栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

林原グループの「破綻」について

2013-11-28 11:14:41 | 視点
 岡山のバイオ企業・林原の「破綻」が最近、話題になっているらしい。話題といっても岡山や関連業種、関係者周辺とネット住人の間でだろうが。
 林原が経営破綻したのは2011年2月。それなのになぜ今頃と思うが、どうやら林原グループの元専務、林原靖氏が今年8月に「破綻」と題した本を出版したのがきっかけのようだ。
 この本のことは岡山の知人経営者からのメールで8月に知ってはいたが、読もうという程の興味はなかった。すでに私自身が2011年3月、「栗野的視点(No.371):林原グループの経営破綻が教えるもの」と題して書いていたし、当事者が書くものに客観性はなく、ほとんどが自己弁護に終始するということを過去の経験から分かっていたからだ。
 だから、同書が発行された後も特に林原について触れるつもりはなかったが、数日前にたまたま立ち寄った大型量販店の書店コーナーで同書を目にしたものだからパラパラと拾い読みをしてみたので、その感想を少し。

 この本、ご丁寧に「バイオ企業・林原の真実」というサブタイトルまで付けられていた。このサブタイトルからして大体中身が分かろうというものだ。
 私は過去、経営破綻した企業経営者に取材し、何度か記事にしたことがある。前車の覆るをもって後車の戒めとするためである。
 その時の経験から言えば、失敗経営者は大きく2つのパターンに分かれる。1つは自らの失敗を真摯に反省するタイプ。もう1つは失敗を他者のせいにするタイプである。
 圧倒的に多いのは後者のタイプで、彼らは決まって泣き言、恨み事を言う。「銀行に潰された」と言うことが多い。「経営はうまく行っていた」「うまく行きかけていた。銀行の貸し渋りさえなければ」「いきなり資金ストップされた」と。
 しかし、よくよく聞いていくと、銀行もいきなり貸し剥がしをしたわけではなく、その前にシグナルを出していることがほとんどだ。なかには銀行同士の合併で、それまでの担当窓口が代わり、帳簿上の数字だけで貸し渋りにあったという例もないわけではないが。
 だが、それとて一方的に金融機関が悪いわけではなく、経営状態を悪化させたのは自らの責任である。にもかかわらず、そこの反省がない。

 上記の「破綻」は「バイオ企業・林原の真実」というサブタイトルからして、自らの反省はほぼ皆無だろうということは察しがつく。少なくとも失敗の原因を真摯に分析するつもりなら「バイオ企業・林原<失敗>の真実」と「失敗」の2文字を入れるべきだろう。少なくとも著者の靖氏は林原グループの専務取締役であり、健社長の実弟でもある。しかも同グループは林原一族の同族経営であり、彼は経理担当でもあったはずだ。自らの経営責任は重いにもかかわらず、銀行に潰された的な書き方をしているようだが、こういう人物が経営陣にいたことこそが林原の問題だろう。兄弟揃って2流、いや3流経営者だったといえる。

 林原破綻の背景については「栗野的視点(No.371)」で明らかにしているので、そちらを一読してもらうと分かるが、よくここまで持ったというのが正直な感想だ。本来ならもっと以前に破綻していてもおかしくない。それぐらい同社の経営は粉飾で飾られていたものだ。
 過去の歴史を振り返れば、長年粉飾決算を行ってきた企業は皆同じ道を辿っていることが分かる。それでもまだ圧倒的に強い分野を持っている企業は、例えばオリンパスの内視鏡分野のように、なんとか生き残る道もあるが、それがなく多角化に走っている企業は最後の支え棒がないから踏ん張れない。

 林原は西武百貨店とある部分で似た箇所がある。ただ人材の層の厚さは比較にならない。第一、経営者の器がまるで違う、と言えば言い過ぎだろうか。
 だが、1日2時間余りしか仕事せず、午後2時には退社する経営者と、仕事中毒と言われるほど仕事をする経営者では、どちらの会社の方がまだ潰れないだろうか。

 これ以上多くを語る必要はないだろう。林原破綻の「真犯人」については「栗野的視点(No.371)」を一読いただければ分かると思う。なかでも「林原グループの経営破綻が教えるもの(5)」を。


破綻──バイオ企業・林原の真実
林原 靖
ワック

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