小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

宗教二世たちの実存と苦悩

2022年07月31日 | エッセイ・コラム

中島岳志は東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授であるが、「リベラル保守」という立場をはじめて公に示した政治・歴史学者、評論家でもある。研究対象は多岐にわたり、著書も多い。当初は北大で研究していたかと思うが、インドのナショナリズム研究からチャンドラボースやガンディー、なかでも東京裁判におけるパール判事の戦争批判、旧日本軍擁護や平和論の考察は、独創的な仕事だといえる。

また、中島の日本の保守思想への深い考察は、故石原慎太郎までカバーし、その客観的かつ平明な論理的思考は広汎な視座に裏打ちされてい、蛸壷からの持論展開を専らとする現代保守論者とは桁が違う。

のっけから中島岳志礼賛みたいで片腹痛いが、新聞の論壇時評に寄せた『山上徹也容疑者の生きづらさ』という短い論考が、小生のぼんくら脳に鉄槌をかましたのだ。そこには、メディアでは言及されない山上容疑者の思考、心理的背景などが考察されていて、新たな犯行動機の一面を浮かび上がらせている。

まず中島は、山上容疑者自身のツイッターアカウントの投稿、約2年9ヵ月分のツイートを読み込んだという。埋もれやすい些末な資料にも目を配る非凡さ、丁寧さが、中島岳志という人の仕事の質量を表わしている。

「生きづらさと鬱屈を抱えた中年男性が、排外主義的でパターナル(父権的)な思想に傾斜する姿が浮かび上がる。その言葉は、対象に対して常に攻撃的で、冷笑的だ。」という。具体的には、「リベラルな主張を展開する論客への辛辣な批判となってあらわれる」から、たぶんにネトウヨ的なツイートを投稿していたのであろう。

ご存じのとおり、山上容疑者の家族は統一教会によって破滅的な状態に陥らされ、その結果として山上容疑者は安倍元首相を暗殺したわけだが、ツイートを読む限りでは、安倍元首相の政治姿勢には一定の共感を持っていたと分析した。中島の見立てには間違いないと、小生もなぜか同感する。

「オレが憎むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知ったことではない」というツイートを、最終的に残した山上容疑者。彼はまた、特にアンチフェミニズムというスタンスで、女性への偏見、あるいは優越感を主張していたらしい(ミソジニーとは違う?)。「インセル」という存在をしきりに意識していたと、中島は指摘している。

「インセル」なるものを初めて知ったのだが、「不本意な禁欲主義者」のことらしく、「自らの容姿を醜いと感じる男性が、女性からの蔑視によって恋愛関係が生まれないと信じている状態」のことだという。山上容疑者は、「インセル」は男として強者なのか弱者なのか、自分でも判然としなかったのではないのか・・?

(※(英語: incel)は、"involuntary celibate"(「不本意の禁欲主義者」、「非自発的独身者」)の2語を組合せた混成語。これも昨今、主流になりつつあるルッキズム精神から派生した概念であろう。このことだけで、弱者・敗者などネガティブに自己規定する精神構造が、私たちの爺世代の理解をこえる。「開き直る」とかオルタナティブの自己発見とかの途を模索しないのだろうか・・。それが現代若者気質なのか・・。若者といっても、山上容疑者は41歳のオッサンじゃないか。

小生は以前、このブログで山上容疑者を「メンヘラ」つまり、家庭崩壊を起因とする心神耗弱や偏執狂的なリベンジ願望がつのり、手製の銃の製造を通して統一教会のボスキャラを射殺する攻撃性を醸成したのだと、自分勝手に解釈していた。しかし、山上容疑者は、余人には計りしえない「生きづらさ」を抱えていたのだと考えなおした。また、これまでの種々のカルト教団の拡大によって、宗教二世なる若者たちが生まれ、カルトが作りだした闇のなかでもがき、人知れず苦悩している実情を知った。これについて、後段に別記として付け加えたい。

 

さて、そんな山上容疑者の21年4月28日のツイートに、中島は格別の注意をむけた。

前日の文春オンラインに公開された、杉田俊介氏の「真の弱者は男性」という論考についてである。「自己の人生に誇りを持つことができず、惨めな思いを抱える男性の救済」を論じたものらしい。但し、そうした弱者男性は異性からはじかれ、女性嫌悪に傾斜し、やがて精神的なマッチョと攻撃性をはらんだイデオロギーに染まる。それが杉田俊介氏の論の要諦である。

そうした弱者としての男性は、「自分の弱さを認めることができない弱さ」を助長し、「有名人になって一発逆転しなきゃと思い」、「ネット右翼的な過激な言葉に群がる」のだと、杉田俊介氏は鋭く分析した。(実は書き手の主体が、杉田氏なのか中島氏なのは俄かには判然としない。いや、愚生の読込み不足かも知らん)

「インセル」なる言葉が気になる山上容疑者が、杉田俊介のこれらの言説にたいして、敏感に反応せざるをえないことはよく分かる。

杉田俊介氏は、弱者である男たちにこう呼びかけた。「自分の(無知・無力)弱さを認め、第三者を恨んだり、攻撃するような衝動を抑えろ」と。中島によれば、山上容疑者は、「だが、オレは拒否する」と、ツイートしたという。そして、以下のように続けた。

誰かを恨まないという姿勢が正しさを帯びるのは、「誰もが悪くない場合」であり、自分にとっては明確な意思(99%悪意とみなしてもよい)をもって私を弱者に追いやり、その上前でふんぞり返る奴がいる。

この一文はたぶん中島岳志が翻案したものだと思う。原文を見ていないので何とも言えないが、これほど端的な言葉で投稿したとは、小生には思われないのだ。

だが、オレは拒否する」の「だが」に注目する中島は、杉田俊介氏の言葉を石上容疑者はいったん受け入れるものの、自ら抱える強い恨みによって「オレは拒否した」ことに注目した。山上容疑者自身が、男性として本質的に弱者であることを認めつつも、その弱者の「上前でふんぞり返る」悪い奴に制裁をくわえるのは、宿命であり天命でもあった、そこまで追い込まれていたと小生は考えるが、ちと考えすぎであろうか。

中島岳志の結文は以下の一分で終わっている。

山上容疑者の深い部分に届いた言葉があった。批評があった。ここに暴力を超える言葉の力を求めたいが、元首相の襲撃が実行されたのも事実である。論壇のもつ可能性と限界を目前にし、茫然と立ち尽くす自分がいる。

この中島の論説が掲載されたのが7月26日の夕刊である。かくいう小生も制御のきかない思考停止に陥ったが、一方では、統一教会と自民党の一部の議員たちのズブズブの関係が日増しにクローズアップされていた。現実的な異議申し立て、理不尽な憤りを募らせていることは、いまでも続いている。

また、安倍元首相の崇拝者ともいえるネトウヨ界隈は不思議なくらいに静観し、日ごろ差別的発言の矛先となる韓国はおろか、統一教会への批判さえも数少ないという。山上容疑者とおなじ「インセル」なるものに同調し、自民党の「金と票」だけが目当ての構造に気づいて、今更ながらアタフタしているのであろうか・・。

最後になるが、顔を合わせたこともない信者同士の合同結婚式で名を馳せた統一教会のもとには、山上容疑者とおなじように親が熱心な信者の二世たちが数多くいると思われる。山上は幼少のときは、父を失い、狂ったように教会に入れあげた母をただ見守るしかできなかったはずだ。やがて兄は自死し、母は自己破産するにおよんで、彼の30年間という実存は、まさに怨嗟と苦悩の蓄積でしかなかったのではないか・・。彼は手製の銃をつくり、試射をし、自らのルサンチマンを爆発させるというカタルシスを思い描いた。

彼ほどにはないにしても、統一教会およびそれを支え、利用してきた政治家、政治団体、さらにそうした構造をひたすら蓋をしてきたマスコミには根の深い怨恨をもつ人々がたくさんいるはずだ。{別記}にも書くが、カルト宗教の信者二世は、もし怨嗟や苦悩を抱えているとしたら、それを解消する手立ては今のところないように思える。

少なくとも、親と同じように妄信的な振舞いはできまい。自我形成期には、親の振舞いを批判的に客観的に見ることができるからだ。そういう時期がなかったとしたら、それはたいへん幸せなことである。

 

{別記}:今年のロシアのウクライナ侵攻の頃だったか、或る漫画が宗教団体の圧力で掲載を止められたというニュースを何かで見かけた。その時は、そういうことがあってもおかしくはないとして、漫然としてパスした。しかし、ある識者からそれは「カルト宗教の二世」を題材としたもので、明示するが「幸福の科学」という宗教組織が、漫画をウェブマガジンに掲載していた集英社に圧力をかけたことがわかった。山上容疑者が、杉田俊介氏の論評に激しく反応し、自分のアカウントに上記のツイートを投稿していた時期と重なっているのは、偶然だろうか。それとも、なにか関連するトピックの炎上沙汰があった結果なのだろうか・・。

小生は、その「事象」を教えてくれた識者に以下のことを返信した。

「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』の連載打ち切りの件は、コロナやウクライナのなかでも、なんとなく記憶に残っていました。日本のメディアにおけるタブーは、たとえば天皇制の裏、新興宗教、部落問題、人種差別などいろいろあります。
とはいえ、マイナーなメディアでは、気骨ある編集者なり出版社が、その表現力を維持したきたわけです。この「宗教二世」の漫画は、大手の集英社ではありますがいわゆるウェブマガジンであり、まあメジャーとはいえない。

作品自体にも該当する団体名を明示しなかったらしいですし、5話まで継続していたという。全話削除されていて、今まったく読めませんが、幸福の本体から抗議がきたら、即連載休止だったという。

私は常々、昨今のメディアのていたらく、腰抜けぶりに激しく怒りを覚えていますが、そこまでの忖度ぶり、世間体への配慮は、なにか世代的な共通認識じゃないかと思っています。宗教二世という存在がまさにそれで、作者も含めて、親や権威、上位権力者への気づかいが半端ない気がします。日本人特有なんでしょうか、周囲の視線を過剰に気にして、自分の意見、感じ方さえも封印している。

その意味でいえば、作者の「きくちまりこ」さんは女性ですし、それを自分の作品として昇華させたのですから、とても立派な方だと思います。どうなんでしょうか、先の狙撃犯山上某もそうですが宗教二世の世代をひっくるめてなんか共通の傾向があるような気がします。

 

以上、縷々書き留めてきたが、最終的な結論をここに残さない。まだ闇に眠っている何かがあるような気がする。故赤木さんの無念は祓え落とせないし、故安倍首相の葬儀を国葬にしたところで、今回の問題がすっきりと収まるとはとても思えない。また、事件を報道している大手メディアのお座なりの対応が、大いに気になるところであり、その方法があまりにも深謀遠慮でシステマティックな感じがしてならない。巨悪には触れず、語らずといった、その本質的な狡猾さがいやーな気持ち悪さであり、それが形をともなう現実感をもって迫ってくる感じなのだ。

 

 

 


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2 コメント

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新用語の難しさ (メロンぱんち)
2022-08-01 22:23:07
【インセル】と【ミソジニー】といった用語は、なんだかモヤモヤとした感覚をおぼえます。野坂昭如の作品評に「ミソジニーが顕われている」という評があったのですが、そのニュアンスが今日的にネット上で使用されている【ミソジニー】のニュアンスとは合致していないように感じています。【インセル】という新しい言葉と併せてですが、実際にはカチリカチリと定義して語る事が難しい感情の何かであろうと感じています。そのように感じているという意識が当の本人にもないのではないか――と考えています。

山上容疑者は自殺未遂をした際に入院もしており、そこでは「スキゾイドパーソナリティ症候群」という診断名が下された事があったと週刊文春の最新号が報じていましたが、これも、少し難しいんですよねぇ。山上容疑者には統合失調的な所があるのかと言われると、そうでもないような印象を受ける。

「復讐をすること」は反社会的と評されてしまうのですが、その人の中では実は成立するのだろうと考えています。物語仕立てにしてしか、我々は自分の人生を認識できないので「復讐はよくない」と言われても「だが、拒否する」と持っていく事は矛盾していない気がしました。

また、この次元の話になると「言論は無力なのではないか?」と思います。言論が無力になるというのは、おそらく言語化できないところに恨みのような強い感情が生じるのだと思うんですね。憑かれたように、復讐することがその者の人生の命題そのものになって固着してしまうのだろうと感じました。
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明治の頃 (小寄道)
2022-08-02 00:36:55
コメントありがとうございます。
山上容疑者については、ここでは言及することを止めます。彼の言動やバックグランドを語ると、分からないことが多く、必然的に長くなるからです。

さて、「復讐をすること」は、江戸時代に遡れば、「仇討ち」や「敵討ち」のように武家社会では公認されていました。
正義か、正義でない、という枠組みではなく、公に認められた「私刑」でしたが、現代の法概念を逸脱していますね。
主君や親を殺されたとしても、殺されたことに抜き差しならぬ理由があるなら、近親者といえども「人殺し」は逡巡するべき事柄ですよ、やはり。
でも、面目とか名誉にプライオリティがあるから、「仇討ち」、「敵討ち」に向かう。

そういえば、目的を果たしならば、後はどうなるんでしたっけ? 鮮やかに記憶に残るような物語があったかどうか・・。
これって、明治初期まで存続してたらしいですが、廃刀令との関係ですかわかりません。

考えてみれば、いつでも敵討ちで殺されるかもしれないという環境は、けっこうな緊張感があったでしょう。
それなりの決断をする人は、明治時代になっても、やはり死を覚悟するくらいの強い気持ちで臨んだと思います。

カタカナ語=外来語はほんとうに取扱注意です。日本語に置き換える、つまり適切な翻訳が出来なければ、原語を提示して定義と意味をきちんと説明する必要があると考えます。
それが面倒くさいからカタカナ語にするんでしょうけど・・。

でも江戸から明治時代にかけて、西欧から来た重要な概念語はほとんど日本語に翻訳しています。
これも、精神的な緊張感が関係しているんでしょうか。
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