シェムリアップで知り合った大学生のH本君とバンコクの安宿街「カオサン通り」で再会したわたしは彼の提案によって部屋をシェアするこにした。宿泊代を折半できるのは何とも助かる。
彼の後に尾いていくとNATⅡと書かれた鉄筋の建物に行き着いた。そこはカオサン通りから道を外れた一角にあった。
これは静かでいい。
だが、その反面ややこぎれいな建物を見て、1泊の料金がどのくらいになるのか、心配にもなった。H本君によると彼が今宿泊しているシングルルームは1泊100バーツ弱。
ツインになれば一人あたりの金額はもっと抑えられるだろうという。
実際、フロントに尋ねてみるとツインの部屋は140バーツであり、たまたま部屋は1つだけ空いているという。
試しに料金の交渉をしてみたが、満室に近い稼働率を盾に宿泊料金のディスカウントは聞く耳を持たなかった。
ともあれ、1泊70バーツは充分に安かった。日本円にして約250円という金額はドミトリーの金額には到底及ばないものの、部屋、そしてトイレやシャワーまでも充分清潔な点を考えれば、掘り出しものともいえる宿だった。こうしてバンコクでの拠点が決まったのである。
部屋に入り、例によってじゃんけんでお互いのベッドを決めると、早速わたしは外に出たくなった。お腹がペコペコだったのだ。
カオサン通りの裏手に行くとそこには2年前と変わらずに多くのぶっかけめし屋が軒を連ねていた。
いわゆる「ラーンカーオケーン」である。
そして、ここは相変わらずナンプラーと香草の匂いが立ちこめている。だが、それも決して苦痛ではない。むしろ、わたしはこれまでカンボジアで味わえなかった様々な料理に期待を寄せていたのだ。
タイ式食堂での注文の流れは至って簡単だ。
店頭には5~6種類のおかずがバットに盛られており、指を指して選べば、店のおばちゃんはそのおかずをご飯に盛って出してくれる。
ボリュームもあってしかもどれも皆うまい。
僅か10バーツで腹が満たせるのが何よりも嬉しい。
この食堂が軒を連ねる通りにはほとんどヨーロピアンの姿を見たことがない。彼らは大抵カオサン通りのカフェで食事を摂っているようだった。
カフェでももちろんタイの食事を摂ることはできる。タイ風の焼き飯「カオパッド」はカオサン通りでも食べられるが、値段も5バーツから10バーツほど高い。
だが、彼らはキュウリが添えられたカオパッドさえも口にせず、もっぱらコンチネンタルスタイルの食べ物をビールと一緒に流し込んでいるようだった。
「ラーンカーオケーン」が軒を連ねる道端で遅い昼食を摂り、早速街を散策しようとチャオプラヤー川の方へ向かった。久々に訪れるそのエリアも驚くことに新たな安宿街が形成されていたのだ。
どうやら、バンコクの街は急激な速度で発展を遂げているようだった。
だが、心持は悪くはない。
わたしは、カンボジアで過ごした不便な生活が長く都会の暮らしを望んでいたようだった。
ワット・チャナンソンクラムの木陰で時間を潰し、バンコクの陽射しを避けながらいよいよ本格的にバンコクの暮らしが始まったことに武者震いを覚えた。
ご飯に困らない、ご飯がおいしいということがどれだけ旅をするうえで重要なことなのか、長旅をする中で少しずつ覚えていったことである。
その日の夕方は宿泊先であるNATⅡの近所に不定期に現れる麺屋で「バミーナーム」を食べた。それは翌日も更にその翌日も続く日々の日課になっていった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
彼の後に尾いていくとNATⅡと書かれた鉄筋の建物に行き着いた。そこはカオサン通りから道を外れた一角にあった。
これは静かでいい。
だが、その反面ややこぎれいな建物を見て、1泊の料金がどのくらいになるのか、心配にもなった。H本君によると彼が今宿泊しているシングルルームは1泊100バーツ弱。
ツインになれば一人あたりの金額はもっと抑えられるだろうという。
実際、フロントに尋ねてみるとツインの部屋は140バーツであり、たまたま部屋は1つだけ空いているという。
試しに料金の交渉をしてみたが、満室に近い稼働率を盾に宿泊料金のディスカウントは聞く耳を持たなかった。
ともあれ、1泊70バーツは充分に安かった。日本円にして約250円という金額はドミトリーの金額には到底及ばないものの、部屋、そしてトイレやシャワーまでも充分清潔な点を考えれば、掘り出しものともいえる宿だった。こうしてバンコクでの拠点が決まったのである。
部屋に入り、例によってじゃんけんでお互いのベッドを決めると、早速わたしは外に出たくなった。お腹がペコペコだったのだ。
カオサン通りの裏手に行くとそこには2年前と変わらずに多くのぶっかけめし屋が軒を連ねていた。
いわゆる「ラーンカーオケーン」である。
そして、ここは相変わらずナンプラーと香草の匂いが立ちこめている。だが、それも決して苦痛ではない。むしろ、わたしはこれまでカンボジアで味わえなかった様々な料理に期待を寄せていたのだ。
タイ式食堂での注文の流れは至って簡単だ。
店頭には5~6種類のおかずがバットに盛られており、指を指して選べば、店のおばちゃんはそのおかずをご飯に盛って出してくれる。
ボリュームもあってしかもどれも皆うまい。
僅か10バーツで腹が満たせるのが何よりも嬉しい。
この食堂が軒を連ねる通りにはほとんどヨーロピアンの姿を見たことがない。彼らは大抵カオサン通りのカフェで食事を摂っているようだった。
カフェでももちろんタイの食事を摂ることはできる。タイ風の焼き飯「カオパッド」はカオサン通りでも食べられるが、値段も5バーツから10バーツほど高い。
だが、彼らはキュウリが添えられたカオパッドさえも口にせず、もっぱらコンチネンタルスタイルの食べ物をビールと一緒に流し込んでいるようだった。
「ラーンカーオケーン」が軒を連ねる道端で遅い昼食を摂り、早速街を散策しようとチャオプラヤー川の方へ向かった。久々に訪れるそのエリアも驚くことに新たな安宿街が形成されていたのだ。
どうやら、バンコクの街は急激な速度で発展を遂げているようだった。
だが、心持は悪くはない。
わたしは、カンボジアで過ごした不便な生活が長く都会の暮らしを望んでいたようだった。
ワット・チャナンソンクラムの木陰で時間を潰し、バンコクの陽射しを避けながらいよいよ本格的にバンコクの暮らしが始まったことに武者震いを覚えた。
ご飯に困らない、ご飯がおいしいということがどれだけ旅をするうえで重要なことなのか、長旅をする中で少しずつ覚えていったことである。
その日の夕方は宿泊先であるNATⅡの近所に不定期に現れる麺屋で「バミーナーム」を食べた。それは翌日も更にその翌日も続く日々の日課になっていった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
ネットにあった地図で調べてみたら、俺が思ってとこと全然違う場所にあった。って、良く見てみると俺が知ってたのは2じゃないNATの方だった。
俺はそのナット2から、ちょっと西にある安食堂でよく飯を食ってた記憶があるよ。
もうないのかなと思ったら、ネットの地図に「安くてうまい」って、俺が記憶してる場所がレストランとして紹介してあった。
いやあ、これがそうならまだあるんだなあ・・・。また行ってみたいなあ。
さて、師はカオサン滞在時、タイ飯を満喫してるようだね。
俺も連日結構おいしく食べたんだけど、なぜか日記にはタイ飯の記述が異常に少ない。
ただ、なんとなく覚えてることもあるんで、俺も今度はタイ飯について書いてみることにするよ。
今もカオサンは握っているのかな?
もっとも政情が不安定だから、バックパッカーも減っているんだろうけどね。
師がいう飯屋は一度も行かなかったよ。いつも素通りだったなぁ。
朝はカオサンのカフェで安いコンチネンタル、昼と夜はカオサン裏のぶっかけを食べてたよ。
たまに、サイアムスクエアのマックでサムライバーガーって感じかな。
師のタイ飯記事楽しみにしてるよ。