◇秋茄子/今日の俳句◇
◇※第1396号※◇
2013年(平成25年)10月31日(木)
☆彡------☆★☆*------☆
■※今日の俳句※■
秋茄子の尻のきゅきゅきゅと陽が昇る
貝森光洋
秋茄子をもぐやどこかでピアノ鳴る
加倉井秋を
朝市の秋茄子の色云々す
能村研三
【季語の解説】
※ 秋茄子→秋茄子(あきなすび)・名残茄子(なごりなす)。
「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあるように、秋茄子には格別の風味がある。秋茄子の特徴は小粒ではあるが実がしまり、皮もうすく、色は紫紺を極める。季節の名残として尊重されている。単に茄子といえば夏のもの。
【「現代俳句歳時記(秋)角川春樹編・角川春樹事務所」より転載】
☆彡------☆★☆*------☆
※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)10月31日(木)より転載】
※わが友に贈る※
身近な家族を大切に。
「ありがとう」と
感謝を言葉で表そう!
一家和楽の実現こそ
学会の永遠の指針だ。
◇※10月31日※◇
☆彡------☆★☆*------☆
◇※名字の言※◇
道すがら、小学校の運動会を見た。アナウンスによると、今から始まる最終種目のリレー競技で赤組、白組の勝敗が決まるらしい。会場は熱気に包まれた
▼
この情景に、小学生時代の思い出がよみがえった。クラス対抗リレーに出場する人選の際、足に軽い障がいのある少年部員が、一部の児童の扇動で選ばれてしまった。“ここで辞めさせるのは簡単だ。でも、その前に……”と思った教師が本人に聞くと、「僕、走ります」
▼
とはいえ、本当は不安だった。「ビリになって、クラスが負けたらどうしよう」と、彼は未来部員会で打ち明けた。それを聞いた別の少年部員がコーチを買って出た。陸上クラブで活躍する、隣のクラスの子だった。一緒に練習したかいあって、彼の記録は少しずつ伸びた
▼
だが当日、アンカーの彼は、あっという間に追い抜かれ、最後尾に。その時である。「待てえ」。なんとコーチ役だった少年部員が早々とゴールテープを切った後、そのまま、もう1周走り続け、追い掛けてきた。笑顔でゴールする2人を、涙の教職員が歓声と喝采で迎えた
▼
1位になること以上に大切な勝利がある。少年たちは勝った。「人生に勝つ」とは何か――そう考えるとき、決まって、あの日のことを思い出す。
(城)
☆彡------☆★☆*------☆
◆浩ko・ 編集後記◆
今日も有難う御座います。 和井弘希です。
ぺンキ屋が書いても秋てふ字は淋し
加倉井秋を
昭和37年、私は「櫻」という俳句雑誌を、島根県飯石郡頓原町(現飯南町)から出版しました。その時、(題字『櫻』と『近影・五句』)を送って励まして下さったのが頂いたのが、加倉井秋を先生でした。
私の義姉が沢木欣一先生が主幹の「風」会員でしたので、私も一緒に「風」に投句しておりました。 秋を先生は、「風」の同人でもありましたので、先生のの句が好きだった私は、先生にお手紙を差し上げたのではないかと思います。「櫻」も2号で終わりましたし、その「櫻」も先生から頂いた原稿もありません。今考えると、惜しい宝物を紛失したものです。
加倉井秋を先生は、本名を昭夫といい日本を代表する建築家です。昭和45年には武蔵大学の教授に迎えられています。
俳句は、富安風生に学び、昭和16年には、風生主宰の「若葉」編集長となります。戦後も、絶えず俳壇中央で活躍され、昭和34年には「冬草」を主宰されました。
丁度、秋を先生が「冬草」を主宰された、2~3年後に、私が無理難題のお願いをしたことになります。考えてみると当時、物心両面にわたり先生はご多忙の時です。
そんな折、田舎の高校生のために「無料」で「題字」と「近詠」を送って下さった、先生の人柄が忍ばれ、素晴らしい指導者と思います。
先生は、昭和63年6月2日死去されます。78歳でした。句集に「風祝(かざはふり)」「胡桃(くるみ)」など残されていますが、一度、お会いしてお礼を申したかったです。
☆彡------☆★☆*------☆
、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます