和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

広宣譜47/小説「新・人間革命」

2015年01月16日 14時48分24秒 | 今日の俳句
「聖教新聞」 2015年(平成27年) 1月16日(金)より転載


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【広宣譜47】


 山本伸一は、作詞した「九州の歌」に、「火の国の歌」という題名をつけた。

 すぐに、この歌詞に九州の友が曲をつけて、七月二十四日に熊本市体育館で行われた熊本支部結成二十周年を記念する県総会で披露されることになる。

 古来、「火の国」と呼ばれてきた熊本から、九州方面歌「火の国の歌」は、九州全土に新たな歓喜の波動を広げていったのである。

 七月十九日、伸一は、岡山文化会館で、九州代表との協議会を終えると、「中国の歌」の推敲に入った。

 午後十時前、歌詞が出来上がった。

 この歌は、二十二日に鳥取県の米子文化会館で開催される本部幹部会で、発表する予定であった。作曲も急がなくてはならない。

 伸一は、中国方面の幹部に伝えた。

 「まだ、細かい部分は手直しをしますが、これで作曲を始めてください」

 彼は、さらにそれから、「中部の歌」の作詞を始めた。この指導行では中部も訪問することになっており、中部長から、「その折に、『中部の歌』を発表していただければ……」との要請があったのである。

 翌二十日午後、伸一は、岡山を発ち、鳥取県の米子に向かった。

 これまで、本州の日本海沿岸部で、本部幹部会が行われたことはなかったが、伸一は、あえて、鳥取での開催を提案したのである。それは、「広布第二章」とは、これまでに、あまり光が当たらなかった新しい地域が、広宣流布の表舞台に登場する時代であると考えていたからだ。

 また、鳥取でも、宗門による迫害の嵐が吹き荒れるなか、同志は、「御書に仰せの通りだ!」との確信に燃えて活動に励んでいた。

 「陰で黙々と頑張り続けている人、苦しんできた人のところへ、真っ先に足を運ぶ!」――それが伸一の信念であった。

 最も大変な思いをしている人たちのなかに飛び込み、力の限り励ます。そこに仏法者の生き方があり、学会の発展の原動力もある。



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