くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

未曾有の国難・・・

2009年06月19日 | Weblog
幕末維新、終戦以来の国家の存亡にかかわる「国難」が必ず訪れるような気がするのは私だけだろうか。

景気底打ちだそうだが、早晩必ず腰が折れる。米国や欧州あたりでいずれまだ「爆弾」がはじける。そうすれば、日本経済はもろに波をかぶる。

欧州経済に関する報道が少ないが、欧州は要注意だ。米国どころではなくなる可能性もないきにしもあらず。

国際情勢もより厳しくなる。民主主義だの、人権だのという主張がある一定の影響力を持つためには、それを唱える国が「強く」なくてはならないのだが、そうした国が今混沌としている。自由だと、人権だのというのは、所詮そんなもんなのだ。
「正義が勝つ」などというナイーブさは捨てねばならばい。

中国はやがて大変なことになる。でも、中国国家の行く末と、地理的な範囲、文明圏としての中国の行く末は、区別せねばなるまい。完全な区分もできないが、かりに現在の国家体制が崩壊したとして、中国という地域の経済、政治、軍事的影響力、プレゼンスが低下するとは限らない。むしろ、共産党支配が崩壊しても、たぶん、中長期的には必ずそうなるが、「中国」の影響力に関してはそうはならないだろう。端的にいえば、今後より厄介な隣人になりえる。

好むと好まざると、米国との関係が我が国の国際社会での生殺与奪を握っていることには、将来も変わるまい。ロシア、インドという声もあるが、対米関係を損ねるような対ロ、対印関係の模索は愚だ。

国内政治には何も期待が持てない。政権交代したとしても同じだ。更に悪くなる恐れがある。政界再編したところで、再編過程というものには時間がかかるし、再編の結果よくなるという保証はないし、おそらく良くならないだろう。

今の我が国の残された道は「国家革新」しかない。やがてそれが不可避になるだろう。もしかしたら非民主的な、非平和的な手段でそれがなされるのかもしれない。でも、それも仕方がない。我が国が生き残るためには、少しばかりの犠牲には目を閉ざすしかない。

でも、その国家革新もすぐには起こらない。我が国はもっと堕ちて、苦しまないことには・・・。

では、その革新された日本国とは? 少なくとも、「国体」を損ねるような形での変革を国民が選択せぬことを願うばかりである。「国体」を損ねて「日本」足り」得ないのだから。そして、その「国体」も今危機にあり、政治はそれに対して無策んままである。ヤツラは万死に値する。
コメント
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