現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

満たされないもの

2015-03-20 | Weblog

国際的にはイスラム国のようなテロ集団。国内的にはオウムのようなカルト宗教集団。普通の理屈で考えれば、それらに加担することは社会からどんな目で見られるのかは十二分にわかっているはず。それにもかかわらず、加わっていくということは、常人の思考の領域を越えた、何か突き動かされるものがあってのことなのだろうと想像はするが。

通常の時に、毎日、しかもいつも通りの単調な繰り返しの日々を送っている中で、特段、自分にスポットライトを当てられるでもなく、どちらかといえば、周りから『何をたっている?』なんて程度にしか見られていない日々を過ごしていれば、こころのどこかにふと満たされていないと感じる時が、ちょくちょくある。同時に満たされるとは?とも考えてしまう。

よく世間では、認知の欲求という言葉だったか? 周りから認められたいという欲求があり、それを満たされないと、満たされるような行動へ走るとも聞くが、この事柄について理解できないというわけではない。おそらく、このように考える、さらに先の領域にまでたっしているからこそ、上のような集団にまでたどりつくことになるのだろうが、ちょとした日常の思いのことを考えれば、誰しも、同じようなものを持ち合わせているということだ。

その時に、いわゆる俗世的なものへ、逃げ込んだり、享楽したりで、忘れさせてもらえたりできれば、最終的なところへ行かなくてもすむのだろうが、世俗的なものを楽しむのにもお金やコストがかかり、そう簡単に頭を切り替えるというわけにもいかぬ。とかくにこの世は住みにくい、といったところだ。

日本人の典型的な組織で、だめなところが、未経験者は黙っとれというところだ。他での経験など、ほとんどフォーカスなどせず、非常に狭い領域での先輩、後輩が幅を利かせるところだ。そんな狭い了見では、新しい革新的な考えなど入る余地などまったくなく、口では、広く第3者からなどの意見がどうのこうのという割に、島国根性丸出しの、直線野郎のなんと多いことか? こんなんでは、いつまでたっても非効率な、アンリーズナブルなことの繰り返しだ。

コメント
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