和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

広宣譜57/小説「新・人間革命」

2015年01月28日 20時40分19秒 | 今日の俳句
「聖教新聞」 2015年(平成27年) 1月28日(水)より転載


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【広宣譜57】


 松木会館では、この日の夜、住吉支部の座談会が行われることになっていた。仏間は、その準備のために来ていた人や、山本伸一の来訪を聞きつけて集って来た人たちで埋まっていった。なかには、琴を持っている人もいた。座談会で演奏するのであろう。

 伸一は、仏間に入ると、琴を見て言った。

 「私がピアノを弾きます。合奏しましょう」

 「さくら」などの調べが流れた。さわやかな涼風のような励ましとなった。

 伸一は、この七月二十一日の夕刻、島根県の代表との懇談会をもった。県の活動の模様や参加者の近況報告に耳を傾けながら、島根広布の未来展望を語り合った。

 関西を訪問する前から、彼の体調は芳しくなかった。発熱し、首が腫れ、激しい疲労感に苛まれた。医師にも来てもらっていた。

 しかし、“今こそ、鳥取、島根の同志と、強く、固く、心を結び合い、どんなに嵐が吹き荒れようが、微動だにしない、難攻不落の創価城を築き上げるのだ!”と決意していた。

 人を強くするものは、自らが心に定めた信義である。戸田城聖が、敗戦間近の焼け野原に一人立って、広宣流布の大誓願に生きたのはなぜか――もちろん、その底流にあるのは、戸田が獄中での唱題の末に会得した“われ地涌の菩薩なり”との大確信であったことはいうまでもない。

 そのうえで、彼が地涌の使命に生きる力となったものは、軍部政府の弾圧によって殉教した、師である牧口常三郎の遺志を受け継ごうとする、弟子の信義にほかならない。

 伸一もまた、戸田の精神を継承し、師の広宣流布の構想を断じて実現しようとの信義が、精進の力となり、日々の発心の源泉となってきた。己心に師をいだき、師との誓いを果たそうとするなかに、信念の“芯”がつくられるといってよい。

 伸一は、それゆえに、一人ひとりと会い、共に広宣流布に生きる地涌の菩薩として、不二の同志として、心を通わせ合い、信義と信義の絆を結ぼうと必死であったのである。



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