栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

「先生」に多い個人主義

2004-11-08 09:12:53 | 雑感
 この世の中には「先生」と呼ばれる人が多い。
教育を担当する本当の先生から政治家まで、皆「先生」と呼ばれている。
私なんかもたまに講師で招かれると、紹介者が「先生」と呼ぶ。
そう呼ばれるたびに、相手に心を許せなくなる。
本心からそう思って言ってないことが分かるからだ。
むしろ親しみを込めて「栗野さん」と呼ばれる方が好きだ。

 それはさておき、最近は「先生」と呼ばれる(自称も含め)人が増えている。
医師、弁護士は生命を左右する人だからまだいいとしても、税理士、公認会計士、弁理士、社労士、建築士までもが皆「先生」と呼ばれる。
どうも士業の人が「先生」と呼ばれているような気がする。
国家から任命される(国家資格)ような人だから偉いのだろうと考え、「先生」と呼び始めたのではないかと思うが、その内向こう3軒両隣皆先生ということになりかねない。

 この「先生」にはある種の共通点がある。
個人主義者が多いということだ。
「先生」と呼ばれている内にそうなった(自分が偉いと思うようになった)のか、それとも元々お山の大将的に仕事をしているからそうなったのか。

 私の身近にもこの「先生」と呼ばれる人達が何人かいる。
彼らは一様に個人主義者である。
私はNPOを主宰しているが、会の理念や方針に関係なく、この「先生」は自分の思う通りにしたがる。
見方によっては独創的な意見と言えなくもないが、会の理念や方針を逸脱(自分なりの解釈)した主張は個人主義以外の何ものでもない。
挙げ句の果てには「俺が言っているのだからいいだろう」「任せてみろ」と言う。
それを認めれば会はバラバラの、単なる人の集まりになり、理念も方針も関係なくなる。

 自由とは何をしてもいいということではない。
英語で表現すれば、free from(何々からの自由)、 free to(何々をする自由)となるのだが、その辺が分からないようだ。
 その点、会社員は組織の中で動いているから、全体の中での役割ということがまだ分かっているところがある。
 最近、ジコチュウ(自己中心)という言葉がCMでもよく使われているが、このジコチュウは現在も増殖中である。

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