laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

敷妙を思う

2010-01-20 | kabuki a Tokio

二部だけはすでに4回も見ているので(感想はあげてないけど、14日にもこっそりただでもぐりこんでいたのです)、ストーリーを追うというよりはポイントポイントを見て、あとは妄想やら昼寝やら。

 

袖萩

 

こちらはさすがに昼寝はしない。一度勘太郎を見ながらうつらうつらしてみたいものだが、残念ながら一度もできたためしがない。愛ってやつはやっかいだ。

袖萩も貞任も手に入った芝居。間の桂中納言(もちろん偽なんだが)がもう少しメリハリ利いてもいいかな。特に花道で中納言から貞任に変わる部分はいいんだけど、またしれっと中納言に戻る部分はもっと強調してもいいのでは。

あと、袖萩の出、完全に目が見えない状態でやってるらしい。14日に見たとき、おきみちゃんの先導がいまいちだったのか、門を超えて向こうまでいっちゃっておきみちゃんに引き戻されてた。三味線もまったく見えない状態で弾いてるんなら、あの程度でも見事!というべきなのか。

ほかの役者については、印象変わらないなあ。男女蔵はよくやってるけど、風格が足りないし、歌女乃丞はとにかく顔が怖い。愛之助は勇壮さが足りない。七之助は風格がない。愛之助が義家で、亀鶴が宗任だったらかなりよくなったと思うが、やはり兄座頭だと弟出したいのかなあ。弟袖萩だったら巧拙関係なく、兄より泣けたかも、なんて兄ファンなのに思ってしまういけないlavieなのでした。外見と声は大切。

次回は二役を分けるパターンも見てみたいっす。

 

で、タイトルの敷妙さんですが、義家の奥さん。で袖萩の妹。重要な役なのに一切出てこない。省略されているのではなくて、原本にも出てこないらしい。
今回の観劇では、暇だったせいかなぜか敷妙の顔が七之助になって、直方の切腹のときや、袖萩祭文のなかでちらついてならなかった。
義家の妻として、直方の娘として、そして袖萩の妹(貞任の義理の妹)として、もう一人のヒロイン、敷妙はそのときどういう気持ちですごしていたのだろうか。
その後も義家に滅ぼされた安部一族のことをどう思って眺めていたのだろうか。

あたしがクドカンや渡辺えりだったらここらへんに目をつけて敷妙主人公の裏袖萩とか書いちゃうけどなあ。(あえて野田秀樹とは言わないのがあたしの謙虚なところだ。ってちっとも謙虚じゃないか)。

 

何度も何度も同じ芝居を見るといろいろ空想できてやっぱり楽しいなあ。
懲りずにもう一度見るけど、今度はラストだからきっちり空想せずに舞台の上を楽しむぞ。

 

悪太郎

 

前回実に達者な亀治郎を堪能したのだが、14日といい19日といい、なれすぎたのかちょっとぐだぐだ、つか例によってやりすぎ亀ちゃんになってきて。
いわゆる「見てみて、うまいでしょ」状態。それに「客席アピール太郎」状態。
ああちょっと前までの勘三郎だなあ、なんて思っちゃいました。
適度に乗りつつ、適度に抑えつつ、いい感じで相手したのが亀鶴。この二人はなかなか相性のいいコンビかと。亀鶴は踊りもどんどんよくなってきてる。

大名と太郎冠者のコーナーは。

 

悪いですが、14日から、お昼寝タイムとさせていただいております。
ので感想もなし。

 

さて、あとは楽日だけだ。一部は初日以来なので、かなり変わってるだろうな。楽しみ。


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