ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

山荘のテレビ台にある民芸品飾り物の中に不可解な土人形が

2024-09-19 09:09:29 | 工芸絵画骨董

 冒頭写真は軽井沢のテレビ台にしている古い桐箪笥の上の一部で、ここには雑多な小物グッズを並べていて、この一郭には郷土玩具などがいくつか、その中にお城を主題にした土人形なるものがあって、城に巻き付くおそらく桜と内部には天神らしき姿が、何でこんなものを作ったのかと。

 今は途切れてしまった追分レトロ市で2015年に買ったもの、おそらくこれを買った人が裏に青森津軽と書いたラベルが貼ってあって、その人からこれを受け継いだ人が興味なしと売り払ったものかも、それだともっと昔のものでしょうね、こういう人形や動物などが主役じゃないのはあまり見かけなくて不思議な土人形だなぁと。

                         中央奥に鎮座しているのは天神様でしょう、これは尊像の形がしっかりしている

                         裏には手書きで津軽青森と

 ネットで調べたら津軽の下川原焼土人形に堂内天神なるものを見つけた、堂内と名付けられるものには各地の土人形でも形式が似たものが少しはあるようで、中でもこれにほぼソックリと似たものを一つだけ見つけました、それではこの城に津軽城の桜と思われる樹がまとわりつくものとは違っていて、天神の姿はあるが樹は梅と書かれていた、そちらは新しいものらしく販売カタログに掲載ものでSOLD OUT品となっていたが、天神の姿は簡略化されていてやや不鮮明な造りのようですね。

 これはそれより以前に作られたものか、同じ型があって色づけ時に桜や梅に描き分けていたものかも、でも子細に見ると型も少し違っているのような、しかし津軽の下川原人形だと分かったのでなんでこんなものが作られているのかも調べてみた。

 由来によると、古くは津軽氏の先祖は大浦氏といったそうで、その先祖の発祥地の館神が天神だったそうです、津軽に移ってからも津軽城の中に天神を祀っていたのでしょうかね、その歴史を土人形として伝えるものらしい、こんなものでも調べてみると面白いですねぇ、郷土玩具にも津軽の歴史を知ることとなった。

 これはテレビ台じゃなく、神棚を模している山荘の上段の棚の方に飾ろうかな。

 

 これをアップしようとしていた時に放映されていたテレビのアサイチでは津軽についてやっていましたね、もう一つ蛇足ながら今朝の早朝散歩中にはツクツクホウシの鳴き声が聞こえました、ヒガンバナは遅れているようですが秋はすぐソコに。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 軽井沢の庭に咲く9月初め前... | トップ | 十六夜明けの月はピンクの雲... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

工芸絵画骨董」カテゴリの最新記事