和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(五十七)新・人間革命

2011年11月08日 08時33分14秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福 光(五十七)

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 三月十三日は、山本伸一の福島県滞在の最終日であり、夜には栃木県に移動することになっていた。

 彼は、午後五時過ぎから、「3・16広宣流布記念の日」の意義を込めて開催された、福島県青年部の記念集会に出席した。

 〝未来を担う青年が集って来るのだ。励まさないわけにはいかない!〟と、伸一は、自ら、この集会に参加することを告げたのだ。

 彼は、マイクに向かうと、「福島創価学会に、これだけの優秀で立派な男女青年部がいることに、深い感動を覚えるとともに、未来は盤石だと、心から安心しております」と語り、「3・16」の意義に言及していった。

 「『広宣流布記念の日』の淵源となった昭和三十三年(一九五八年)三月十六日の儀式というと、時の総理大臣が来る予定であったことが、語り継がれておりますが、それは、決して本質的な問題ではなかった。

 戸田先生は、そんなことよりも、次の時代の一切を青年に託すという、いわば付嘱の儀式を行おうとされたんです。

 広宣流布というのは、一万メートル競走のように、ゴールがあって、そこにたどり着いたら、それで終わるというものではない。
 むしろ、〝流れ〟それ自体であり、常に、いつの時代も青年が先駆となり、原動力となって、さらに〝新しい流れ〟をつくり続けていく戦いなんです。

 戸田先生と師匠の牧口先生とは、二十九歳の年の開きがあった。軍部政府の弾圧によって、共に投獄されたお二人は、逮捕された年の九月、警視庁の二階ですれ違った。

 戸田先生は『先生、お丈夫で!』と声をかけるのが精いっぱいであり、牧口先生は、頷くことしかできない。それが、最後の別れとなった。

 しかし、この瞬間が、師から弟子への、広宣流布のバトンタッチでもあった。

 牧口先生は獄中で亡くなられたが、戸田先生は、生きて獄門を出られた。そして、広宣流布の大発展の流れをつくられたんです」


【「聖教新聞・平成23年11月8日(火)」より転載】
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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