和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(四十五)新・人間革命

2011年10月25日 08時50分51秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福 光(四十五)

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 文京支部日本橋地区は、福島で着実に弘教の輪を広げ、一九五八年(昭和三十三年)の十月には、浜通りに新しく二地区を誕生させた。磐城地区と勿来地区である。


 磐城地区の地区部長には菅田歌枝の夫である留太郎が、地区担当員(現在の地区婦人部長)には歌枝が就いた。また、勿来地区の地区部長には鈴村アイの夫の裕孝が、地区担当員にはアイが就任したのである。


 一人立って、弘教に弘教を重ねて、組をつくり、班をつくり、地区をつくる――それが草創期の戦いであった。


 広宣流布の戦いを起こしたがゆえに、何度となく、辛い思い、悲しい思い、悔しい思いもした。幾度も、人知れず涙を流した。


 しかし、そのたびに、宿命の鉄鎖を一つ一つ断ち切っているという、確かな手応えを感じていた。そして、いかなる苦難や試練にも負けない勇気と、歓喜が、全身にほとばしるのを実感するのであった。


 同志たちは、皆、病苦や経済苦、家庭不和などの悩みを抱えていた。しかし、地涌の菩薩の使命に目覚め、広宣流布の大道を歩み始めると、心を翻弄し続けてきたその悩みが、取るに足りない、指先の小さな“ささくれ”のように感じられるのだ。


 同志の胸中を占めている大きな悩みといえば、“あの友人を、なんとしても救いたい”“わが地域の広宣流布を進めたい”ということであった。まさに、それは、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みであった。その境涯は、既に、悲哀に泣く宿命の谷間からの、飛翔を意味していた。


 依正は不二である。主体である衆生の心身(正報)と環境(依報)は、密接不可分の関係にある。ゆえに、自身の境涯が変革されれば、現実の状況も変わらぬわけがない。


 事実、広宣流布に喜々として走る同志たちは、競うようにして功徳の花々を咲かせ、人間革命、宿命転換の実証を打ち立てていった。そして、その歓喜と確信が、さらに大きな弘教の力となっていったのである。


【「聖教新聞・2011/10/25」より転載】
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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