わたしは今も、デリーの郊外に住むボブネッシュの家に厄介になっている。
近所に両替屋はない。ツーリストが来ることはないのだろう。
ボブネッシュの家にいると、ありのままのインドを見ることができる。
昼間は水道が止まり、停電も珍しくない。
頻繁に友人らが家に訪れてくる。また、彼が開講している経済学の塾にも毎日多くの若者が訪れる。
誰もがみないい人ばかりだ。
朝は果物屋がリヤカーをひいて、各家庭を訪れる。
夜になって、涼しくなると、屋台がどこともなく現れて、道を埋め尽くす。
これがインドの現実だった。
20年前、3ヶ月を費やしてまわったインドをわたしは表層すら見ていなかったことにようやく気づく。
いかにもインドを知ったかのような顔でわたしはこれまでインドを語ってきた。
曰くインド人は狡猾で人を騙す。
曰くインド人の男はあまり働かない。
だが、それはインドの一面どころか、少なくともそれは誤解だろう。
ただ、彼らは環境に合理的に生きているにすぎない。
少なくとも彼らはたくましくあり、生きるために必死だ。
20年前に書いた友人へのエアログラムにこんなことを書いた。
「ボクは一介の旅人にすぎません」。
今振り替えると、これはネガティブなエキスキューズのなにものでないことにようやく気づくことができた。
表層すら見ることもなく、わたしは勝手に自ら壁を作り、自己完結した。
一般的な家庭から見たインドを通して、わたしは多くのことを学んでいる。
観光地でない郊外の、一般の印度家庭に滞在。俺の中での良い旅の指標は、現地の人達との触れ合いもあるから、素晴らしい旅だと思うよ、師よ。
日本人の視点で師が印度で何を見てきて、それをどう俺らに伝えるのか、日々楽しみにしてるよ。
そうそう、サトウキビジュースにはやられなかったようだな。良かったな、師よ。
しかし、敢えて言えば、贅沢な旅かもしれないって、そう思うよ。
おかげさまで、サトウキビジュースには、やられてないよ。
街角でいろんなものを食べてるけど、いまのところだいじょぶ。
馬に乗った死神には、もう会いたくないよ。