和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

共 戦(四十九)新・人間革命

2012年01月12日 11時09分36秒 | 今日の俳句
  新・人間革命

【「聖教新聞」平成24年1月12日(木)より転載】
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共戦49(1/12)
 山本伸一は、女将の大山ツネに尋ねた。

 「子どもさんは、お一人ですか」

 「はい。一人息子です。夫がおりませんもので、私が一人で育ててきました」

 「ご苦労されたんですね。そのご苦労が報われ、努力した人が、必ず、幸せになれる道を教えているのが仏法なんです。

 仏法は、幸福への航路を示す人生の羅針盤といえます。運命に翻弄されて、道に迷っていては損です。女将さんも、一緒に信心に励んで、幸せになりましょうよ」

 女将は、「はい!」と言って頷いた。女性従業員も一緒に信心することになった。

 大山ツネは、かつて、満州(現在の中国東北部)で、建築技師の夫と、幸せな家庭生活を送っていた。一九三四年(昭和九年)には息子の寿郎も生まれ、未来は希望にあふれていた。 しかし、その翌年、突然、夫が「馬賊」と呼ばれていた略奪を繰り返す集団に拉致され、戻って来ることはなかった。

 やむなく、三六年(同十一年)に息子と二人で彼女の故郷の山口県に引き揚げ、母子で暮らした。身を粉にして働きに働いて、小料理屋を開き、苦労してためた金で旅館を買い取った。その喜びも束の間、旅館は、空襲で灰燼に帰してしまった。 戦後、苦闘の末に、旅館を再興し、女手一つで子どもを育てた。大学にも進ませ、いよいよ卒業という時になって、その息子の就職が決まらないのである。

 彼女は、息子の就職もさることながら、苦労を重ねて、幸福をつかみかけると、決まって、砂が崩れるように消えてしまう、自身の運命に強い不安を感じていた。人には、動じぬ素振りを見せてきたが、内心は、人生の変転に怯えていたのだ。それだけに、「幸せになりましょうよ」という伸一の言葉が、心に突き刺さったのである。

 人は皆、幸せになる権利をもっている。幸せになるために生まれてきたのだ。そして、それを実現するための信心なのだ。


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今朝の一句」季語(号)集
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