和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将58/小説「新 ・人間革命」

2013年04月22日 09時33分31秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)4月22日(月)より転載】

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勇将58(4/22)

 有田幸二郎・信子夫妻は、まさに二人三脚で、広宣流布の険路を突き進んでいった。

 何時間も、電車やバスに揺られ、同志の指導、激励に行くことも珍しくなかった。奈良県南部の十津川や、下北山にも足を運んだ。

 帰途、山道が土砂で閉ざされ、バスが運行できなくなったために、夜を徹して、歩いて山を越えたこともある。

 夫妻は、当初、“宿命転換のために、信心に励もう!”と、必死に頑張った。やがて、教学を学ぶなかで、広宣流布に生きる使命を自覚し、喜びと誇りを感じていった。

 “私たちは、地涌の菩薩なんだ! 日蓮大聖人との、久遠の誓いを果たすために、私たちは今、この時に、この地に生まれてきたのだ! わが手で、断じて奈良の広宣流布をするのだ!”

 そう思うと、力が湧いた。

 山本伸一が第三代会長に就任した翌年の一九六一年(昭和三十六年)三月には、奈良支部が誕生し、有田夫妻は、支部長、支部婦人部長に任命された。

 東京・台東体育館の壇上で、有田幸二郎は、山本会長から支部旗を受けた。

 「しっかり頼みます!」

 「はい!」

 その時の支部旗の、ずっしりと重い感触がいつまでも両腕に残った。

 それは、奈良の広宣流布を担い、全支部員を幸せにする責任の重さのように、彼には思えた。

 「奈良広布に私たちの人生を懸けよう!」

 有田夫妻は、心の底から誓い合った。怒濤のごとく、弘教の大波は広がった。

 御聖訓には「此の法門を申すには必ず魔出来すべし」(御書一〇八七頁)と。支部発足から二カ月後、有田の家の塀に、彼らを罵倒する言葉が、白いペンキで大書された。

 「有田よ恥を知れ」――学会を憎む何者かによる、卑劣な仕打ちであった。

 “これが広宣流布の道だ! 学会が正義であることの証明だ。負けるものか!”

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 「和井弘希の文芸政談」に掲載した俳句集
 http://u-736632kazui.hatenadiary.com/


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