緊急事態宣言下での研究室は、限定的な対面形式にて何とか実験と
データ解析、研究経過報告、研究指導というルーチンワークを継続できている状況です。
このブログもそうですが、不特定多数の方に対して意図して発信しているメッセージは
発信者側にとっては、その意図を十分に理解していただこうと努めています。
大学の研究室としての最も強いメッセージは、何といっても研究成果を発表すること、
つまり・・・学会等での発表会、論文の公表です。
それには客観的事実の積み重ねの上に成り立っていて、(おそらく)発信者側が
意図しないメッセージが、受け手側に伝わることはないと思われます。
・・・しかし、コロナ禍で混沌とした状況下では、ある行動が、発信しているとさえ意図しない
メッセージとして無意識のうちに広まっていしまうケースも少なくありません。
「多人数での会食は控え、感染しない・させない、心づかいをしたいよね・・」と
公的に発言した関係者とみられる方々による「宴席」・・・
これでは、そのメッセージが全く逆効果となってしまいます。
「・・やってられない・・・」っと
「東京五輪」の開催の是非が関心事となっていますが、今この時期に
「五輪」を開催することにはどのようなメッセージとして受け止められるのでしょう???
最終投票コンペ会場で「TOKYO」のカードを当時の会長が見せて喚起に沸いた時には、
「震災復興の象徴」
だったろうし、2020が2021に延期になった時の
「コロナに打ち勝った証し」
は、
「ともにコロナと戦いましょう」
とでも修正されるのでしょうか?
メッセージはどのような形でも発信され、それはその行動をとった側の意図としないメッセージとなること
があることに、メッセージを発信する機会の多い立場からは、つねに「こころくばり」が必要であることを
気を付けていきたいです。
データ解析、研究経過報告、研究指導というルーチンワークを継続できている状況です。
このブログもそうですが、不特定多数の方に対して意図して発信しているメッセージは
発信者側にとっては、その意図を十分に理解していただこうと努めています。
大学の研究室としての最も強いメッセージは、何といっても研究成果を発表すること、
つまり・・・学会等での発表会、論文の公表です。
それには客観的事実の積み重ねの上に成り立っていて、(おそらく)発信者側が
意図しないメッセージが、受け手側に伝わることはないと思われます。
・・・しかし、コロナ禍で混沌とした状況下では、ある行動が、発信しているとさえ意図しない
メッセージとして無意識のうちに広まっていしまうケースも少なくありません。
「多人数での会食は控え、感染しない・させない、心づかいをしたいよね・・」と
公的に発言した関係者とみられる方々による「宴席」・・・
これでは、そのメッセージが全く逆効果となってしまいます。
「・・やってられない・・・」っと
「東京五輪」の開催の是非が関心事となっていますが、今この時期に
「五輪」を開催することにはどのようなメッセージとして受け止められるのでしょう???
最終投票コンペ会場で「TOKYO」のカードを当時の会長が見せて喚起に沸いた時には、
「震災復興の象徴」
だったろうし、2020が2021に延期になった時の
「コロナに打ち勝った証し」
は、
「ともにコロナと戦いましょう」
とでも修正されるのでしょうか?
メッセージはどのような形でも発信され、それはその行動をとった側の意図としないメッセージとなること
があることに、メッセージを発信する機会の多い立場からは、つねに「こころくばり」が必要であることを
気を付けていきたいです。