ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

1月の世田谷ボロ市にも初日の15日に(追記再掲)

2024-01-20 09:44:00 | 工芸絵画骨董

 12月と翌1月の15と16日に開催の世田谷ボロ市、12月も出向いたがあまり買いたいものは無かったが、1月も15日にまたも、というのも1月には企業が配り残したカレンダーが寄付されて、それが200円均一でチャリチー販売されるので、まずはそれを買ってから骨董雑貨を漁りに、この日は平日でもすごい人出で外人客も多かったようです。

 ゆっくりと家を出たので着いたのは11時近くで代官屋敷前でのくす玉割りが行われるちょっと前、天気晴朗なれどもやや風強しであったものの、厚着でこの人混みにもまれたら汗をかくほど、今回は全体の2/3ほどだけ巡っただけであったが、長年見ているので出店者の入れ替わりもかなりあったような、顔を見知っているのはだいたいが骨董を扱っている業者についてですがほかにもいくつか。

                        くす玉割りを待つ人たち

                        くす玉割りは11時に

 カレンダーのチャリティー販売は代官屋敷の敷地内の広場で、手帳類も売られています、全て200円均一市販売と安いので多くの人が、僕は絵や写真などがある好きなものを選んで5個を、我家用にはとりあえず壁に貼った貰い物の小さなカレンダーとの入替え用で2個を、軽井沢用には3個です、年明けでも十分に間に合いますから。

                          カレンダー売場は人だかりが

                          買ったカレンダーは5種類

 そのあとはメイイン通りを中心に巡って、三ヶ所で一つずつ買ったものは郷土民芸品みたいなもの二つと、見覚えがあった絵柄の徳利を見つけてしまって。

                           おてもやんと彦一という熊本の民芸品のようで、黒ずんだガラクタ類の中で目に飛び込んできてしまって、ちょっとばかり面白いねぇと

                             ミニチュアものが並ぶ中に動くものが目に入ってきた、この鶴亀の首がユラユラと、張子で首が動くものはよくあるがこんな小さいものでと

                           これを置いていた業者は初めて見る40代前ぐらいのこの業界では若手、山形の鶴岡の旧家から一式で出てきた陶磁器類を並べていて、その中で色物柄はこれだけで京焼じゃないかなと言う、僕は以前に手に入れたものとよく似た図柄だなぁと、銘みたいな文字があってこの字はハテ?と、中間に変なものが入っているが犬山と書かれているのではと、花瓶として使おうかな

                            以前に手に入れた鉢の絵柄は今回の徳利と同じで、調べてみて犬山乾山かと思っているもの、犬山を音読みすればケンザンです

 毎回とはいかないもののこういうものと出会うのが楽しいですよね、この中では犬山と思われる徳利は見覚えのある図柄を見て買わずにはおられませんでした、ついつい買ってしまったが昼抜きで済ましたランチ代に少し上乗せぐらいなので許されよと。

 

 我家には以上のもの以外にも犬山乾山じゃないかなぁと思われる焼物があって、いずれも骨董市で絵柄が気に入って購入したもの、染付や色絵錦手でもギッシリ描かれたものや緻密な図柄のものよりもこういうおおらかな絵の方が僕は好き、それに自然と長くはぐくまれてきた時代臭というのもこれらには感じられるので。

                           これはダンボール箱の中にガラクタ類として格安均一で売られていたものの中から拾い出して、時にはこんなものが見つかることも

                             

                              これらは猪口で大きさはバラバラではあるが絵柄は同じ、1個ずつ時期も場所も別々に見つけて、この中の一番小さいものが初めての犬山乾山で、実はほかのものを買った時のオマケだった、売主も何処の焼物か分からないということで

  最後は犬山ではないが乾山風の焼物を、これらの図柄は全て変えていてそれぞれが上手で上の物よりも品がいい、東京フォーラム骨董市が始まった頃に買ったと記憶する。

                          

                           5個セットで売られていたこれらも安かった、乾山風で初めは三浦乾也かなと調べたらどうも浦野乾哉じゃないかなと、印みたいにデザインされている文字が乾と哉の組合せかもと、乾哉は六代乾山を名乗ってかのバーナード・リーチの師匠だったとか


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