先月でしたか熊谷守一さんを描いた「モリのいる場所」を観ました。
画家の日常を淡々と描いた作品でしたが、なぜか心に染みました。
毎日、テレビだの新聞だのマスコミに左右されながら、自分の価値判断を見失いがちな毎日に
自省もしました。
熊谷さん夫婦を演じた「山崎勉さん」奥さん役の「樹木希林さん」
お二人の老夫婦の息の合った演技は、さながら本物のご夫婦みたいで抜群でした。
熊谷さんは晩年30年?位自分の敷地から一歩も出ないで庭の植物や生物など身近なものを描きました。
国からの勲章を「人が大勢来るから嫌だ」と辞退したり、蟻をじっと観察して後ろの左足?から歩き始める!との観察力には「そうかいな!」と驚き。
人間離れした奇妙な実生活は「仙人」と言われた所以です。
図書館で、久しぶりに「灰谷健次郎」を呼んでみようと、何気なく手に取った
「風の耳朶」 二人の画家の会話の中に熊谷守一さんのことに4ページくらいに渡って触れています。
「風の耳朶」からの抜粋
「作品はくだらぬものでも、世渡りのうまい人間というのは、何時の時代にもいるものだ。
わしたちがひそかに心寄せていたのは熊谷守一だ。あれは本物だった」
「世渡りの不器用な男だった。」
「あの作家の言動を通して、わしたちは無心と言うことをとことん考えさせられた」
「何と言うこともない、と言うことによって、自分の心を無心にしようとしたのだろうな。」
「彼は、紙でもキャンパスでも、なにも描かない白いままが、いちばん美しい。」
「わたしは名誉や金はおろか、ぜひ、すばらしい芸術を描こうなどと言う気持ちもないのだから
本当に不心得なのです」
熊谷守一は無心になることで、結果的には集中力をつよめたのだろう。こういう述懐もある
わたしは石ころ一つでも十分暮らせます。石ころをじっと眺めているだけで、何日も何日も
暮らせます。
監獄に入って、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かも知れません。
画家の日常を淡々と描いた作品でしたが、なぜか心に染みました。
毎日、テレビだの新聞だのマスコミに左右されながら、自分の価値判断を見失いがちな毎日に
自省もしました。
熊谷さん夫婦を演じた「山崎勉さん」奥さん役の「樹木希林さん」
お二人の老夫婦の息の合った演技は、さながら本物のご夫婦みたいで抜群でした。
熊谷さんは晩年30年?位自分の敷地から一歩も出ないで庭の植物や生物など身近なものを描きました。
国からの勲章を「人が大勢来るから嫌だ」と辞退したり、蟻をじっと観察して後ろの左足?から歩き始める!との観察力には「そうかいな!」と驚き。
人間離れした奇妙な実生活は「仙人」と言われた所以です。
図書館で、久しぶりに「灰谷健次郎」を呼んでみようと、何気なく手に取った
「風の耳朶」 二人の画家の会話の中に熊谷守一さんのことに4ページくらいに渡って触れています。
「風の耳朶」からの抜粋
「作品はくだらぬものでも、世渡りのうまい人間というのは、何時の時代にもいるものだ。
わしたちがひそかに心寄せていたのは熊谷守一だ。あれは本物だった」
「世渡りの不器用な男だった。」
「あの作家の言動を通して、わしたちは無心と言うことをとことん考えさせられた」
「何と言うこともない、と言うことによって、自分の心を無心にしようとしたのだろうな。」
「彼は、紙でもキャンパスでも、なにも描かない白いままが、いちばん美しい。」
「わたしは名誉や金はおろか、ぜひ、すばらしい芸術を描こうなどと言う気持ちもないのだから
本当に不心得なのです」
熊谷守一は無心になることで、結果的には集中力をつよめたのだろう。こういう述懐もある
わたしは石ころ一つでも十分暮らせます。石ころをじっと眺めているだけで、何日も何日も
暮らせます。
監獄に入って、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かも知れません。
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