
麻布十番の「SANKO」は硬いイメージがある。
木製のテーブルは角張ったデザインで、硬質な印象だった。モノトーンの店内は遊びがなく張りつめている。
お店のお姉さんらの黙々とコーヒーを淹れる姿が、店の雰囲気を作っているようだ。
店はやはり、店の人と客が奏でるハーモニーで形成されるのだろう。とりわけ、喫茶店はその傾向が強いように思う。
この喫茶店には2回ほど来た。いつも独特の緊張感が流れている。なにかコトリとも音をたてられないような。
有線放送のチェンバロのメロディとは裏腹な空気。
酸味のあるコーヒー。
お茶うけは砂糖がまぶされたゼリー。
コーヒーをひとくち含み、カップをソーサーに置くと、カチャリと音を立てた。
地層のように幾重にも堆積した空気に、折り重なるようにその音は沈殿していき、やがて店の雰囲気に埋没した。
時間という概念は曖昧だ。
人はその雰囲気とともに時間を過ごし、時間を知覚し記憶する。
でも、それは決して絶対的ではなく、頼りないほどに曖昧だ。
人はそれを旅ともいう。
記憶された時間は長らく脳に保存され、時間は何度も再生される。
喫茶店に流れる時間は、独特なのである。
街にはさまざまな居場所があるが、旅ができる居場所はそれほど多くはない。
ましてや、自分と向き合える旅など、この街のどこにあるというのか。
「SANKO」の硬質な空間に流れる時間は旅である。
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