和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(二十四)新・人間革命

2011年09月29日 06時34分27秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福  光(二十四)

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 鯉の放流式に引き続いて、福島文化会館の開館を記念して、各部の木などの植樹が行われた。山本伸一は、ケヤキの木を植樹した。ケヤキは、福島県の県木である。


 彼は、県長らから請われ、この木を「広布ケヤキ」と命名した。


 その間にも、男子部の代表などと、次々に記念のカメラに納まった。


 このあと、郡山市内を視察した。彼方には、白雪を頂いた安達太良山が腕を広げるようにそびえていた。車中、彼は、東北総合長で副会長の青田進に尋ねた。


 “福島文化会館まで、車を持っていない人たちは、どういう方法で来るのか”“文化会館の駐車場には、車は何台入るのか”“近隣には、誰が、いつ、あいさつに行ったのか”等々、質問は、矢継ぎ早に発せられた。


 伸一は、会員を守り、近隣の理解を得ながら、無事故で円滑な会館運営をしていくために、どうしても、さまざまな観点から、確認をしておかずにはいられなかったのである。


 「想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てよ」とは、第二代会長・戸田城聖の指導である。


 伸一は、福島文化会館ができるまで、福島の中心会場となってきた、郡山会館の前も通ってもらった。そして、同行の幹部に、この会館に着任する牙城会などの役員に対して、伝言と激励の品を託した。


 皆の目は、新たに完成した福島文化会館に向けられている。しかし、記念行事の準備などは、この会館を使って行われてきたにちがいない。いわば、陰の力の拠点となっている会館である。伸一は、““その会館を黙々と守っている方々を大切にし、少しでも励ましの手を差し伸べたい”と思ったのである。


 リーダーが、光の当たるところしか見ず、陰の人にスポットライトを当てようとしなければ、要領主義がまかり通るようになってしまう。人材を見つけだすには、表面より側面や裏面を、水面よりも水底を凝視する眼を開かねばならない。


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(聖教新聞・2011/9/29)より転載」
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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