庄助さん

浮いた瓢箪流れのままに‥、日々流転。

阿部(首相)さんの辞任

2007-09-19 23:22:42 | 評論、感想
 国民の期待と将来への大きな可能性を秘め登場した阿部首相。しかし、1年足らずで辞任。辞任については、新聞・テレビの報道から巷の評論家まで数多くのコメントが出された。これらのコメントの多くは阿部さんに対して総じてあまり芳しいものではなかった。辞任のタイミング、そして、この時期の辞任が与える諸々の影響を考えると確かに大方の論評に同調せざるを得ないものがある。しかし、一方で「気の毒な面」を感じるものもある。任命した閣僚の何人もが失言やら、会計処理等の失態などで任命責任を追及され、過去数十年にわたり放置されてきた年金問題への対応が、あたかも阿部内閣の失態であるかのような印象をもたされたまま大きな争点として参院選に突入、そして、選挙は大きな敗北へと向かった。さらに追い討ちをかけるように改造内閣発足と同時にまたまた新閣僚や政務官に不祥事が発覚…。そして、致命的な健康不安……。辞任にあたってはそれなりの理由がある。その意味では、大方の国民誰もが分かり易い理由であったと思われる。

 阿部さんの辞任の背景を、表に出た問題点、それに伴う報道等だけで考えればそれで落着してしまう。しかし、根幹に関わる部分についてはもっと違う視点で考察していく必要が感じられた。
 その一つは、阿部さんの所属する党内部の問題であったと思われる。基本的な考え方をはじめとして、それなりの思想・心情を共有するからこそ参集して結成した一つの組織である。そのような組織から送り出した首相という日本の内政・外交の舵取りを任せた代表。当然、その首相が窮地に陥れば、所属を一にするものとしては心血を注いで、組織として、また仲間としてバックアップにあたらなければならない。しかし、今回の阿部さんの辞任劇を見ていると「仲間の冷たさ」のようなものがひしひしと感じられてきた。自党の代表としての仲間を、一見支援し助力しているように見えても、うわべの姿、ポーズのようにしか感じられなかったのは多くの国民が感じたことではなかったかと思われる。さらに、報道を含めて、阿部さんを支援するどころか、このときとばかりに、同じ仲間の党でありながら阿部さんの辞任を促進させようとする動きが加速されたことも否定できない。

 一国を代表する首相であれば、大きなことから小さなことまで、全てについて遺漏なく、且つリードする心身・頭脳ともに熟達した人物が必要であろう、しかし、どんな人物、人間であろうとも、仲間内から足を引っ張られるようなことがあってはリードはもとより、多くの難題を抱える国政・外交の推進を迅速且つ適切に推進させるのは難しいだろう。もし、首相が窮地に陥るようなことがあれば、みんなで全力を挙げてバックアップする、そんな態勢が整った組織だったら阿部さんの辞任もなかったのではないか。また、そのことは、何よりも、多くの課題を抱える、内政・外交を効率よく促進させ、ひいては日本の国力、国際競争力の強化増進に繋がることに結びつくものでもある。所属する仲間内の党内でごたごたと足の引っ張り合いをしていては、日本の将来に明るいものは感じられない。いつまでも次元の低い政治が続くだけであって、国民のことを、国家のことを考えた政治ではない。

 一方、野党と称する党に所属する代表者等の話しが報道されているのを聴いていてもがっかりさせられるものが多かった。何があっても、まずは与党が悪いと批判するばかり、聞いていて憤りすら覚える。また、相手の敵失に便乗した形の論理・意見が多く、あまり聴きたいとは思わないものが多い。もう少し、国民・国家のことを考えた、具体的で分かり易い政策、その基となる財政・外交等に係る施策を示してもらいたいものだ。他党を批判する能力のあることは十分に理解できた、次は、よりよい日本を構築していくための具体的施策とその実践を見てみたい。

 全ては国民・国家のため、このことをしっかりと肝に銘じ、与野党問わず、公明正大、スケールの大きな政治を展開して欲しいものだ。
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