中城グスクの二の郭に差し掛かった時、何か尖塔のようなものが見えた。それはすぐに石碑だと分かったのだが、怖くて近寄れなかった。墓標のように見えたからである。だから碑に何が書かれているかも分からなかった。
それが「忠魂碑」だと知ったのは東京に帰ってからである。
一般的に「忠魂碑」は日清戦争や日露戦争で戦死した人の霊を慰める目的で建てられており、あちこちで見られる碑だ。「さすら碑」で . . . 本文を読む
「喜納島」の豪華定食で腹パンになって中城グスクを目指す。途中、絶景ポイントで海を眺めた。
中城グスクは閑散としていた。500円払って城内へ。しかし、いくら平日といえども人気がない。世界遺産なのに。
草原の向こうに見える石垣を見て、少し怖くなった。
なんだろう。
その昔、想像を絶することがあったといような感覚。
原爆ドームに行ったときも感じたし、プノンペンのキリングフィールドに行った時 . . . 本文を読む
「三重城」を出て、また海が見たくなったから、波の上ビーチに戻った。天気はよく、多くの人で賑わっていた。だが、昨日と違うのは、海水浴客の多くが、中国人観光客だったことである。キッチンカーは2台ほど出ていて、昨日寄った「poco a poco」も出店していたが、どうにも酒を飲む気になれず、静観していた。
そんな天候は急変し、一時土砂降りになった。そのタイミングで対馬丸記念館に行った。ただ、戦後80年 . . . 本文を読む
ビーチからの帰り道、また別の石碑を見つけた。
「戦没新聞人の碑」。
そのフォントはもちろん明朝体だ。
石と台座が合っていないが、そんなことはどうでもいい。見るからにもうただ事ではないなと思わせる碑。おおよその想像はつくが、恐らくその想像の何百倍も壮絶で過酷だったと思う。
戦禍に倒れた14名の氏名に加え、碑文が刻まれている。
「1945年春から初夏にかけて沖縄は戦火につつまれた。砲煙弾 . . . 本文を読む
食堂で昼飯を食べた頃、かみさんと息子がホテルに戻ったとの連絡。自分も一度ホテルに帰った。
宿泊するホテルは13時から15時まで、宿泊客に対して飲み物とアイスのサービスがある。飲み物はお茶やソフトドリンクだけでなく、泡盛もあった。
昼飯にビールを飲んだ勢いで、泡盛にも手を染め、ロックで2杯ほどいただいた。
その足で、かみさんらと那覇唯一の海水浴場、波の上ビーチに行くことになった。息子は今回 . . . 本文を読む
鎌倉芳太郎氏の顕彰碑を離れ、100m程度歩くと、今度は「沖縄縣師範學校附屬小學校跡」なる石碑を見つけた。
沖縄には本当に石碑がやたらと多い。
でも、それはいいことだと思う。
歴史と文化を大切にする町は豊かだ。その逆でスクラップ&ビルドを繰り返す東京は貧しい都市になりさがった。
さてさて、いつしか拙ブログは石碑の話しばかり書いているが、最近は学校の跡地の碑が多い。東京市立の第一中 . . . 本文を読む
かみさん一行と別れ、単独で織名園を目指す。MAPを見ると、徒歩で片道30分とのこと。ちと距離があるが、問題ない距離だ。15分ほど歩くと住宅地になり、やがて沖縄特有のでかいお墓、亀甲墓が時折見られるようになった。やがて、道はどんどん細くなり、そして未舗装になった。さらに行くと、ジャングルのようになり、墓だらけになった。MAPの道は間違ってない。けれど、この霊園を見ず知らずの余所もんが平然と通る訳には . . . 本文を読む
首里城はユネスコの世界遺産に登録されているが、琉球王国のグスク及び関連遺産群が正確であり、首里城周辺に遺跡が点在している。首里城に行っただけで、世界遺産を巡ったとはいえないのだ。
そこで、自分は家族と別れ、織名園に一人で向かうことにした。琉球王朝時代、中国からの使節をもてなすために使われたりした別邸らしい。
そこは首里城から少し離れているため、家族と別れ、別行動となった。
首里城を降りていく . . . 本文を読む
那覇2日目は自由時間。
自分も仕事が入らなかったのでゆっくりすることになった。
息子は8年ぶりの沖縄だが、那覇を散策したことがなく、「首里城に行きたい」という。
仕方ないな。行くとするか。
自分は18年前に一度行ったが、あの当時、まだ城は焼けてなかった。
今回、ゆいレールを使って首里城へ向かうと、守礼門や玉陵とは逆の方から城へ登ることになる。それもまたいとおかしなのだが。
首里城に入る . . . 本文を読む
ちょっと歩くとまた石碑を見つけた。
強固な台座に鎮座する「第一東京市立中学校発祥之地」の碑。
経年の劣化で、碑文が読み取りにくい。
その場で第一東京市立中学校について調べてみた。
同中学校の開校は、大正13年(1924)。昨年、開校100周年だったようだ。昭和2年(1927)に九段上に移転。昭和18(1943)年、都立九段中学校となり。昭和23年 (1928)学制改革によって都立九段高 . . . 本文を読む