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この本もまた国の公共事業について考えさせられる本です。
この舞台は熊本県の球磨川と川辺川です。
この地に新たにダムを建設したい建設省に対し、地域住民のほとんどは、川辺川にダムを建設するのに反対しているのです。
その反対運動の激しさから、その建設はいまだ見送りになっているようです。
私もそのままにしておいてほしいと願う1人です。
自然は私自身大好きですし、釣りも好きですし、自然の光景をみていると心がなごみますし癒されます。
その大自然をダムは破壊してしまうのですから当然反対しなければなりません。
それに、建設省による岐阜県長良川河口堰建設において大いなる失敗例があるからです。
長良川河口堰
これにより、アユやマスなどの遡上が阻害され、遡上してくる魚の量が激減し、淡水と海水の混じった汽水でなければ棲息できないシジミが河口堰建設によって淡水と海水が分離してしまい全滅してしまったのです。
このような例があるからこそ、私は反対するのです。
そこで思い出されるのがやはり、カレルヴァンウォルフレンの言葉です。
カレルヴァンウォルフレン
ウォルフレン氏が憂慮していたのは、国による公共工事によって不必要なところに橋や道路を作り、海や川に不必要な護岸で固め、そのことで日本の美しい自然の景観が損なわれているということです。
私も、そういう状態になることは憂慮しています。
しかし、これはなぜこんなことをしなくてはいけないかというと、中央集権体制で東京を中心とした首都圏に人口を取られ、そのために金の使い手、稼ぎ手が少なくなり、そのせいで財源を確保する名目で、不必要な橋や道路を造らなくてはいけないという面もあるのです。
これはケインズ経済学から編み出された理論で、公共事業にお金を出して工事をすれば、そこで働いた人が金を使い、そして景気がよくなるということです。
まず、その理論は今や時代遅れのものになっており、その公共事業に投資しても、その事業に携わった人間がお金を使うどころか、将来の不安におびえて、預金してしまうので、お金が市場に出回らなくなってしまっているのです。
しかし、公共事業をすることによって、その村や町にどうしても必要な橋や道路を作らなければそこに住む住民がどうしても困る、というのなら話は別ですが、実際は不必要でかつ生態系を大幅に破壊し、そのことで地域住民の生活まで破壊されるという結果がわかっているのならば、
公共事業でない違う有意義なことに投資する方法を編み出さなくてはいけないようです。
それと中央集権を改めて、そしてもっと重要な働き手である若者がその地域に留まりたいと思わせるような魅力ある住環境や労働環境を創造することも重要になってくるでしょう。
戦後70年経っていまだ地方自治が遅々として進んでいないのです。
また、先行き安心になる経済社会を創造していく努力を政府も国民もしていかなくてはならないでしょう。
また、今や会社に勤めなくてもインターネットビジネスや投資などで生活費を稼げる時代になりました。
そこで生活できるようになった人は、故郷の地方に戻ってお金を使い、需要を増やしたらどうかと提案したいのです。
そういったことも、ウォルフレン氏が常々いろんな本で書いている、「日本での市民の不在」という言葉を想起させるのです。
この本を読めば、ダム建設がいかに自然の生態系を崩すかがわかろうというものです。
ダムには魚道というものがありますが、これは環境問題の盛り上がりでようやく政府が作ったものです。
しかし、これは作っても生態系にとっていいものではないのです。
何故なら、魚道があっても魚はのぼりづらいのです。
ですから、遡上してくる魚のうち、70%しかのぼってこれずに終わってしまうのです。
これは研究結果で明らかです。
ダムなどなければ100%のぼることが出来るのです!
遡上するアユの数が年々少なくなっているのは、
以下の長良川のページで明らかです。
↓
http://www.water.go.jp/chubu/nagara/15_sojou/index.html
それだけでなく、ダムは魚の生態系に良くないのです。
放水ゲートが閉まっていたら、そこは止水してしまうのです。
アユは、流れのあるところで生まれましたから、止水の領域に入ると、どちらが上でどちらが下かわからなくなり、右往左往してしまうのです。
また、止水の領域には、アユが生きていく上で酸素の絶対量が足りないので、遡上の途中で死んでしまうのです。
よしんばのぼれても、眼前にはまたダムが立ちふさがりまた遡上するアユの量が減ってしまうのです。
落ちアユの時期になると、魚道のないダムの内側で、卵をお腹いっぱいに抱えた雌アユが大量に死んでいるのです。
このような弊害をなくすためには、ダムのゲートを永遠に開け放つか、ダムそのものを撤去してしまうのがいいのです。
他、ダム建設や護岸固めによる生態系崩壊の弊についていろいろこの本に書いてあるので読んでもらいたいものです。
日本の官僚のよる公共事業の弊害はこれまでいろんなその類いの本を読んできて明らかです。
なかでも、先のカレルヴァンウォルフレン氏の分析は明瞭で読み手を離さないのではないでしょうか?
ウォルフレン氏が曰く、「日本の官僚は前例主義で、これまでにやってきたことの踏襲だけをしている。その内容については一切鑑みられることなく、そこに問題点はないのか?それをよき方向へ導くためにはどのような違うことをすべきか、ということは一切議論されることはない。」というのです。
私もいくつかの公共事業についての研究をしてきましたが、その言葉には切羽詰るものを感じます。
ダムは、水が淀むので水質汚濁を招く、という地域住民の反対に対し、建設省は「清水バイパスを導入する」として何が何でもダムを建設しようとするのです。
しかし、水を清める装置だけではいけないのです。
川は、魚が棲めること、魚にとって栄養があり、その栄養を絶えず生産すること、岩の角を丸め、大小の石に砕き、シジミを育てる美しい川砂にしなければなりません。 川辺川の激流は、太陽光線と大気を効率よく撹拌し、自浄作用を維持し、プランクトンから幾段階もの複雑極まりない食物連鎖を完成させながら流れているのです。
その偉大なる作用をダムは奪ってしまうのです。
ましてやその清水バイパスを導入するからとて、その作用を全部補うことが出来るという研究結果など建設省から出されていないのです。
すでにこの川にはダムがいくつか建設されていて、そのせいで水質汚濁を招いていたのです。
やはり溜めるのではなく、流れを作っておいた方が水は澄むものです。
やはり先に挙げたケインズ経済学による、公共投資の手法が戦争直後の日本では有効であったからといって、またしてもその手法が今も有効かどうかを吟味することなく、前例主義で突貫させようとする建設省の意図が見えます。
その前例主義を突貫させるためには、手段を択ばないのです。
ダムを作る目的をコロコロ変えるのです。
初め、ダムをつくる目的は「電源を開発する」ということでした。
しかし、これはコストの安い火力発電の登場で挫折しました。
これで、ダムを作る計画からは撤退すればいいものを、今度は「高原台地の水田造成のためにダムは必要」といいたてたのです。
治水目的を加えたのです。
その後、利水やまたしても発電目的を加えたり、そしてまたその後に流水調節を加えたのです。
そしていまだにそのダムを作る計画をもち続けているのです。
明確な目的などどうでもよく、何が何でもダムを作ることが大事なのです。
この著者は、政府(建設省)のいう流量調節機能など机上の空論であるし、地域住民にとって逆に有害ですらあるといっています。
梅雨や台風の季節に、ダムに大量の水が溜まってしまい、その蓄え機能が大幅にうわまってしまい、そのためにダムの水門を開けはなってしまわねばならなくなり、そのためにダム以下の下流域には大洪水がおこり、中洲でキャンプをしていた人たちが全部流されて命を落としたという悲惨極まりないニュースを覚えていらっしゃる人はいますのでしょうか?
こういった面でもダムは有害なのです。
確かに、ダムを作る目的として、水害を防ぐという面はありますし、そのことで水害を防げるようになった違う公共団体の都市もあります。
しかし、こと球磨、川辺川においては、水力発電所を作るために山を乱伐したことが原因で山の保水能力が失われ、そのために球磨川では、1963年から3年連続で大洪水がおこった。
洪水による被害人を出さないためには、下流域の人民を川から近い地域から撤退させて、離れたところに移住させるだけでいいとこの著者はしています。
こういった官僚の前例主義のみならず、やはり政府の仕事に携わる人間の金儲け主義も上げることが出来るでしょうか?
先に挙げた岐阜県の長良川河口堰は無用の長物である、ということを指摘したのは、漫画『美味しんぼ』の原作者である雁屋哲さんです。
この人は東大出身であるということを最近知って驚きましたが(笑)
雁屋さんが、この漫画の主人公の山岡史郎に曰わせているのは、「建設省がいう、長良川河口堰をつくる目的として挙げている、水の確保、塩害防ぎとしているが、水は余っているからダムは必要ない。百歩譲って塩害は下流域のほんの一部しかない。それなのに河口堰を作ろうとするのは、役人の栄誉欲と金儲け主義だ!」ということですね。
中央から公共事業を名目でお金を引っ張ってくれば自分の懐に大量にお金が入る。
同様に自分の部下や部署も。
そのために、偉大なる自然の生態系を大幅に破壊するのでは、なんと哀しいことであろうかと目を覆いたくなります。
そこの地域について一番分かっているのはそこに住む住民なのです。
その自然の生態系はいうに及ばず、その地域の住民がダムを建設したらどうなるかをです。
感情を肌で感じることが出来るのもやはり地域に住む人たちでしょう。
この本には、ダムが出来たら生態系が狂い、その流域で生計をたてて生きている人たち(川下りの生業をしている人たちや釣り具屋や川魚料理屋、囮アユを養殖している人たちなど)は生きていけなくなると悲嘆の声をあげています。
ですから、この意味でもやはり今の日本の中央集権体制を改めなくてはいけないのです。
また地方出身の首都圏在住の人たちは、できる事なら故郷で就職した方がいいのです。
地方に大事な働き手である人がどんどん中央に集まってしまうので、働き手と金の使い手が少なくなってしまい、地方にお金を回すための名目で、不必要な公共事業をおこさなくてはならなくなるのです。
自分が生まれ育った地方の自然や生態系を大事に思うなら、「市民」として地方のために何が出来るかを考え、探し、それを実行してくれる人が多く出てくれることを私は望んでいるのです。
私も将来的に地方に転住したいと思います。
さて、建設省のダムを作りたい言い分と、ダムを作るのに反対の住民の言い分のどちらが妥当か?
私は、川やそこの大自然の生態系を大切にしたい、という価値観やこれまでに学んできた公共事業による弊害をたくさん勉強してきたことの内容を総合して考えるに、やはりダムは作らないでほしい、という意見でいます。
建設省のダムを作りたい言い分は提示されるも、やはり部分的で片手落ちという観が否めませんので。
いまだ計画の俎上に上がっているダム建設は住民の反対で作られてはいませんがそのまま挫折してほしい、というのが正直なところです。
この本を読んで、この国の公共事業についてどうしていくべきか? そのために市民が何をすべきか? それを考えて、行動していかなくてはいけない必要性をしみじみと感じました。
私は、先のページ(=『私の大学再建案』)で、 「なにを勉強したらいいかわからないで大学生活で右往左往している人は、いろんなジャンルの本をむさぼるように読んで、社会にある問題点を認識すべきである。」ということを書きました。
↓
『私の大学再建案』
http://hair-up3times.seesaa.net/article/415254199.html?1426484154
そのことは、この球磨、川辺川のダム建設についてでもあてはまるのではないでしょうか?
ただ漫然と大学生活を送っているだけでは、社会の問題点を認識することはできません、一切!
ですから、このページを読んで、そのことを認識するための一助として、この本を私はお勧めします。
この本は以下よりどうぞ。
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