うんざり、です。
新聞もTVニュースも体罰、体罰。 いつしか「体罰」が「暴力」にすり替わっていたりして。もっとも、体罰イコール暴力ってことなのかもしれませんけど。でも、柔道問題がタイミングよく出てきて、これですっかり混同されちゃっています。
そりゃ、人ひとり死んでますし(原因論は一様ではありませんが)、子どもに死なれた親の気持ちを思えば同じ親としてたまったものではありません。色気がなくとも女性は女性。それを竹刀でぶったり、ましてや髪とともに「命」ともいうべき顔を平手でってのは感心しません。
でも、取り上げ方がどうなんでしょうか? どこぞのパフォーマー政治家が拳振り上げれば、オカマみたいな胡散臭い教育評論家も呼応し、それをネタにマスコミがマッチポンプ。
さて、これからの教育現場はどうなりますやら? 子供たちは大人の足元を見、大人たちはいつマスコミ主導の集団リンチの餌食になるかと戦々恐々。ただでさえ今の学校現場は”外”に対して腰が引けているというのに。
いくら言っても、諭しても、叱ってもわからん、変わらんっていうヤツいますよ。「バカは死ななきゃ」っていうのもいますが、「バカほど怖いものはない」ともいいます。確信犯でやるヤツだっています。もう、小学生にでもなれば、大人ほどではないにしても、ズルさを身に着けはじめます。中学、高校にでもなれば、まだ総じて浅はかですが、悪知恵だけは早々に身に着けます。言うてもわからんヤツはどうすりゃいいんですか?それでも、「指導力の問題!」の一言で教師の、学校の責任に帰しますか? 国によっては最悪の場合、出席停止つまり停学を超えて退学、他校へ転校です。が。転校すなわち同一教育委員会管轄地域内では転校できません。そうなると、これはもう家族全体の問題になります。場合によっては転居しないと通学できないなんてことも。そういうの、高校や私立ならさておき、普通小中ではないですね。不良分子を排除できなければ、矯正するしかないんですが・・、体におぼえさせるっていうのはダメっていうんでしょ? で、どうしますか?
「話せばわかる」っていって、撃ち殺された老宰相がいましたが、言葉の力、コミュニケーションの力ってのを過信し過ぎるのも、どうなんでしょう。
そのあたり、答えがないままに、指導力、指導力って教育現場にプレッシャーかけて、何か良い結果が出てば良いんですど・・・。