現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

ずっと不思議に思っている。なんでやろ?

2017-01-15 | Weblog

日本という国の中のビジネスは、他国と変わったところが多い。最初にそういう風に思ったのが、約35年前にブームとなってきた豆乳だが、初めは細々とやっていた、愛知県のマルサン食品や、埼玉県の朝日食品や、紀文といったところが、大きく世の中に出てくると、一気に三菱化成、ヤクルト、不二製油、東洋製酪と次から次へ市場参入してきて、結局、すべてのメーカー品が一つのお店で、一度に並ぶほどの売り場面識もなく、売り込みの競争も激化、価格競争が出てくるのは当然の帰結で、最終的には市場のシェアを奪い合い、逆に飽和状態からマーケットから飽きられ、縮小傾向となり、生き残った数社のものだけが生きながらえることになる。

そういえば灘、伏見の日本酒メーカーを訪問している時に、業界売上トップの月桂冠(大倉酒造)は、新製品は2番目以降に販売開始すると宣言していた。どこか、少しランクが下がるメーカーが、例えば生酒を販売し始め、それなりの評価がでてきた段階で、すでに準備していた同種の日本酒を売り出すという。

それから月日は経つが、理容、美容業界では、組合など登録されているサロン件数だけで、30数万件に上る。非登録を含めるともっとだろう。その数字の上に、新たに出てきた、1000円カットのチェーン店や、個人店が上乗せになるのだから。こんなにたくさんの理容、美容のお店がひしめく国を知らない。人口が3倍に上るアメリカでも、おそらく3分の1程度と思われる。それだけひしめきあって競合するから、繁盛店とそうでないところの格差もあり、1店当たりの売り上げや利益が本当に小さなものになってしまい、苦労の連続となる。

この国では、新たなビジネスモデルが誕生すると、すぐにマネをするところ、追随するところがゾンビのように現れ、市場の中で食い合う結果となる。ラーメン、居酒屋、焼き肉といったところも出ては消え、消えては出てを繰り返さざるを得ない状況となってしまう。

まるで、真のゾンビ状態で、ビジネスのうまみがないように思える。ひたすら疲弊していく一方である。規制規制ばかりのこの国で不思議なところだが、逆にあらゆるところに規制がされるから、出やすい市場が少ないのかもしれない。タクシーなども、都内の交差点では、信号待ちしている車の半分以上がタクシーという状況もよく見かける光景だ。それにより、1台当たりの売上が相対的に下がり、働いている割に、分が悪い仕事といえる。早朝の新聞配達も、雨や雪の日もあり、非常に過酷な条件の中、頑張っておられるのに、対価水準が低い。介護などもそうだろう。保育士なども。そうした厳しい、皆がやりたがらない職種、業界の待遇水準をなんで上げていくことができないのだろう。

ミャンマーに8000億円、フィリピンに1兆円、それを国内に向けたらどうなるの?

どうして、世界のなかで、この国だけが、こんなにも同じ商売に人が集まり疲弊する結果ばかりとなるのか?

先進国と言いながら、スポーツの世界でも待遇が極端に高くなく、いまだに海外に有能選手が待遇良く簡単に行ってしまう。どうして、世界で2番3番といいながら、そのレベルが低く魅力ない市場に甘んじなければならないのか?

最低賃金レベル、福祉、年金、なんで、こんなにも低いレベルを続けるしか能がないのか?

同じ売り上げを誇る企業を比べてみても、日本の会社と外資の会社では、圧倒的に日本の会社のほうの社員数のほうがたくさん働いていて、社長はその従業員数に満足しているが、当然のことながら、頭割りすると給与が安くなる。たくさん居るから仕事が早く終わるかといえば、全く逆で、だらだら、何もすることがなくても残っている残業がおおい。なんか社員側も、それでいいとあきらめているところがあり、なんでこんな効率の悪いことを続けているのか全く意味がわからない。給料がやすくても雇用されるのがいいのか、それとももう少し高いレベルで雇用されるほうが忠誠心も強くなり、定着するのではと思うが。

なんでだろうと、ずっとずっと考えているが、じぶんでも納得するうような答えが見つからない。

 

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