和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(三十五)新・人間革命

2011年10月13日 06時57分31秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪

    福 光(三十五)

∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪


 島寺丈人は、感極まった顔で話を続けた。


 「山本室長が、磐城に来られるということは、炭鉱で働く同志のことを、心配してくださっているからです。“常磐の炭鉱でも、夕張と同じような不当な圧迫があるなら、私が許さない”との決意で、室長は来てくださるんです。皆さん、この山本室長の心が、わかりますか!


 室長を迎えるのは、三、四日後になると思いますが、それまでに“一班一〇闘争”の緒戦を大勝利で飾り、『広宣流布は、福島に任せてください』と言える戦いをしましょう。そして、最後まで、この闘争を大勝利して、“福島は盤石です”という意気を示し、山本室長に安心していただきましょう!


 私は、なるべく、この福島県で共に活動できるように、仕事もやりくりしてきました。仕事がある場合には、夜行で東京に帰り、また、夜行でこちらに来ます。一世一代の大闘争をするつもりでおります。


 皆さん、自分の人生を開く、大闘争の歴史を創ろうではありませんか!」


 炭鉱で働く、ヤマの男たちをはじめ、全参加者から、「オーッ!」という元気な声が、はね返ってきた。


 島寺は、一本気な男であった。その彼の気迫に触れて、皆が心を燃え上がらせたのだ。


 日蓮大聖人は、「大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(御書一二一九頁)と仰せになっている。戦いの勝敗を決する大きな要因は、指導者の一念、行動にある。断じて勝つという、燃え盛るリーダーの闘魂が全軍に波及し、皆を勇猛果敢な闘士にしていくのだ。


 福島県浜通りの文京支部の同志たちは、翌日から、伸一の訪問を楽しみにして、喜び勇んで、弘教に飛び出して行った。


 しかし、七月二日の夜、田岡支部長から島寺に電話が入った。緊張をはらんだ田岡の声が、受話器から響いた。


 「島寺さん。山本室長から『磐城には行かれなくなった』との連絡がありました」


 「室長に、何かあったんですか!」


∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪


(聖教新聞・2011/10/13)より転載」
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


∞…♪…★…κ…∞…♪…★…κ


人気ブログランキングへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿