和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

法旗(三十三)小説「新 ・人間革命」

2013年01月12日 11時35分01秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)1月12日(土)より転載】


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法旗33(1/12)
 万人に仏性があると確信する不軽菩薩は、迫害を覚悟のうえで二十四文字の法華経を説いた。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。
所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経五五七ページ)と、礼拝・讃歎して歩いたのである。


 しかし、それに対して、衆生は、不軽を杖や木で打ち、石や瓦を投げつけたのだ。


 彼の生き方が示すものは、相手の地位や立場に関係なく、等しく皆に、最大の敬意を表して法を説くということである。


 これが、広宣流布をめざす幹部の、そして、全学会員の姿勢でなければならない。


 不軽菩薩がどんなに激しい迫害を加えられても、但行礼拝し続けることができたのは、万人が仏の生命を具え、自身もその修行によって成仏するとの、仏法への揺るがぬ確信があったからだ。
人びとを断じて成仏させねばならぬという使命に燃え、生命の因果の理法を強く確信していたのだ。


 成仏できるかどうかも、幸・不幸も、そのカギは、自己自身にある。
そう自覚していくのが仏法である。


 ゆえに、日蓮大聖人は、「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書三八三ページ)と仰せである。
己心を貫く生命の大法に従って生きるのが仏法者といえよう。


 人びとに賞讃されれば頑張り、非難中傷されれば仏法を捨ててしまうなど、周囲の状況によって一喜一憂するのは、己心の外に法を求める生き方といえよう。


 幹部は、会員一人ひとりに誠実と誠意をもって接し、讃え、励ましていかなければならない。
また、幹部が会員への配慮に欠けていたり、不注意な言動があった場合は、当然、最高幹部がきちんと指導するなど、学会の組織として的確な対応が必要である。


 しかし、一人ひとりが銘記すべきは、どのような幹部がいて、失望、落胆することがあったとしても、自分の信心が一歩でも後退するならば、それは、魔に翻弄され、敗れた姿にほかならないということである。



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