
「太陽ホエール」を出たのが17時で、まだまだあたりは明るかったからちょっと歩いてみようと思った。桜木町駅西側を線路沿いに横浜方面へ。JR線と並行する不自然に広い通路は東急線の廃線跡である。こんな都会にもある廃線の痕跡を不思議に思いながら歩いた。
桜木町駅は開業当時、横浜駅としてオープンし、その後桜木町駅に改変された。日本で鉄道が開業した新橋ー横浜の、その駅である。鉄道開業は2022年に150年の節目を迎えた。しかし、この駅は国鉄五大事故のうちの一つの現場である。鉄道開業は、そうした事故の上に成り立っていることを忘れてはならない。桜木町事故は駅構内にて発生したとされるが、現場の画像を見る限り、ホームに入線する手前ではないかと推測する。現在の桜木町駅は当時から数十m、横浜駅寄りにズレていて、それを考慮して、現場ひこの辺かなと、その風景を眺め、合掌する。
廃線の高架から地上に降りた。
紅葉坂という坂が気になって左折。坂好きのタモリさんが通ったら、間違いなくここは左折したはずだ。桜(木町)から紅葉に。横浜の街は変わり身が早い。坂の途中でなんとなく曲がりたい欲求に駆られて右折したら大きな公園に出た。
掃部山公園というらしい。
なんて読むんだろう。
そうべやま? と思っていたらどうも、かもんやまと読むらしい。
読めねーよ。
公園を登っていくと巨大な像が見えた。
誰だか知らないが大きすぎて怖いくらい。夜中に来たらもっと怖いだろう。
近くまで見に行ったら、その像は井伊直弼だった。
調べると、公園の土地はかつて井伊家の所有で直弼の官位、掃部頭からとって掃部山と呼ばれるようになったらしい。掃部山はその昔、日本の鉄道開業に貢献したエドモンド・モレルをはじめとする鉄道技師の官舎があったという。やはりここも鉄道に関連したか。
公園広場の片隅には「横浜の開港と掃部山公園」の石碑。
横浜の市政100周年と開港130周年を記念して建立した旨が刻まれている。
井伊直弼像は開港50周年を機に建てられたらしく、井伊を開国の恩人とした銅像の建立趣意書に反発した山縣有朋、伊藤博文らは、銅像の除幕式を欠席したらしい。
明治維新を先導した人らにとって、開港の恩人は納得がいかなかったのだろうか。一説によると井伊直弼も攘夷を唱えていたともいわれている。
折しも昨日は横浜のみなと祭りが開催されたが、そのパレードのコースに掃部山近傍は通過しないのはどうなのだろう。
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