三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

フルグラモーニング、そうか

2011-04-23 22:53:05 | 食雑記
<4月16日の食事>
朝:フルーツグラノーラ+バナナ+イチゴ+ヨーグルト にせチャイ
昼:パッタイ ランチバイキング(サラダ、スープ、カボチャのカレー)バナナのココナツ煮 @ティーヌン 青山店
夜:恋人と。カールスバーグ カシスビア 枝豆とサーモンのマリネ アボカドハンバーグ 栗のニョッキ @RAIN ON THE ROOF ・三軒茶屋

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まぁ毎朝のようにフルーツグラノーラを食べる私である。
その親しみ食しているフルーツグラノーラが、「フルグラ」と略して呼ばれていると知り、半ば衝撃を受けている。

略し方に気づいたのは、たまたま観ていたYouTubeの映像によってであった。
アメリカの14歳の女の子の歌う歌が、話題だという。
意訳を日本語の字幕でつけた、というものを観てみた。
それには「フルグラ」という見慣れぬ言葉が書かれていた。
だが文脈から察するに、それはフルーツグラノーラの事なのであった。

追ってツィッターにて「フルグラと略すものであること、カルビーの袋には『フルグラ』と印刷されていること」を教えてもらい、事実として確定した。

呆然とした。
愛するフルーツグラノーラに、そんな略称が与えられていたとは。
「レンジでチンする」を「レンチン」、シナモンレーズンを「シナレズ」と略すと知った時以来の、衝撃ではなかろうか。

何故略称を知らないか、また使わないかって、その言葉を発する機会をあまり持たないから、だと思うのである。
松山ケンイチについて頻繁に話す機会がなければ、「松ケン」とは略す機会も同時に持たないというのと同じように。

若手芸能の話であれば、それを話さなくなる己=加齢ということなのだろうが、この場合はフルーツグラノーラを愛好する人があまりいないからではなかろうか。

だって実生活でフルーツグラノーラのこと話さないもの。
例えば食べるラー油のような「流行商品」とは別ベクトルの、少し鄙びた食べ物だもの。
だからツィッターでたまたまフルーツグラノーラのことで盛り上がると、嬉しいもの。
胸に去来するのは、マイナーな趣味合いましたね!だもの。
でも「フルグラ」と略して呼ぶひとはいるのだから、場所によっては手堅く愛されている筈なのである。

この3月以降、流通や製造のとまった食品がいくつかあるが、実はフルーツグラノーラもその一つなのだった。
少し高級路線のスーパーに輸入品があるのみで、まず国産品は見かけない。
あったら奇跡、ってくらい見ない。
そしてまた、なくなっていることを話題にしたニュースやブログなども見ないのである。
…フルーツグラノーラ、どんだけ少数派か。

ないと騒がれていたヨーグルトや納豆は、段々復活している。
喜ばしい事だ。
だがフルーツグラノーラが置かれている状況は変わらない。
このままでは、安くてウマいセブンイレブンのフルーツグラノーラが食べられなくなってしまうのでは…と危惧している。
なくなりませんようにという願いを込めて、こうして地味にブログで訴えるとともに、少しでもメジャー感を与えるため「フルグラ」と呼び始める時期なのではないか、と思っている。

そういえば福岡でも屋台に行かずじまいだったのだ

2011-04-23 09:40:04 | 食雑記
〈4月15日の食事〉
朝:フルーツグラノーラ+イチゴ+ヨーグルト コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、鶏とスナップえんどうの塩麹漬け炒め、ニラのごま和え、インゲン卵とじ、パプリカの塩麹漬け)
間食:SOY JOY・バナナ味
夜:塩親子丼(ローソンで購入) 豆乳

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この日は仕事で、タクシーを利用したのだった。
信号待ちの車中から、不思議な光景を見た。

大通りに面したところに、屋台がある。
おでんだったか、そこに屋台を出しているのは何となく覚えているから、そこまでは別段不思議ではない。

少し離れた車中から察するに、その屋台は随分小さいようである。
一畳分もないのではないのか。
その一畳未満にぐるりと一周、そこにぎゅうぎゅうと体を寄せあうように、5~6人ほどの人が腰掛けている。
そう、誰も彼もが座っているのであった。


実は屋台で食事をしたことはない。
だから聞きかじった情報や、ドラマなどを観て刷り込まれた知識ではあるのだが、屋台とは店主というものがいて、客とは屋台越しに対面し、立ってサーブするものではなかったか。

ところが、全員座って談笑しているのだ。
お得意さんと、和気あいあい一杯やっているのだろうか。
どれが店主かと更に目を凝らせば、どの人も会社勤めみたいな扮装である。

この格好でめしを作るのか?
それとも、ここからは見えない歩道側にいるのか?
それならば見えなかっただけで、そこで立って作業しているのかもしれないけど、お客さんをよそに自分が一番安全な歩道にいたりするものか?

少し目に入った屋台に疑問が次々と浮かび、目が離せなくなってしまった。
遠慮なしに見ていたら、さすがに気付いた客たちから、訝しげに視線を返される。
にしたって不思議なんだもの、と目が動かせない。

信号が青になって、ようやくタクシーが動く。
それに伴って、姿勢も正面に正すことにした。

あれはどういった屋台だったんだろうか。
解明するため、今度は徒歩で付近に近付かなければな、と思っている。

甘味と、願いを

2011-04-23 01:07:02 | 食とレビュー
<4月14日の食事>
朝:フルーツグラノーラ+ヨーグルト コーヒー
昼:菜の花とサーモンのキッシュ ニース風サラダ(以上2点、DEAN&DELUCAで購入)無調製豆乳
夜:お弁当(玄米ご飯、豚の塩麹漬け焼き、キンピラゴボウ、ブロッコリーのカッテージチーズ和え、したらばサラダ)

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読んだ、といえば、先月のはじめ頃、酒井順子さんの「甘党ぶらぶら地図」を読んだのだった。

47都道府県を甘味を求めて巡った紀行文である。
酒井さんのエッセイは普段からよく読むが、やわらかな文体の中にも鋭い洞察力が伺える通常のものと比べて、好きなものを愛でる視線に満ちた紀行文は、文章の美しさがよく分かりやすいなと思う。

さて、その紀行。
各地の伝統的なお菓子縛りで巡っているため、和菓子を中心に食べておられる。
どちらかといえば間違いなく洋菓子の方が好きな私でも生唾が溜まって仕方なかったのだから、和菓子好きにはさもありなんというところだろう。

尚、我が栃木県にて酒井さんが召し上がったのは、「冬に食べる」日光の水羊羹。
練り羊羹に比べて日持ちしない水羊羹だから、傷みにくい冬に作られたのが始まりらしい。
水羊羹が名物なのも、そのいわれも、恥ずかしながら存じませんでした…。
そういった、地元の者でも知らないような隠れた名品って、沢山あるんだろうなあ。

このエッセイが最初に掲載されたのが2001年、単行本として刊行されたのが2007年で、文庫本が出たのが去年の7月。
事実を伝えるエッセイにはつきものの、仕方ない話ではあるが、その間にも変化は起きる。
甘味の作り手がご高齢で、掲載後にお店をしまわれたり、亡くなられたり。
名人の息遣いが伝わるような生き生きした文章だからこそ、その悲しみや儚さが余計に感じられる。
描かれた世界を、刹那なものとして、とても愛しく思える。

そして3月に、世界は変わったのであった。
初めて読んだ時には、読み方が変わるなんて思わなかった。

酒井さんが東北新幹線で出会った、東京に進学が決まった高校生。
彼は今ごろ、二十代半ばかそれ以降といったところだろうか。
地元への愛情が強い青年だったけど、東京の大学を出た後、そのまま東京で仕事を見つけたのかな。
それともやっぱり帰ったのかな。

私にとっては見た目も声も名前も知らない青年な訳だが、酒井さんの文章に彩られ、とても身近に感じてしまったのである。
どうか悲しみに押しつぶされていませんように。
そんな事を願ってやまない2011年4月の夜である。