その夜は、ひっそりとそのホテルで寂しく過ごした。
ドミならば、各国のバックパッカーとの情報交換を楽しめたのだろうが、ダブルの部屋はバックパッカーにとっては、とても広すぎた。
隣の部屋は、一家の家になっているらしく、子どもの靴やらが散乱している。
お風呂はその隣の部屋との共同である。
これが、また痺れるような風呂だった。
排水が詰まっているのか、水が抜けないのである。そして、どんどん水がたまり、ユニットになっているトイレも水浸しになった。さすがにこれには閉口した。
朝になってチャイをすすり、朝のラッシュアワーを横目で見ながら、わたしはコンチネンタルの朝食を頬張った。
すると、日本人が現れた。
卒業旅行シーズンでもないのに、若いお兄ちゃんが、わたしの前を横切ろうとしている。
わたしは咄嗟に声をかけた。
「どこへ行くの?」
彼は驚いたようにわたしを振り返った。
その後、彼とは意気投合し、水を吐くマーライオン、セントゥーサ島のマーライオンなどを見に行った。
だが、何故かワクワクした気持ちが湧いてこなかった。
シンガポールが大都会だからか。
いや、大都会なら、何故香港はあれほど楽しかったのだろうか。
それとも、彼が旅のパートナーとしては不向きだからか。
いやいや、そんな理由でもない。
香港は大都会でありながら、雑然とした雰囲気があった。
だが、シンガポールはどこへ行ってもきれいな街並みが続き、わたしを圧倒させた。
食事はさすがに屋台で摂らなければ、わたしのようなものにはいくらお金があっても足りない。だから、昼はミーヤワと呼ばれる麺。夜は日本人の彼とささやかなぶっかけ飯で腹を満たした。
ラッフルズホテルに入る勇気もなく、次第にわたしはシンガポールへの興味を失っていった。
唯一、楽しかったのはホテルの4階に住む中華系の若者である。
ウチへ来ないかという誘いに、わたしは快諾し、彼の家へ行ったのだが、それが面白い家だった。家族が多く、入れ替わり、立ち代わり人が出てくる。彼の英語も拙く、なんとなく意思を疎通するだけの会話だったが、シンガポーリアンとのひとときはとても楽しいものだった。
だが、シンガポールは3日で飽きてしまった。
それは、もしかすると、宿の一階にあるインドレストランのチャイがあまりにもまずかったからかもしれない。
3日目の朝、わたしはマレーシアに向けて出発することにした。
マラッカ海峡のマラッカにである。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
ドミならば、各国のバックパッカーとの情報交換を楽しめたのだろうが、ダブルの部屋はバックパッカーにとっては、とても広すぎた。
隣の部屋は、一家の家になっているらしく、子どもの靴やらが散乱している。
お風呂はその隣の部屋との共同である。
これが、また痺れるような風呂だった。
排水が詰まっているのか、水が抜けないのである。そして、どんどん水がたまり、ユニットになっているトイレも水浸しになった。さすがにこれには閉口した。
朝になってチャイをすすり、朝のラッシュアワーを横目で見ながら、わたしはコンチネンタルの朝食を頬張った。
すると、日本人が現れた。
卒業旅行シーズンでもないのに、若いお兄ちゃんが、わたしの前を横切ろうとしている。
わたしは咄嗟に声をかけた。
「どこへ行くの?」
彼は驚いたようにわたしを振り返った。
その後、彼とは意気投合し、水を吐くマーライオン、セントゥーサ島のマーライオンなどを見に行った。
だが、何故かワクワクした気持ちが湧いてこなかった。
シンガポールが大都会だからか。
いや、大都会なら、何故香港はあれほど楽しかったのだろうか。
それとも、彼が旅のパートナーとしては不向きだからか。
いやいや、そんな理由でもない。
香港は大都会でありながら、雑然とした雰囲気があった。
だが、シンガポールはどこへ行ってもきれいな街並みが続き、わたしを圧倒させた。
食事はさすがに屋台で摂らなければ、わたしのようなものにはいくらお金があっても足りない。だから、昼はミーヤワと呼ばれる麺。夜は日本人の彼とささやかなぶっかけ飯で腹を満たした。
ラッフルズホテルに入る勇気もなく、次第にわたしはシンガポールへの興味を失っていった。
唯一、楽しかったのはホテルの4階に住む中華系の若者である。
ウチへ来ないかという誘いに、わたしは快諾し、彼の家へ行ったのだが、それが面白い家だった。家族が多く、入れ替わり、立ち代わり人が出てくる。彼の英語も拙く、なんとなく意思を疎通するだけの会話だったが、シンガポーリアンとのひとときはとても楽しいものだった。
だが、シンガポールは3日で飽きてしまった。
それは、もしかすると、宿の一階にあるインドレストランのチャイがあまりにもまずかったからかもしれない。
3日目の朝、わたしはマレーシアに向けて出発することにした。
マラッカ海峡のマラッカにである。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
俺なんか現地の人との触れ合いなんか全くと言っていいほどなく、めがね店の女店主との、価格をめぐっての言い争いとか、泊まってた安宿のオヤジに「お前はもっと英語を勉強するべきだ。」とかいう説教とか、そんなんしかなかったからね・・・。
シンガポールはホント、アジアっぽくない大都会だったから、貧乏旅行者として俺はすこぶる居心地悪かったなあ・・・。
今であれば、あの船みたいになった建造物が乗っかってるビルの屋上プールで、トロピカルカクテル飲みながら、優雅に泳ぐような人しか、シンガポールを旅行者として楽しむことはできないような気がするよ。
シンガポールの記憶って実はあまりないんだよ。
都会といっても、あまりにもきれいだから、落ち着けなかったのかもしれないなぁ。
>今であれば、あの船みたいになった建造物が乗っかってるビルの屋上プールで、トロピカルカクテル飲みながら、
そうだね。
今思えば、本場のシンガポールスリングを飲みたかったなぁ。
掲載は月末の最後の水曜日です。
ですから、今月は29日ということになります。
嬉しいなぁ。
今回もマレーシア、シンガポールに旅に出てる間に一気に読ませて頂きました。情景が重なり、一緒に旅をしている様な錯覚にさえ感じました。本当に、良い旅行記です!
応援してます!
マレーの旅、うらやましい限りです。
その旅で読んでくれたこと、とても嬉しいです。
旅の一体感を感じること、心の中に宿る小さな存在と一緒に旅をする。
それも旅の醍醐味のひとつのような気がします。
マレーはどこをまわって来られたのでしょうか。
機会がありましたら、是非教えていただければと思います。