和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心20/小説「新・人間革命」

2015年05月22日 06時19分32秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月22日(金)より転載】

【革心2

 孫平化は、一九一七年(大正六年)に中国東北部の奉天省(後の遼寧省)に生まれている。その十五年後、日本は、この中国東北部に傀儡国家「満州国」を建国するのである。

 日本の高校にあたる「高級中学」を優秀な成績で卒業した彼は、進学はせずに、「満州国」経済部税務局の関税部に勤めた。彼には、早く収入を得て、母に恩返しをしたいとの強い思いがあった。

 しかし、職場で実験を握っているのは日本人である。また、大学を出ていない彼の役人としての地位は低く、将来に希望を見いだすことはできなかった。暗澹たる思いをいだいていた時、友人に日本への留学を勧められた。“だめか”と思った留学生の試験に合格し、日本に渡ったのは、三九年(昭和十四年)、二十一歳の時であった。             

 東京工業大学付属予備部に学び、さらに、同大学の応用科学科に進んだ。

 時代は、太平洋戦争に突入していった。四三年(同十八年)夏、彼は、四年半にわたる留学生活の末に帰国し、そのまま大学を辞めてしまった。

 中国共産党に入党し、「満州国」のハルビンで銀行員をしながら、地下活動を続けた。やがて戦争が終わると、中国では共産党と国民党との争いが激しさを増した。多くの人民は共産党を支持し、四九年(同二十四年)十月、中華人民共和国の成立を迎えるのである。

 日本留学の経験を持つ孫平化には、「対日接待」の仕事が与えられた。これが、彼が中日友好に従事するようになるきっかけとなったのである。

 彼は、後年、中日友好協会の会長を努めるが、自身の実感を、こう綴っている。

 「私がいつも思うのは、中日友好でも、日中友好でも一番重要なことは、人間と人間の関係だということだ。お互いに心と心で付き合う友情が大事だと考えている」(注)

 これが、新中国誕生以来、中国と日本の友好に人生を捧げてきた人の信念の言である。心なき友好には、果実は実らない。

                                       


■ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 孫平化著『中国と日本に橋を架けた男』日本経済新聞社


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