くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

改めて思う、肥留間正明は「アホ」だv : 海老蔵天才役者論

2009年11月23日 | Weblog
11月19日の「肥留間正明の芸能斜め斬り」によれば、海老蔵は「天才役者」だそうな。

一体、肥留間という男は、芝居を見たことがあるのだろうか?

確かに海老蔵には「華」がある。あの姿、特に大きな目は、団十郎になるべくして持って生まれた「資質」である。いわゆる天賦のものだ。

しかし、それは「天賦の才」でもなければ、海老蔵を「天才」と呼ぶ証左にもならない。

海老蔵という役者には大きなしかもたぐいまれな可能性がある。しかし、克服せねばならない大きな欠点もある。

その最たるものが、あのいただけない台詞廻しだ。発声の仕方も良くないのだろうが、しばしば間延びする悪い癖がある。

パリのオペラ座で数年前に演じた富樫なんか、実にヒドかった。「勧進帳」など見たこともない連中には、見た目だけは立派だけに、受けたのかもしれないが、出といい、問答といい、「なんだ、ありゃ?」というできだった。15代目と比較をすること自体間違いかもしれないが、あの朗々たる台詞廻しを知っている者からすれば、「これが富樫か・・・」という情けないシロモノだった。

あんな富樫しか演じられない役者を「天才」とは呼ばない。少なくとも、歌舞伎役者にとっては命である台詞がダメな役者は「天才」ではない。台詞廻しでは当代の一二を争う播磨屋にして今に至るまでには相当の努力があったという。とはいうものの、播磨屋が今の海老蔵の同じ年頃に演じた平右衛門をビデオで見たことがあるが、海老蔵とは「格段」のものがあった。

スゴイ役者になる可能性を秘めていることは否定しない。また、そんな役者になってほしいと思っている。ただ、そのためには早急に可能な限りの努力をして克服せねばならない欠点もある。残された時間はそれほどあるまい。いつまでも芸能マスコミのエサみたいなことばかりしていると、シドーみたいになってしまう。(シドーは、正月は新橋で五郎だそうだが、折角の大役をもらいながら今みたいに二足のわらじをはき続けるくらいなら、いっそのこと歌舞伎は廃業した方が良いのになあ・・・。今のままでは中途半端な役者のままで終わりだ。)

海老蔵の欠点は、少しでも芝居を見たことのある者なら一目稜線のはずなのだが、肥留間氏にはそれもわからないのだろうか?その程度の御仁に気安く「天才論」なぞをぶってもらいたくないものだ。
コメント (4)
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