一月も 大寒迎え はや下旬 十二の暦 一つ消え行く 庄助
今日は家内の実家の初釜。娘と二人で着物を着て出かけていきました。穏やかな冬の陽光を背に浴び、母娘が連れ添って着物姿で歩く光景もいいものです。 柔らかな 冬の日差しに 包まれて 着物姿の 娘と母と 庄助
楽しみにしていた正月。迎えてみれば昇天の夢心地。終ってみれば一睡の夢。…諸行無常。 正月も あっという間に 過ぎていく 夢幻か おせちと餅と 庄助
例年、初詣は欠かしたことがない。参拝する神社はその年によって変わることが多いが、今年は昨年に引き続き寒川神社へ。家を出てから約1時間余り、単線の相模線の電車に揺られ寒川神社へ。家内と娘は着物姿で。本当は自分も…、という気持ちもあるがコート姿で。駅を降りて徒歩10分ほど。参拝者の数は大変なもの、社殿正面に着くまで20分ぐらい。「いいご縁が何百回もあるように」と、その願いにひっかけてお賽銭を投げ入れ「家内安全、健康第一」を自他共に祈願する。参拝後は破魔矢を買って、甘酒を一杯飲み、そして帰途に。
元日の朝食はいつもゆっくりとしている。朝食は雑煮にお煮しめ、鯛に蒲鉾、きんとんに黒豆等々。定番の正月料理ではあるが家族揃ってお屠蘇をいただき、ゆったりと正月料理を食べるのは本当に素晴らしいこと。すでに今年は良いことがもういっぱい。「まさに、こいつは春から縁起がいいや」、というところ。食事のあと、ほろ酔いかげんで初詣に。
こんなパターンが我が家の元日の一日。初詣を終えて家に着く頃はすでに夕方。今年の元日も本当によかった、と思えればすべてよし。今年も素晴らしい一年のスタートが切れて満足しています。
お決りの 元日の日の 過ごし方 それでも何故か 幸せ一杯 庄助
元日の朝食はいつもゆっくりとしている。朝食は雑煮にお煮しめ、鯛に蒲鉾、きんとんに黒豆等々。定番の正月料理ではあるが家族揃ってお屠蘇をいただき、ゆったりと正月料理を食べるのは本当に素晴らしいこと。すでに今年は良いことがもういっぱい。「まさに、こいつは春から縁起がいいや」、というところ。食事のあと、ほろ酔いかげんで初詣に。
こんなパターンが我が家の元日の一日。初詣を終えて家に着く頃はすでに夕方。今年の元日も本当によかった、と思えればすべてよし。今年も素晴らしい一年のスタートが切れて満足しています。
お決りの 元日の日の 過ごし方 それでも何故か 幸せ一杯 庄助
新年あけましておめでとうございます。
「浮いた瓢箪流れのままに、日々流転」。そして、「日々是好日」かな?
今年もよい年でありますように。
昨日より 今日を迎えし 朝(あした)かな 変わりしものは 頭髪ばかり 庄助
「浮いた瓢箪流れのままに、日々流転」。そして、「日々是好日」かな?
今年もよい年でありますように。
昨日より 今日を迎えし 朝(あした)かな 変わりしものは 頭髪ばかり 庄助
一年の締めくくり大晦日。地球の動きからすればただ一回の自転にすぎないが、暦としての今日この日を情感に訴えたときその意味合いは違ってくる。人間の行動はもとより、その基となる考え方・感じ方を自然にとらえると、何事にもそれなりの締めくくりが求められ、また求めたくもなってくる。締めくくりがあってはじめて初めもある。事の終始はどちらが先かはさて置き、「締めと初め」は人間の心理、また人間社会にとって欠かすことのできない要素かもしれない。しかし、いざ自分の「締めと初め」について改めて考えてみるとそれ程の意識も考えもないようだ。それどころか、まったく考えていないような気もする。ただ、情感に訴えるものは多少なりともあるようだ。
今日は大晦日。なんともいえない気持ち…。「いいものだ」。
明日(あした)は元日。明日(あす)もまた同じような感覚で迎えたい。
日が暮れて 今日も一日 過ぎてゆく ふと気が付けば ああ大晦日 庄助
今日は大晦日。なんともいえない気持ち…。「いいものだ」。
明日(あした)は元日。明日(あす)もまた同じような感覚で迎えたい。
日が暮れて 今日も一日 過ぎてゆく ふと気が付けば ああ大晦日 庄助