和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心14/小説「新・人間革命」

2015年05月15日 05時51分13秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月15日(金)より転載】

【革心14】


 辛亥革命により、一九一二年(明治四十五年)一月、南京に、孫文を臨時大統領とする中華民国政府が誕生した。

 清朝を代表して、この革命政府との講和にあたった内閣総理大臣の袁世凱(えんせいがい)は、清の宣統帝溥儀を退位させ、孫文に代わって、自分が中華民国の臨時大統領となった。ここに清朝は滅びたのである。

 袁世凱は、孫文らの弾圧に乗り出す。正式に大統領に就任した彼は、独裁化の一途をたどり、帝政を復活させ、自ら皇帝となることを目論む。孫文が描いた革命の理想とは、正反対の事態を招いていくのだ。

 文豪ビクトル・ユゴーは叫ぶ。

 「私利私欲から発した動きと、主義主張から生まれた動きとをはっきり区別して、前者と戦い、後者を助ける、これこそ偉大な革命家たちの天分であり、道義なのである(注)。

 人間のもつ利己心の克服、つまり、人間革命あってこそ、真実の革命の成就である。

 一五年(大正四年)、日本は、権益拡大のために第一次世界大戦に乗じて、山東省におけるドイツの権益の継承や南満州権益期限の延長など、二十一カ条の要求を中国に突き付けた。多少の修正はあったものの、袁世凱は、これを受諾、中国人の対日感情は悪化した。

 孫文は日本にいて、強い憤りの日々を送っていた。梅屋庄吉に取り持ってもらい、宋慶齢と結婚したのも、この日本滞在中である。

 翌年四月、彼は、政府打倒を決意し、東京を発つが、六月に袁世凱は病死する。

 一七年(同六年)、孫文は、広州で広東軍政府を樹立。しかし、政府内に生じた路線対立によって窮地に立たされ、またしても、日本に亡命する。

 一七年にロシアではロシア革命が起こり、ロマノフ王朝が倒れ、ソ連邦が成立した。世界史上、初の社会主義国家が誕生したのだ。

 一九年(同八年)一月、第一次大戦後のパリ講和会議によって、日本の二十一カ条要求がほぼ認められ、山東省の権益もドイツから日本が受け継ぐことになったのである。

■ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「九十三年」(『ヴィクトル・ユゴー文学館 第6巻』所収 辻昶訳、潮出版社
※ 主な参考文献
 鈴江言一著『孫文伝』岩波書店
 藤井昇三著『孫文の研究』勁草書房
 『世界の名著64 孫文 毛沢東』小野川秀美・責任編集 中央公論社




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


最新の画像もっと見る

コメントを投稿