くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

浅はかな親: 赤坂晃被告の場合

2007年11月22日 | Weblog
「あかさか」ではなく「あさはな」な親である。

子どもに会えなくて辛く、そしてクスリに手を出した? 弱いなあ・・・。
クスリは違法。万が一のことを考えなかったのかねえ・・。そうなれば子供の将来に傷を付けることも考えなかったのかねえ・・。すべてが遅いよ。最愛の子に前科者の子供の重荷を背負わせてしまって。

ただ気になるのは、なぜ子供に会えなかったのだろうか?離婚したとはいえ、親権がないとはいえ、それによって面会交渉権を失うことにはなるまい? 妻側が会わせなかったのなら、出るところに出て正当な権利の行使を主張しても良かったのでないか、せめてクスリに手を出す前に?

離婚した相手に子供を会わせないという親はいる。ケースバイケースなのだろうが、それってたぶんに大人のエゴでないかい? 相手が酒乱だとか、生活上に問題があるというならともかくも、そうでもないのに会わせないって? 子どもが会いたくないというなら仕方ないが、そうでもないのに会わせないって? 赤坂君の元妻もどういう了見があったかは知らないし、事情はよくわからないが、もし自分の感情だけで子供を会わせないようにしていたのだったら、今回の一件、一寸は責任感じて良いかもね。くだらない大人同士の感情と、あさはかな愚行のために、今後子供が背負うものは大きいよ・・。

でも、同じ男親として一寸同情しちゃうね、赤坂君。子煩悩だったっていうから、
よほど淋しかったんだろうなあ・・。子煩悩ってほどじゃないけど、自分も出張とかで数日会わないだけでもさみしいもんなあ。

ただ、人間として、男として、親として、弱かったなあ・・。
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「大連立は総選挙後」という戯言

2007年11月22日 | Weblog
とんだ三文芝居に終った大連立・小沢辞任騒動だが、一部はそれを批判して、
「連立をやるならまずは総選挙だ」と言う連中がいた。

「はあ?」と思いながらそれを聞いていたのは私だけだろうか?

いわく、国民への公約もなしに、また国民からの期待もないのに、政党同士の都合で大連立をやるのはおかしい。ドイツの大連立とは違うというのだが、ではやるなら総選挙後という方々、来る総選挙において自民、民主両党は大連立を公約に戦うべしということなのか? 公約なしで総選挙を戦い、その結果しだいで大連立では、現時点での大連立とかわりあるまい。

ただ、これは総選挙→大連立ということにTVなどで言及された一部の民主党議員の方々に申し上げたいのだが、大連立を公約に選挙を戦って、自民党に勝てますかね? おたくの党首さんの見立てでは、ただでさえ衆院選で自民に勝つのは難しいとのこと。まあ、自民、民主の現有議席を見て考えたらよほどのことがない限りそうだろう。各選挙区での民主党候補の「力量」不足は以前から指摘される所でもある。政権交代や交代可能なニ大政党制を期待する有権者が多いなか、自民に対してもう一方の一翼を担うべきと期待されている民主党が世論の多くが支持しない「大連立」では、有権者も興醒めだろう。それで大勝利できますか? 単なる議席増では話にならんのですよ、おわかりかと思いますが?

最近のメディアに顔を出す面々を見ているとやたらと「民意」を口にする。民主主義だ、確かに民意は尊重せねばなるまい。しかし、民意は天意にあらず。民意は無謬にあらず。時に政治家は民意の反発を受けながら決断せねばならぬ時もあるはずだ。民意のままに政治家が右往左往する様は、決して民主政治が理想とすべき姿ではあるまい。むしろ、政治家をそうさせてしまうことは、民主主義がはらむ負の可能性として理解されるべきものである。

大連立もまたしかりで、それが民意を受けたものであるか否かにかかわらず、政治的責任とどこかのボンボン宰相のように途中で精根尽きはてぬ強い意志があれば、そして国家・国民のために不可欠という確信があるのであれば、大連立を決行すべきではないのか?

ただし、民意の裏付けがない以上、大連立は一定の歯止めをかけたものであるべきではある。あくまでも、国民に対して期限を切って行うべきものだ。そして期限内にすべきことをなし、そのあかつきには総選挙で袂をわかち相戦うのだ。「大連立で同じことをしてきた政党が相争っても、国民はどちらを選ぶか選択のしようがないではないか?」 確かにそうだ。ただ、それは大連立解消後の総選挙が政治結果を問う選挙とみなされた場合に過ぎない。むしろ連立解消後の選挙は、「これまで」ではなく「これから」が争点とした選挙であるべきなのだ。そしてその結果政権についた政党は、「これから」とともに、大連立に参加してきた立場として同時に「これまで」に対しても責任を負いつつ国家運営を行うのだ。

もっとも、ここ数年来の、小泉時代からの大連立支持者である私は、福田内閣の下での大連立は見たくもないし、期待もしていない。福田総理には何も期待していない。

このまま総選挙となれば、おそらく選挙後は大連立よりも政界再編の動きの方が強まるのではないだろうか?小沢騒動もそうだが、大阪市長選を見ていて、「やはり今のままの民主党では政権は任せられない」との感を強くした。労組を大動員しての選挙戦。これは何も大阪の特殊事情というわけではなく、これこそが民主党の実態の一部なのだ。

小泉改革いまだ道半ば。我が国の改革がいまだ手ぬるく、その足取り遅し!との焦燥感を私は抱いている。先の参院選では、小泉改革の「負」の遺産がとやかくされたが、我々はまだ痛みに耐えながら改革にまい進せねばならない。よりドラスティックな改革をより迅速に! 私はそう思っている。たかが10年、15年の激流に身を晒し傷つこうとも、それが皮膚の痛みに過ぎない。むしろ今改革を滞らせれば、それはやがて五臓六腑の痛みとなるであろう。

古賀みたいなのがしゃしゃり出てきた福田自民党や今の民主党では、到底胃の腑、心の臓を救い、強めるような改革は到底期待できまい。つまり現状での大連立など、滅多に抜ける宝刀を無駄に抜く行為に等しい。

であるならば、総選挙後の大連立か、政界再編か? 民主の政権奪還は難しくとも
参院選ほどではなくともそれなりに議席を大幅に増やすであろう。そうなったとき、果たして民主党が大連立に動くであろうか? むしろ再びの近々の総選挙を求めて政権与党に攻勢をかける方向に向かうのではないだろうか? つまり総選挙は大連立実現を決して促す要因にはなるまいと私は考えている。あるとすれば、政界再編の動きだろう。総選挙で大阪市長選のようなスタイルで民主党が議席増を果たしたとすれば、小沢やその一派、それに党内保守派は党勢は拡大したものの、自部たちとはもともと相容れない者たちの影響力の強まる民主党にいつまでも期待をかけとどまろうとするだろうか? 自民党も政権を維持できたとして、じり貧状態にはかわりなく、このまま指をくわえて党勢の衰えるのを座視し続けるであろうか?

繰り返しになるが、総選挙後は大連立ではなく、むしろ政界再編の動きが顕在化する可能性の方が高い。はてさて、どうなりますことやら。
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