、いずれも美形とはいえない役者だったのも不思議だけれど、美形ならいいってもんでもないような気がした。

スペクタクルは、宣伝したほどのことはなかったかなあ。大波とか船が割れるのとか、なんだかちっとも盛り上がらなくて「大道具代がもったいないなあ」などとぼんやり考えていた。だって一階に空席も目立ったし、きっと赤字だよ、これ。

個人的にいちばん気に入ったのが下の巻。琉球が舞台でありながらちっとも琉球じゃない舞台設定がいかにも歌舞伎で、浄瑠璃の詞章もさすがによく、三島が歌舞伎がすきなのがよくわかった。
一つ家の老婆を思い起こさせる翫雀の世話場面が本当によくて、ようやくほっとした。

前半からずーーーーーっと物足りなかったのはひょっとすると三島の脚本のせいではなくて、その脚本世界に沿って、客をひきつけられない役者たちのせいだったのかもな、と思ったのだった。
染五郎は為朝をやるにはいかにも線が細く、すでにつぶれたのどで痛々しささえ覚えてしまったし、脇の役者も、気の毒なほど華がない。花形なのにw

歌六と福助がさすがの貫禄を見せる以外は、愛之助と松也ががんばっていたかな?
完全に一つ下の世代の鷹之資の品格と、玉太郎の可憐さのほうが目に残った。

…三島的には死の直前、文学的キャリアから言えば才能が尽きたころに書かれたものだと思うんだけれど、それにしても、これ、三島作品でなければ復活されなかっただろうなあと思われるクオリティだと思うよ、やっぱり。それを埋めるには役者の大きな魅力がなければ無理で、とても花形でやり切れるものではないと、痛感させられた。

まあ、三島ならではの「聖セバスチャンの殉教」っぽい責め場や、最後に一人死出の旅に出て行く主人公、(それ以外もほとんどみんな死んでしまうんだけれど、死ぬほうが自然な世界観)などの美学世界を味わえるといえば味わえるので、珍品だと思って味わいました。

世の中の珍味がそうであるように、スタンダードにはなりえない作品だと、思います。

 

そうそう、650円払って聞いた三島の肉声。これはとても面白かった。国立研修所一期生に講義したときの抜粋なんだけれど、意外にも13歳まで歌舞伎を見せてもらえなかったこと(教育上よくないと思われていたらしい)、初めて見た歌舞伎は無人芝居の忠臣蔵で顔世御前がしわだらけなのに動転したこと。それなのになぜか強く惹かれたこと。なにより興味深かったのが

「歌舞伎はいつでも今が最低。昔の名優はよかった、といわれてなんぼ」という述懐。
年をとらないと見えないものがあり、年を取らないと出来ない芝居がある、それが歌舞伎だと。
徹底して美青年趣味だったのかと思っていた三島の発言としてはとても意外だった。

そんな三島がこの晩のまさに「今がサイテーの花形」連中の歌舞伎を見たら、どう思ったんだろうかw


芸能レポーターの日々その1

2012-05-08 | spectacles

いや、離婚騒動の渦中の宮沢りえを観に行ったわけではなくて、THE BEEはずっと追っかけてるだけなんですよ。ははは。

実はその2が近々あるわけで・・・まあそれはともかく。

THE BEE japanese version

英語版日本語版あわせて四回目のTHE BEEですが。

…正直いちばんつまらなかった。

原因は、やっぱり宮沢りえ、かなあ。
ここんとこ目覚しい成長を遂げていて、いまや大好きな舞台女優の一人になりつつある彼女だけれど。

この濃密な世界、めまぐるしく動く肉体的能力も含めて、やっぱりちょっと弱かったという感は否めない。
その分、野田の存在感が増しているのだけれど、正直、増しすぎていてw「野田秀樹ショー」になっちゃってる感じ。

演出も、今までの四パターンの中ではいちばん具体的で、説明的で、たぶん初めて見る客にはわかりやすかったのかもしれないが、個人的には言わずもがな、見せずもがな、の説明が多すぎたと思った。
何より違和感を感じたのが野田のサラリーマンが「あくまで普通の市井の人間」に最初っから見えないこと。普通の人間が狂気に陥っていくから怖いのに、昨夜の野田は、最初から狂っているように見えた。

あと、やはり女の役を女、しかも美人が演じることによるある種の肉肉しさというか、色気というか。前回の日本語ヴァージョンの秋山菜津子にはそれほど感じなかった「おんな」感を宮沢から感じてしまったのよね。

脇の二人、特に池田成志もちょっと物足りなかったかな。

いずれにしても、キャサリンハンターのひとり芝居を見た後では、やっぱり彼女のTHE BEEがまた見たい!と思ってしまったのだった。

そうそう、タイトルの一件に関しては、まったくレポーターを見かけなくてちょっと残念でしたw楽屋入りのときはけっこういたみたいね、ワイドショーによると。
仲村トオル(秋に野田芝居に出る予定あり)が近くで観劇していて、いやあかっこえがった。眼福、眼福。これで元とったかもwww


出口のない猿

2012-05-06 | spectacles

カフカの猿@シアタートラム観て来ました。

いまやお気に入り女優ナンバー1といってもいい、キャサリン・ハンターの一人芝居。
THE BEE、THE DIVERなど野田作品以外で見るのは初めてです。

アフリカで捕獲され、「脱出への出口」を求めてヒトになることを選んだ猿が人間として「ある学会」で報告をする、という奇想天外なシチュエーションは原作のカフカならでは。

まあ原作がカフカだし、キャサリンという役者の持ち味もあいまって、見ている側はそれはいろんなメタファーを求めてw脳内でうろうろするわけです。猿=黒人奴隷なのか、とか、欧米社会におけるユダヤ人なのか、とか・・・。それはとても面白い知的遊戯だし、どれもこれも間違ってはいないと思うけれど、そういう脳内遊戯をしながら、実はこの芝居を見ていていちばん楽しかったのは、ごくごく単純にキャサリンの上海雑技団的肉体パフォーマンスとか、すばらしい間の客いじりとかにシンプルに感動する場面だったりした。

個人的に不条理劇とか聞くと、金輪際みてやるもんか!と思ってしまうインテリミーハーの分裂性格者なんですが、今回、キャサリンに釣られて思わず見てしまったこの「不条理劇」は「不条理劇」のいやらしい知的生活ぶりを軽く飛び越えて、なんだか素敵な「非日常」になっていたのだった。

いい意味で軽く、笑えて、でもやっぱりラストには胸を突き刺すシーンが待っていた。

猿であることを捨てて「出口としてのヒト」の地位を、死ぬほどの努力の末に手に入れた主人公のピーターが、結局ヒトとしても中途半端、猿にも戻れない今の自分を淡々と語りつつ、「SMELL ME」と客席に訴えかける場面。
知的に表現wするならばアイデンティティの喪失、とでもいうのだろうか。「ここではないどこか」にあこがれすぎて「どこでもない場所」にしか居場所がなくなった存在の、哀れさと滑稽さと、それでもその自己に矜持を持っていることへの共感と悲しみ。
見ている人間のそれぞれの感性、立場によって感じ方はいろいろだろうけれど、二度目の「SMELL ME」ではしーんと静まり返った客席で(一度目では軽い笑い声が起きて、なんで?と思ったけれど、まあ滑稽味もないことはなかったよね、後で考えれば)、一人ひとりが自分の「SMELL」について感じていたんだと思う。

猿としての存在からの「出口」を求めてヒトになってみたけれど、そこには結局また「出口」なとなく、ヒトである彼は、結局「出口をなくした猿」にしかなれなかったのだなあ、と。

まあ、結局いろんなことを脳内遊戯的に考えてしまったのですがね、この「出口のないメス猿」はw

とにかく超人的肉体表現者としてのキャサリンを愛でられただけでもすばらしい体験だったし、この人のひとり芝居をニッポンで、興行として成立させる存在にしてくれた野田秀樹にも改めて感謝!
野田がいなければ、一生キャサリンのナマ芝居を見ることはなかったと思うので。

余談

カーテンコールのときの、「普通のかわいいおばさん」に戻ったキャサリンを見て、この人が本当に普通のおばさんを演じているのも見てみたいなあ、などと思ったりもしたのですが。
日本で言うと(いや、東西比類なき女優だと思うけど、あえていえば)市原悦子+白石加代子的な存在かなと思うけど、素顔の普通さは市原さんなんだよねぇ。ごく淡々と普通のおばさんが出来そうな感じ。
イギリスのソープドラマで家政婦は見た!みたいのやってくれないかなあ。やらないんだろうなあw


ちっくしょー、楽しいぜ

2012-05-03 | kabuki a Tokio

中村座初日昼夜観ると、今月は10時間仕事です。きついぜ。だけど、楽しいぜ。ははは。オーディエンス・ハイ状態だぜ.

一晩明けて、ハイ状態は治まったのだけれど、やっぱり楽しかったなあ。
志賀山三番叟と新三がある夜の部を楽しみにしていたのだけれど、そしてそれは二つともすばらしかったのだけれど、大して期待してなかった昼の部がよかった!

ってこれはたまたま取った桜席での大サービス&拾い物などが功を奏してるのもあると思うんだけど。正面から普通に観ても、たぶん、w楽しかったと思う。

とりあえず昼の部最初から

十種香

勘九郎の濡衣がやたら色っぽい。愛する人を亡くしたばかりのはかない悲しみと、お家大事の気概の板ばさみになってる、黒い衣装がまた映えて、黒衣の花嫁的クールビューティ。普通は綺麗綺麗な八重垣姫に注目するんだろうけれど、個人的にはこの二人が言い寄ってきたら絶対濡衣ちゃんを選びますなあ。
父親の襲名で濡衣をやる予定だったのが怪我で降板を余儀なくされ、今回は雪辱戦ってこともあってか本当に気が入っていて最高だった。勘九郎の女形フェチとしては、もう濡衣観られただけで大満足。
七之助、大成長中とはいえ、やっぱり丸本物のクドキは相変わらず操り人形状態だな・・・風情がない。
台詞はだいぶ進歩してきたので、あとは毎日寝るとき浄瑠璃流して睡眠学習でもしたらどうなんだろうw
勝頼が扇雀で、悪くはなかったのだけれど、二人の女形と比べると柄が小さいのがどうしても気になって。昼の部染五郎が一座してるんだから、染五郎がやってくれたら綺麗でちょっと残酷で、ぴったりだったんだけどなあ・・・

まあ個人的には濡衣ちゃんを観られただけで至福だったんで文句ないっす。

三社祭

久々の三段返し。十種香の幕切れとともに裾からげて楽屋にダッシュ!した勘九郎が今度は神功皇后になって登場。冒頭の踊りってこんなかんたんだっけ?てか四種の踊りすべて少しずつ簡略化されてたのかな?特に通人・野暮侍のところってもっと面白かったような記憶が。ここの部分が二人とも少し苦しかったかな。
先輩が悪玉ってのは決まりみたいだけれど、本人たちの持ち味からいうと、逆のほうがよかったような気もする。勘九郎の通人はどうしてもおとうちゃんと比べちゃうしね。

三社祭は悪玉の染五郎がなんか必死で踊ってるのが微笑ましかった。年下に負けられないもんねぇ。てか、ソレを見ながら、亀治郎と勘九郎で観たかったかな、などと思っちゃったのだった。ちょい負けてる相手に必死になってる勘九郎がみてみたかったんだよ。勘九郎、余裕のよしおくんでニコニコ踊ってるんだもん、善玉の面つけててもw

そうそう、三段目→四段目の早替わりの拵えを舞台の浅葱幕内でやる大サービスあり。これ、桜席だけの特典ね。拵え中上半身まっぱの勘九郎を凝視wしながらも、二人の拵えの準備の微妙な違い(顔の手直しを、衣装をつけた時点でやる人、シャグマ全部付け終わってからする人。暑さよけにセンスで弟子にあおがせるひと、舞台上に扇風機持ち込んじゃう人wなど・・・。そういえば染五郎は汗まみれの肌襦袢を脱がないでそのまま次の衣装をつけてたのかしらん。なんせあまり観てなかったのでw確認しなかったけれど、風邪引いちゃうよ!

拵え終わりでそっけなく引っ込む(せりに)勘九郎に対して、桜席に拍手を要求する染五郎。やっぱり勘九郎より勘三郎に似てるわ、染五郎w

 

め組の喧嘩

喧嘩の発端から、辰五郎の仕返し失敗のだんまり、辰五郎が焚き出しの親分に相談にいくところ、など普段は出ない場面があって話がつながった。焚き出しの親分なんて、通常上演ではいきなりかごに載って出てきたり、いきなりはしごの上で見得切ったり、正直この人誰?と思ってたもんでw

だからといって、やっぱり辰五郎はあほっぽいなあといつも思っちゃう感じは拭い去れない。鳶としてはこれでも思慮深いほうなんだろうけれど、結局くだらない意地の張り合いに命をかけちゃうんだよなあ。そこをあほっぽいと思っちゃうと芝居が成立しないんで、あほをあほじゃなく見せるのが役者のかっこよさ。あほでもいいやってほどかっこよければまあいっか、となるわけだが(ならない?)。
勘三郎の辰五郎は、いなせだし色っぽいんだけどやっぱりそれ以上にあほっぽいwそしてあほでもいいや、ってほどかっこよくもないw(勘三郎ファンさんいたらごめんなさい。あくまで私見です)。
ここはやっぱり菊五郎だよなあ、と思ってしまった。

ここでも桜席ならではの役得つーか席得が。梅玉さんのお付で黒子の梅丸くんが!丹前を着せたり、かいがいしくお世話を焼いてる美少年はもう・・・芝居よりずっと感動したぜ!なんていっちゃいけないんだけど、でも本当だから仕方ない。きっとGWだけのお手伝いだと思うんで、この日に桜席を取った自分を自分で褒めてやりたかったです。

桜席からの風景でもうひとつ興味深かったのが、大詰めの立ち回り前に道具検査?みたいなことを菊十郎さんがしていたこと、角力と火消しがそれぞれコンビで立ち回りの最終確認をしていたこと(これは初日ならではの段取り確認?)、それに終始下手の幕から橘太郎が立ち回りをちぇっくしていたこと。菊五郎劇団重鎮の菊十郎と橘太郎がいてこその、め組上演だったのだなあ、と感慨深かった。

芝居は・・・うん。面白かった。お祭好きの勘九郎は文句なくかっこよかった(この間みた菊五郎のめ組での菊若頭は真っ白で顔でかくて変だったんだけどなあ・・・やっぱり目鼻立ちが良ければいいってもんでもないんだね、役によっては)し、萬太郎くんの初々しいおんぶ振りもたのしかったんだけど、・・・だけど・・・・やっぱこの芝居が本質的にあまり好きじゃないんだと思う。

大詰めの立ち回りが楽しければ楽しいほど、ここまでしなくてもいいんじゃないの?と思っちゃう自分がいたりもするんでした。

 

ってことで昼の部は相当楽しかったんだけど、その半分くらいは桜席だったから、初日だったから、ってのもあるかも。
普通に正面で観たらどの程度楽しいのか、今度検証しますね。

 

で、夜の部。昼の部終わりが3時45分でカテコもあったので、あっという間に4時の開場。時間もないし、雨なので初めて隣のスポーツセンターに行って時間をつぶしてみました。チケット売り場のおっちゃんは評判どおりいい味出してました。

 

毛抜

雨じゃなかったら遅めのお昼をゆっくり食べて、パスしちゃおうかと思ってた演目。
観てよかったかも。何がよかったって、萬次郎。まさかの冒頭前髪役で、「えええこの座組で萬次郎さんにこの役?なんか失礼じゃないの?」なんて思ってしまったのもつかのま、優雅な身のこなし、身についた女形の所作の見事さに見とれてしまいました。女形のやる前髪のすばらしさを堪能。この部分がいちばんよかったんだけどねw

橋之助は弾正をやるなら團十郎の次にニンじゃないかと楽しみにしていたのだが・・・底抜けの明るさと、芝居が楽しくてしょうがないという風情が、きっとぴったりに違いない、とw
…何かが違うんだよね。どこが、といわれるとわからないんだけど、初日で緊張していたのかもしれないし、成田屋の型と微妙に違うのが違和感かもしれない。これって左團次型?あちらこちらで説明台詞が多くて、なんとなく、底抜けの破天荒さが足りない気がした。
萬次郎とともにゲストwの彦三郎がこの手の役ではさすがの安定振りで感心したのと裏腹に、若いくせに台詞も入ってない男女蔵とか、なんかちゃんとしてる人としてない人がはっきり見えた芝居でもあった。
萬次郎の所作だけ観るためなら・・・楽までパスでもいいかなw
錦ちゃんの謎の呪文「なりこまはっしーそわか」の再確認もしたいんだがw 

志賀山三番叟

冒頭にこの踊りの謂れなどを勘三郎と、なぜか小山三が口上で。てか小山三はなんで出てきたのかはイマイチよくわからないが・・・古式舞踊ってことで、古い人を出してみたってことかしらん。いや、別にいいんだけどさ。感激&恐縮してる小山三を観て泣くことはないと思うんだよ、お客さんたち・・・そこまでの感情移入、ちょっと気持ち悪い。

志賀山流ってのは藤間も坂東もなんとかも・・・全部そこから出てるっていうありがたい流派らしくて、この踊りも初代仲蔵や三代目歌右衛門などの踊りの名手によって受け継がれてきたもの・・・らしいんだけど、いちばん印象に残ったのは「鈴を鳴らしちゃいけない」ってところで。本当に鈴が鳴ってなくてすごい、勘九郎

その後、鈴を三宝に入れて後見が運んでただけでも鳴ってたから、いやあなんで鳴らなかったんだ。不器用なはずなのに、勘九郎w

面明かりのみの薄暗がりで古式ゆかしくw淡々と踊られる踊り。行儀のよさでは勘九郎譲りの鶴松との二人の踊りは、明らかに父親とは違う品格を感じさせてwww好みでした。
松席前方の中村屋ご贔屓筋様ご一行に舟をこいでおられた方を散見したのはちと残念でしたけど。小山三のときに号泣して疲れたのかしらん→超意地悪

 

髪結新三

 

いやあああああよかったっす。本日、みんな良かったけどどれかひとつ選べといわれたらやっぱりこれ。

正直この芝居、面白いけど長すぎる!といつも思っていて。

途中で居眠りも退屈もせずに最後まで観られたのは初めて、かも。2時間半一切休みなしで集中力を切らさなかったあたし、偉い!いや、そこまで引っ張ってくれた役者が偉いんだと思う(珍しく謙虚)。

何がすばらしいって勘三郎の新三。勘三郎襲名でも観ているのだけれど、そのときよりずっと魅力的でエロチックで、いい男。
小悪党っていう意味では先月の法界坊だってそうなのだけれど、水際だったいい男の新三を、60近い病み上がりの勘三郎がここまですっきり見せるとは、予想外の喜びでした。

同じ六代目系の名作でもめ組は「やっぱり菊五郎のほうが・・・」と正直思っちゃったわけですが、新三は文句なく、勘三郎のほうがいい!菊五郎は貫禄ありすぎて、大家(左團次が多いかなあ?)に負ける気がしないもん。

新三に並んで、初役勝奴の勘九郎がまた小ずるい色男ですげーいい。
実は色男のにおいが出るかな?と心配だったんだけど、杞憂でした。アレは絶対新三の留守中におくまちゃんをやっちゃってる顔だったねw
勝奴があんまりいいんでまた観たいけどたぶん次はどっかの襲名で新三やるんだよね・・・そのときは大家勘三郎がやらないかな?

でその大家の橋之助。悪くない、いや儲け役だから普通にやればもってけるんだけど、やっぱり三津五郎の大家の味はちと足りなかったかなあ。
ふけを作ると口元が特に芝翫さんそっくりでしんみりしてたら勘三郎が捨て台詞でまんまそのことをいじったのでうれしいやら、しんみりがすっ飛んで腹立つやらw

忠七の梅玉がまたお手本どおりの二枚目で、すこぶるいい。こういう「正しいけれどつまらない」芸をきちんと継承していく人が段々減っていきそうで、萬次郎といい、梅玉といい、こういう役者が中村座に客演してくれるのがどれだけ芝居に厚みを与えていることか・・・
大家の女房の橘太郎、白子屋女将の萬次郎など、「劇団」勢がここでも強力サポート。

そしてこの芝居で何よりのご馳走が菊十郎のかつお売り。

この人のcazzo!cazzo!

イタリア語ごぞんじのかた、失礼こきました。ごぞんじでないかた、意味、調べないでね→だけどイタリアやブラジル(確かポル語でも同じような意味)で万一上演するときはイヤホンガイドでw説明が必要だよね・・・

の売り声を聞けただけでも、中村座で新三をやった甲斐があったなあ。と。よくぞ劇団の宝を貸し出してくださいました、音羽屋様。感謝!

 そして、そして・・・絶対無理なんだろうけど、勘三郎新三に大家菊五郎なんてー夢の顔合わせも観てみたいなあ、次の中村座では!なんて贅沢も言ってみる。それが無理なら新三と大家逆でもいいっす。ダブルキャストだったらもう死んでもいいっす。死ぬのはいやっす。

…ってことで、波はありましたが大満足の初日。

そして夜もよかったけどびっくりの昼の部の満足感。

うーん。幸せ。