◇鳥雲に入る/今日の俳句◇
◇※第1235号※◇
2013年(平成25年)3月27日(水)
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※今日の記念日※
3月27日。
■ さくらの日。
日本さくらの会が1992年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開(さくらはじめてひらく)」が重なる時期であることから。
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
■ 赤彦忌
歌人・島木赤彦[しまぎあかひこ]の、1876年(明治9)~1926(大正15)年の忌日。
明治大正時代の歌人。本名久保田俊彦,旧姓塚原。別号に山百合,柿の村人,柿蔭山房主人など。長野県諏訪郡上諏訪村(諏訪市)に塚原浅茅・さいの4男として生まれる。長野尋常師範学校卒業。
早くから文学に親しみ,小学校で教鞭をとるかたわら,新体詩や短歌を投稿するようになる。
明治36(1903)年には岩本木外らと『比牟呂』を創刊,37年には伊藤左千夫門に入った。
38年に太田水穂と合著で刊行した詩歌集『山上湖上』には彼の新体詩が収められている。
41年『アララギ』が創刊されると『比牟呂』をこれに合併,以来赤彦は左千夫門下の有力歌人として活躍することとなる。
大正2(1913)年,中村憲吉と共著の処女歌集『馬鈴薯の花』を出版,その後島木赤彦という筆名を使う。翌年上京,私立淑徳高女の講師をしながら『アララギ』の編集を担当,短歌に専念した。
第2歌集『切火』(1915)のころには主情的な作品が多い。その後は『アララギ』の発行に全力を注ぎ,同人の実質的な指導者となっていく。そのなかで『アララギ』の写実的歌風は確立された。
教育者であった赤彦の言説には教祖的な説得力があり,そのことが『アララギ』勢力を強化拡大すると同時に,反赤彦的な気分を育てることにもなったのだろう。
「写生道」を唱え,歌作における「鍛錬道」を説いた彼は,『氷魚』(1920),『太虚集』(1924),『柿蔭集』(1926)で質実な写生と寂寥感を詠じている。<著作>『赤彦全集』全10巻
(平石典子)
【「朝日日本歴史人物事典」より転載】
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■※今日の俳句※■
鳥雲に入る鳥帰るいづこの窓も真顔見え
今井聖
鳥雲に忘れしことの限りなく
甲田鐘一路
鳥雲に娘はトルストイなど読めり
山口青邨
【季語・解説】
鳥雲に入る・鳥雲に。
春、北方に帰る雁・カモ・ハクチョウ・ツルなどの大きい鳥が一群ずつとなって雲間はるかに見えなくなることを季語として固定させたもの。
短く、「鳥雲に」と略すこともある。これは「鳥帰る」などと比較して情景が具体的であり、はるかに見送る情感がある。
しかしツグミなどの小鳥は大集団で来るが、帰北の際はぽつぽつと目立たず去ってゆくので、雲に入るといった光景は見られない。
むしろ季節を象徴する季語として多く使われている。『和漢朗詠集』の「花ハ落チテ風ニ随ヒ鳥ハ雲ニ入ル」以来、古巣に帰る鳥として古くから詠まれてきた。
→鳥雲・雲に入る鳥・雲に鳥。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】
■※ 今井 聖(いまい せい) ※■
本名:今井邦博(くにひろ)、1950年10月12日 - )は、俳人、脚本家。
新潟県生まれ、鳥取県育ち。米子市立第四中学校、鳥取県立米子東高等学校、明治学院大学経済学部・文学部卒業。
元横浜高校教諭
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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)3月27日(水)より転載】
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※わが友に贈る※
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「時間革命」に挑戦!
会合や打ち合わせは
要点を整理し
賢明に時間厳守で。
深き祈りで価値創造を!
◇※3月27日※◇
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◇※寸 鉄※◇
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会長(SGI)の人生は今日一日に最善を尽くす事を教えるー学長(フィリピン)。さあ挑戦の一歩
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恩師「一万人と対話するぐらいの気迫を持て!」。堂々と語れ。青年ならば
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目的なき人間は舵のない船のようなものだー作家(カーライル)。広布に生きる我らは強し
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励ましはサーチライトの如く。陰の人、悩む友を忘るな。そこに幹部(リーダー)の力
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節電意識が低下の傾向ー調査。地球守る自覚を!子どもたちの未来の為に
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