(3月11日に記述)
夜明け前、背中にドスンと突き上げる衝撃をうけ、目が醒めた。スマホで確認すると、道南日高で震度4の地震があったらしい。腑に落ちないので、暫くしたら続報があり、千葉を震源とする震度3の揺れが関東で観測された。
震度3であれほどのショックを感じるのだから、大震災直下の揺れはどうなるものか。高層マンションにお住まいの、特に高齢者は、高層階向けの地震シミュレーションを体験したほうが . . . 本文を読む
少しずつモノが書けるようになってきた。
日常の立ち居振る舞いがもどかしく、前頭葉が働かない、脳幹だけで生きているなぞと書いていたが、端的に書けば一種の「思考停止」に陥っていたのだ。自分の頭で物事を考えられなくなると、他人様の思考や言説に乗っかることで事足りた気持ちになる。他者発のロジックをなぞって、それを己の知的行為だと錯覚するのに等しい。これは人間としては、もっとも頽廃した姿をさらすことでもあ . . . 本文を読む
自分なりの納得できる結論を得たいと思うが、そんなものは他人様は見向きもしないだろう。第一には「しゃっくり」のこと。呼吸をさまたげるヒックヒックの音は、誰もが体験し知っている。
端的に言えば、呼吸する時の重要な筋肉である横隔膜が急激に収縮することで起きる症状。それは、筋肉が痙攣して下向きに動くと、声帯が急に閉じ、肺(胸腔)に空気が入らなくなる。その瞬間に何らかの振動が起きて「ヒック」という音が声帯 . . . 本文を読む
「しゃっくり」について書くつもりだったが、この歳になってつくづくと身に沁みたことがある。
それは、世間というもの、いや実社会でもそうだが、物事の本質とか真理や真実というものは、それほど必要とされていない。本当の事とか、真実は実のところどうでもよろしいのか…。
多くの人びとにとっては、真理らしきものよりも、自分たちが属する社会や経済が円滑に回って欲しい。それこそが切実な願いであり、 . . . 本文を読む
故エリザベス女王の葬儀について、何気なくテレビを見ていたら、チャーチルの国葬が番組で紹介されていた。英国では、王と女王以外には「際立った功績の人物」が国葬の対象なるとのこと。過去には、万有引力を発見したニュートンやネルソン提督が国葬になったという。王室や議会が協議して国葬を決めるというが、その際、生前に当人がOKするか否か、その了承を得るのがしきたりらしく、なんともイギリスらしいと感心した。
さ . . . 本文を読む
アメリカ・イリノイ州生まれの哲学者、アルフォンソ・リンギスの著作『暴力と輝き』(水声社2019)は、日本語訳で読める最新刊。ルーツはリトアニアで、E・レヴィナスの翻訳者としても名高い。この一冊しか読んでいないので、知ったようなことを書く資格はないのは承知している。だが、どうしても書き残しておきたいことがある
屍体は恐怖を抱かせると同時に私たちを惹きつけもする。こうした死の装いが、私たちを . . . 本文を読む
最近、愛読しているメロンぱんちさんのブログに『なんじゃこれ事件簿』という記事があった。動機も理由もなく、個人(老若男女)が衝動的に人を殺めるという事件簿のようなものだ。→http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/52163137.html
「なんじゃこれ」という反応は、殺された人もふくめて人間なら誰もが思う、突発的な行為による殺人。こうした個 . . . 本文を読む
中島岳志は東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授であるが、「リベラル保守」という立場をはじめて公に示した政治・歴史学者、評論家でもある。研究対象は多岐にわたり、著書も多い。当初は北大で研究していたかと思うが、インドのナショナリズム研究からチャンドラボースやガンディー、なかでも東京裁判におけるパール判事の戦争批判、旧日本軍擁護や平和論の考察は、独創的な仕事だといえる。
また、中島の日本の保守思 . . . 本文を読む
故安倍晋三氏の「国葬」が閣議決定された。賛否分断しているようだが、この国ではいったん閣議決定されてしまうと、99.%実行されることになる。国費が充当されるのだから、国会で審議されるべき案件であるが、そういう手続きなしに「国葬」が行われるという前例を作った(それが狙い? 追記:当の安倍元首相が前例を作っていましたわ)。案件がどんなものであれ、政府閣議で全員一致となれば、それが定例、持ち回り、臨時の場 . . . 本文を読む
プリコラージュなる言葉が日本の世間にない概念を提示しているならば、貴方は、それを貴方がどう解釈してあられるか(ママ)、それを読者に開示すべきだ。日本語にない概念ならば、それを貴方なりにどう解釈きているか(ママ)、情報公開せねば不公平だろう。だからスカしていると書いた。その概念、つまり日本語にない事をどう貴殿が理解されているか、それを公表せすに読者に委ねるのは不公平だろう。不特定多数に向けた、公に向 . . . 本文を読む
小生の育ての親というべき母方の伯父は、植村直己が所属した登山部の先輩だったらしい。山が好きで、スキーも好きで、写真撮影が好きだった。カメラにまつわる思い出、触感などがよみがえる。
谷川岳で転落して、そのとき耳が切れた傷痕をみせながら、山をなめたら駄目だぞと、そのときの自慢気な、でも真剣な眼差しは忘れない。
その伯父が、この6月に98歳((当初96歳と記、母が生存したらの年齢)で亡くなった。その . . . 本文を読む
プーチンが二十歳そこそこの若者たちを前に、大学ゼミふうの歴史講義をしている。過日、そんなニュースを目にした。いまウクライナで展開されている「特別軍事作戦」は、ロシアにおける歴史的かつ正統なる国事となる云々の話だったらしい。ウクライナへの侵攻を正当化する、もちろんプロパガンダ用のTV番組だ。ここでもプーチンは、ロシア帝国の始祖ともいうべきピョートル大帝をもちだして、ロシアの歴史を講義したらしい(※別 . . . 本文を読む
22,3年ぶりに上高地を再訪した。といっても、合羽橋を渡ってウェストン碑まで散策しただけだ。
梓川の透き通った水の美しさは変わりなく、新緑は光りを浴びて青みが滴るようだった。晴天だったのだが、奥穂高岳、前穂高岳など穂高連峰の頂上付近はずっと雲に隠れたままで、残念至極。でも、山から下りてくる気持ちのいい冷気は、まさにアルプスの風に違いない。
川のせせらぎを聴きながら遊歩道を歩く。どうしたものか、 . . . 本文を読む
前回のブログ記事では、メロンぱんち氏の「暴力について」の記事をうけて、自分なりの暴力論を展開した。大きく言えば、個人の暴力と国家がもつ暴力は、まったく異質なものだとする考え方である。それを具体的に書く用意はあったのだが、さらに整理する必要性を感じていたのでいったん終了した。その不完全な状態で、メロンぱんち氏とブログ読者のスナフキン氏(※別記)に拙記事についての感想を求めてしまった。意見を求めるなら . . . 本文を読む
「どーか誰にも見つかりませんようにブログ」というブログがある。いま私を刺激し揺さぶってやまない。哲学・思想・歴史から芸能・音楽・事件風俗など硬軟・古今東西をとりまぜた、多彩なジャンルに言及している個人ブログだ(左側の「ブックマーク」にリンクあり)。単発の重厚な記事があれば、シリーズ化したもの、何年にもわたり追求されているテーマの記事もある。
それらが毎日休まず書かれ続けていて、たいへんに胆力のあ . . . 本文を読む