波佐見の狆

A private fansite for Elliot Minor, the Heike, etc.

生きた証

2015-11-15 11:40:46 | Miscellaneous

こちらの記事で、父が、尺八や水墨画を長年やっていて、とりわけ尺八は準師範になるまで頑張っていたことをお話ししましたね。

父の演奏が聴けるCDが存在しているということを、葬儀のあと、初めて知りました。

長崎県の民謡30曲を集めた、「ばってん長崎ベスト30」という2枚組CDです。

長崎県民謡保存普及会」という民謡同好会の自主制作で、こちらのサイトで入手できます。

中に入っている歌詞カードに、この会の会長さんの、丸木覚誠さんという方のあいさつ文があります。その一部を転載します。

長崎県には、古くから伝承されてきた文化、民謡が数多く残されています。これらの民謡の多くは、本県の歴史や風土に育まれ、先祖の生活や心情を伝統的に今に伝えるものであり、まさに私たちの大切な民族文化財です。そこで私たちは、長崎県の民謡を歌い継ぎ、保存普及と技術の向上に努め、更には全国的に広めるために、「長崎県民謡保存普及会」を結成し、その活動を続けてまいりました。会では、年に一度、「長崎県・民謡の祭典」を開催し、多くの民謡を発表しておりますが、その結果として、会員録音による「ばってん長崎ベスト30」を制作させて頂く運びとなりました。とはいえ技量未熟な点も多々あり、ただただ恐縮の至りではありますが、ひとえに今後の民謡発展に繋がっていければとの思いで制作に至った次第でございます。」 

唄い手さんのほか、三味線、尺八、太鼓、鐘、囃し詞などの伴奏陣がいて、総勢10名くらいで録音されています。

尺八奏者は丸木先生含め3名ですが、その一人が、私の父です(「谷村鶴城(かくじょう)」とクレジットされています)。

上記サイトで、6曲が冒頭のみ試聴できるようになっていますが、そのうちの4曲の尺八伴奏が、父によるものです。

よろしければ、01「長崎さわぎ」、14「長崎ぶらぶら節」あたりをクリックして、耳を澄ませてみていただけますか?

ここをクリックすると、トラックリストがあります)

「長崎さわぎ」 

"旦那百まで 旦那百まで ヨイヤサ ヨイヤサ エーわしゃ九十九まで 共に白髪の共に白髪の ヨイヤサ ヨイヤサ エーササ 生えるまで..."

「さわぎ」とは、こちらのブログによれば、お座敷歌、とりわけ吉原固有のもので、ほかの花街で唄うには許可が必要だったとのこと。長崎には、丸山という花街がありましたから、ここで広まったのでしょうね。「だあんなぁ。。ひゃくまあでぇ~~」と、色っぽい唄です。父の尺八も、邪魔にならない程度の優しい伴奏ですね。

「長崎ぶらぶら節」

"長崎名物 凧揚げ盆まつり  秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶらぶら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう..."

「秋はお諏訪のシャギリで氏子が・・」というところは、秋の長崎のお祭りである「長崎くんち」の賑わいを唄ったものです。諏訪神社の氏子である、市内の各町が、いろんな演し物(だしもの)を奉納するのですが、勇壮な蛇踊りはその代表。このCDのジャケットにも蛇踊りの写真が使われています。なお「シャギリ」とは、お祭りに欠かせないお囃子(はやし)のことで、長崎くんちでも、江戸時代から大切に伝承されてきた華やかなシャギリが名物となっています()。

全体30曲中、父が尺八で伴奏を担当しているのは9曲あります。どれも、唄やほかの楽器より強くならない程度に、控えめ、繊細ではあるのですが、しっかり聞こえてくる父の息遣いに、父なりに生きた証を遺し、しかもそれがネットで世界中で聞けるようになっているなんて・・・胸きゅんになりました。

私はあまり邦楽はわからないのですが、30曲全部聴いてみて、全体的には、アマチュアの集まりとは思えないかなりのレベルではないかと思っているところです。

(丸木先生という方は、(財)日本民謡協会長崎中央支部長さんでもあるとのことで、演奏もずば抜けているし、プロなのかもしれません・・)

父が尺八を始めたのは、私が小学生の頃でした。そのころ、転勤で、佐世保市ではなく長崎市に4年間だけ住んでいたため、市内の都山流尺八の長崎支部に通い始め、古典的な都山流の演奏(本曲)を習っていたのですが・・・再び佐世保に戻り、崎市の師匠から遠くなってしまったため、古典を続けることが難しくなり、近くの民謡愛好家のグループとのお付き合いにシフトしたようです。佐世保で、まともに尺八を吹ける人がなかなかいなかったので、重宝がられて、地区の住民センターの民謡教室などの伴奏に呼ばれ、友達も増え、それが楽しくてたまらなかったようで、仕事の日以外は、ほとんど家にいなかったらしいです。 ですから、母の方は、家に取り残され、寂しい思いもしたようです。

「らしいです。」とか「ようです。」という書き方しかできないのは、母の記憶に頼ってこれを書いているからで、私はと言えば・・尺八にしろ墨絵にしろ、具体的には何をしているのか、よく知らず(あまり関心がなかったというのが正直なところです)、CDの録音に参加していたということも、結婚して家を出たあとのことですし、ずうっと知りませんでした。もちろん、母は知っていましたが、私に特に言いもしませんでした。

葬儀の当日と、初盆に、上記の丸木先生と唄い手さんのひとりがお悔みに来てくださり、私にこのCDをプレゼントしてくださったことで、いろんなことが明らかになったというわけです

父がだんだん認知症になり、ともに活動できなくなったことを、皆さん、本当に残念がって涙してくださいました。

一般的には、、、趣味を持って活動的に暮らしている高齢者は、認知症のリスクは低いはずですが・・・

父の脳は、このような尺八仲間との楽しいお付き合いが続く最中にも、着実に委縮していき演奏会の帰りに、一人だけいなくなってみんなで探してもらったり、迷惑をかけたようです。

長崎市の古典のお師匠さんからも、母に電話があり、会に来て見舞いたいとおっしゃってくださったそうですが・・・母はお断りしたそうです。恍惚の人になってしまった父の姿を、先生に見せたくなかったと・・・

尺八の音は、甲高いので、防音設備もない家で毎晩練習されると、うるさくて、母にとってはストレスにもなったのです。

私は、たまに帰省して聞くと新鮮だし、カセットテープで宮城道雄の曲などを一緒に楽しんだりもしたのですが・・・・実際に、教室や演奏会で尺八を吹いているところは、一度も見にいきませんでした。認知症になる前に、もっと積極的に応援してあげなくて、お父さん、ごめんね。。。今このCDを聴きながら、涙でぐちゃぐちゃになってしまう私です。

父自身は・・・趣味を同じくする皆さんに大変好かれて、むちゃくちゃ楽しかった想い出だけを心深く抱いて、お空へ旅立ちました。それがせめてもの救いでしょうか。

(2006年1月栗恵を連れての帰省・・・今思えば、すでに認知症の兆しがありました。)

 注) 邦楽やお囃子については、、みゆきさんがよくご存じですよね!ちなみに・・長崎シャギリについては、長崎市サイト(こちらのページ)に詳細があります。

長崎くんちでの、シャギリです。

長崎くんち シャギリ奉納(間ノ瀬組)

 

ついでに、、勇壮な蛇踊り(龍踊り)です。かっこいいでしょう!血が騒ぐなあ・・私も一度しか見たことがないんですよ。。また見にいきたいなあ!  

長崎くんち 筑後町 龍踊