小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

チャーチルの国葬から考えたことの幾つか

2022年09月22日 | エッセイ・コラム

故エリザベス女王の葬儀について、何気なくテレビを見ていたら、チャーチルの国葬が番組で紹介されていた。
英国では、王と女王以外には「際立った功績の人物」が国葬の対象なるとのこと。過去には、万有引力を発見したニュートンやネルソン提督が国葬になったという。王室や議会が協議して国葬を決めるというが、その際、生前に当人がOKするか否か、その了承を得るのがしきたりらしく、なんともイギリスらしいと感心した。

さすがに英国ならではの個人の自由と意志を尊重するお国柄。葬礼のやりかたを本人に対して直截に確認することは凄いことだと思う。どんなに優れた功績をもち、多くの国民に慕われた人物でも、自分の葬式には身内で厳かに弔ってほしいと願う人もいるはずだ。英国はそういう個人意志こそを特別に配慮している。また、それをいちいち法制化しないのも英国流のジェントルであろう。

兎も角、ウィンストン・チャーチルはそのとき、「派手にやってくれ。弔砲もたくさん撃ってくれ。外国の要人たちも招待してくれ」と、国葬されることを自ら歓迎したという。

ここでしばし考えた。「際立った功績」とは、第2次世界大戦を勝利に導いたこと、ヤルタ会談を嚆矢に戦後の平和秩序への尽力、さらに意表を突くようなノーベル文学賞の受賞など、さまざまな功績が評価されての国葬認定であると、私的にはふつうに思っていた。そうした理由が本筋であろうかと思われた。

で、チャーチルという人がどんなことをしてきた人物なのか・・。具体的には何も知らない同然であることに気づく。ご多分にもれずネット検索したが、彼は貴族出身である。また、かなりの軍事経験(31歳にして海軍大臣)をもつことがわかったのだ(無知を晒すようで恥ずかしい)。

▲チャーチル、ローズベルト、スターリーン。有名なヤルタ会談、ここはクリミア半島にある高級リゾート地だ。

▲Vサインは、この手の向きだった。

▲チャーチルの国葬

以上の理由から、功績大と評価されたと思ったが、何よりもチャーチルは優れた軍人であり透徹した戦略家だったことがわかり(イギリスの政治家、陸・海軍軍人、作家。生没年・1874年11月30日 - 1965年1月24日)第1次世界大戦前には既に海軍大臣であり、当時、英海軍は世界最強であることを謳っていた)。

アメリカ、ドイツも追随し、世界の覇権争いに参入してきていたなかにあって、チャーチルはそうした情勢を見定め、イギリス海軍は、愚を抜くような近代化が急務だとした。つまり、エネルギーの主力を石炭から石油に替えるべく、国策転換を図っていくような視座をもっていた、ということにしておきたい。

石炭よりも積載量を含め、高効率に燃焼する石油こそ、内燃エンジンそのものの画期的な動力源であり、地政学および軍事上の質的な大転換をもたらす。このとき1910年代初頭、チャーチルはまだ30代であるが、国内には油田がないことのハンデを痛感していたのだと思う。チャーチルが軍人から政治家をめざしたのは、私見だが軍隊に必須の兵站・動力エネルギーとしての石油資源の国家的覇権の獲得が頭にあったのではと推測できる。

もちろん、チャーチルだけの発案ではないと思われるが、陸海軍の抜本的な近代化をすすめるために、数か所油田が発見されていた中東アラブへの帝国的な植民地化政策を英国は強力に実施した。この時点では、アメリカは自国に油田をもち安泰、ドイツはもっていないがロシアの油田地帯を侵略するだろう、そんな目算も成り立っていた。

イギリスの中東アラブ世界における油田権益確保に関する動きは、まさに国力を最大限に注入するかのように熾烈であったのは、こうした背景があった。チャーチルが軍人から政治家への転身をはかったことは、個人的に調べてみても面白い事実だと思う。

さて、日本は英国と同盟を結んでおり、第1次世界大戦ではいちおう戦勝国の仲間入りを果たした。幸か不幸か、その時に得た満州国の権益にしがみつき、それがもとで欧米から総スカンを喰った。日本軍はなぜか満州にこだわり、民衆もそれを支持したのが実に不可解。日本のエネルギー政策は、依然として石炭をメインにしていたのだが、なぜ石油というエネルギー資源に刮目しなかったのだろうか。

盧溝橋事件以降、日本は満州を生命線として本格的な戦争に突入していくが、その戦略的な意図や背景がいまいち理解できなかったのが正直なところ。4,5年前になるが、戦後GHQのスタッフとして来日したヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』を読んで、日本が孤立化し国際的に追い詰められるようにして、戦争へのに邁進せざるをえなかった理由がわかった。

ちなみにミアーズの分析では、1930年代初頭において「中国の産業資本の四分の三は、低賃金の中国人を利用する英国人が握っていた」し、鉄道等のインフラも主として英国の特殊権益のために敷設された。さらに、中央政府の税務管理を実質的に掌握し、税収のほとんどは対外債務の返済に充てられて、中国人民のためには使われなかった。中国に特権をもつ国はヨーロッパのほとんどの国、メキシコやペルーをふくめ13国だったが、その主要な権益をにぎるのは英国だった。

ここまで書いてきて、どうやら大風呂敷をひろげている自分に気づいた。読者には、貴重な時間をさいていただき申し訳ない。

最後に言いたいことは、政治家の国葬というものが、その業績が国内の業績にととまらず国際的なフィールドに関わる政治的な仕事をふくめて評価されていることが基準だということだ。その意味では、チャーチルは国を挙げての葬儀を実施するにふさわしい政治家であったと言わざるをえない。

 

 

 


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