三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

銀杏ノスタルジア

2010-12-10 10:30:27 | こんなものを食べてみました。
〈12月5日の食事〉
朝:ガチョカヴァロのせトースト ヨーグルト
昼前:パイの実など
昼というか:法要の席にて。前菜盛り合わせ 魚の椀 海老・蟹と野菜の天ぷら すき焼き 茶碗蒸し 握り寿司 果物盛り合わせ
夜:カレイの煮付け

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して、宇都宮で過ごす二日目。
実家近辺で家族や親戚と顔を合わせれば、不意に幼少期の事が思い出される訳で、例えば銀杏。

今回の法要でもお世話になった近所の寺には、樹齢500年にも及ぶイチョウの木があり、それこそ「そびえる」と呼ぶに相応しいもの。
よく写生の題材にもした立派なものだが、それだけ立派な木だと、銀杏の成りようも準じて凄いのである。
従って、匂いも凄まじいのであった。
木のすぐ傍には広くはないが舗装された道路があり、車が走る。
人も歩く。
そうやって潰された銀杏の放つ匂いがいかほどのものか、お分かりいただけるだろうか。

こうして秋から初冬にかけての銀杏の臭さを刷り込まれていたから、後にあの中には食べ物が入っていると知った時はカルチャーショックだった。
あんなに臭いものが美味しいはずがないと、元来の食わず嫌いも手伝って、最初に食卓に上った時には食べなかったように思う。
それが自分の意志で食べるようになったのだから、大人になったもんです。

以下はツイッターで書いた事との重複になるが、あの臭い銀杏から食べ物を見出だした人は凄い。
おそらく食糧難の時代にでも、食べられる物の開拓に励んだ結果、悪くないという結論を得たのであろう。
悪いことは言わないから、騙されたと思って食ってみろ、と周りに諭してまわる発見者を想像してニンマリしてしまう。
しかし、食べるのは核の部分のみというのを見ると、臭いでろでろ部分は食えたもんじゃなかったのだろうな。

もう一つ、今回の席で出された茶碗蒸し。
子どもの時に、やはりこれも好きじゃなかったと思い出す。

いやね、茶碗蒸しって見た目プリンにそっくりじゃないですか。
そして、甘い卵焼きってのもあるでしょう。
だから一番最初に、うす甘い味付けを想像して口に運んだのだね。

ところがああいった、出汁味の代物だった訳で。
おまけにカマボコだの椎茸といった、おかずでしかない具も沢山紛れこんでいた訳で。
勝手な想像を持って挑んだだけなのだが、裏切られた、と思ったのでしょうね。
これ好きじゃない!と即時に判断したであった。

それも今や美味しくいただく訳で、いやあつくづく大人になったもんである。