小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)2月14日(木)より転載】
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勇将2(2/14)
治承四年(一一八〇年)、源頼政は後白河法皇の皇子・以仁王の令旨を得て平氏討伐の兵を挙げた。
頼政は果敢に戦うが、宇治平等院の戦いに敗れ、自害する。
しかし、命を懸けた彼の決起によって、伊豆国(静岡県東部)に流されていた源頼朝、頼朝の従弟で信濃国(長野県)木曾にいた源義仲などが、次々と挙兵する。
平氏の横暴に対して、武士をはじめ、人びとの不満はつのり、討伐の機は熟していたのだ。
しかし、源氏の蜂起には、発火点が必要であった。
その役割を果たしたのが頼政であった。
一人の勇気ある決断が、時代転換の導火線に火をつけ、歴史の流れを変えたのだ。
翌治承五年(八一年)に平氏の総帥・平清盛が病死する。
義仲は、平氏を破り、京の都を手中に収めると、傍若無人の限りを尽くす。
やがて征夷大将軍となるが、頼朝の命を受けた義経らによって討たれてしまう。
源氏には、後白河法皇から平氏追討の院宣が下り、義経は平氏が陣を構える摂津国福原(神戸市兵庫区内)を攻める。
そして、寿永三年(一一八四年)の二月、摂津の一ノ谷の合戦で、「鵯越の逆落とし」といわれる奇襲で平氏を破ったのである。
西国に逃れ、讃岐国(香川県)の屋島に本拠地を置いた平氏は、瀬戸内海を押さえ、大軍をもって海の防備を固めていた。
海上での戦いとなれば、義経に勝算はない。
そこで彼は、まず四国に渡って、陸路、屋島に迫り、背後から平氏を討とうと考えたのだ。
勝利への執念は、あらゆる知恵を生み出す。
執念あるところ、知恵の泉は枯れ果てることはない。
暴風が吹き荒れる夜半であった。
海は猛り、激浪は白い牙をむいていた。
しかし、追い風である。義経は、直ちに、用意した船で四国に渡ろうと決断する。
「敵は用心を怠る。この好機を逃すな!」
強風に尻込みする者たちを叱りつけ、わずか五艘の船で荒波に向かった。
若き闘将の勇敢な行動が、武士たちの勇気を鼓舞した。
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頼政は果敢に戦うが、宇治平等院の戦いに敗れ、自害する。
しかし、命を懸けた彼の決起によって、伊豆国(静岡県東部)に流されていた源頼朝、頼朝の従弟で信濃国(長野県)木曾にいた源義仲などが、次々と挙兵する。
平氏の横暴に対して、武士をはじめ、人びとの不満はつのり、討伐の機は熟していたのだ。
しかし、源氏の蜂起には、発火点が必要であった。
その役割を果たしたのが頼政であった。
一人の勇気ある決断が、時代転換の導火線に火をつけ、歴史の流れを変えたのだ。
翌治承五年(八一年)に平氏の総帥・平清盛が病死する。
義仲は、平氏を破り、京の都を手中に収めると、傍若無人の限りを尽くす。
やがて征夷大将軍となるが、頼朝の命を受けた義経らによって討たれてしまう。
源氏には、後白河法皇から平氏追討の院宣が下り、義経は平氏が陣を構える摂津国福原(神戸市兵庫区内)を攻める。
そして、寿永三年(一一八四年)の二月、摂津の一ノ谷の合戦で、「鵯越の逆落とし」といわれる奇襲で平氏を破ったのである。
西国に逃れ、讃岐国(香川県)の屋島に本拠地を置いた平氏は、瀬戸内海を押さえ、大軍をもって海の防備を固めていた。
海上での戦いとなれば、義経に勝算はない。
そこで彼は、まず四国に渡って、陸路、屋島に迫り、背後から平氏を討とうと考えたのだ。
勝利への執念は、あらゆる知恵を生み出す。
執念あるところ、知恵の泉は枯れ果てることはない。
暴風が吹き荒れる夜半であった。
海は猛り、激浪は白い牙をむいていた。
しかし、追い風である。義経は、直ちに、用意した船で四国に渡ろうと決断する。
「敵は用心を怠る。この好機を逃すな!」
強風に尻込みする者たちを叱りつけ、わずか五艘の船で荒波に向かった。
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