和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将61/小説「新 ・人間革命」

2013年04月25日 12時00分15秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)4月25日(木)より転載】

http://www.seikyoonline.jp/index.html

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勇将61(4/25)

 丸沢邦代は生き生きとした表情で語った。

 「私は、山紫水明のこの山里が大好きです。わが地域に功徳の花が爛漫と咲き薫るよう、はつらつと単車に乗って駆け巡っています」

 山本伸一は、拍手を送りながら言った。

 「交通事故を起こさないようにね」

 彼女は、チラリと伸一に視線を向け、元気な声で、「はい!」と応え、言葉をついだ。

 「私は、十年前に入会し、その直後から、『聖教新聞』の配達も続けております。現在は、三十軒ほどのお宅に配らせていただいておりますが、雪が凍りつく冬の朝は、単車にも、自転車にも乗れません。凍った道を徒歩で配ると、二時間以上もかかります。

 しかし、こうして同志のため、地域の友のために、“広布のお手紙”を運べることが、私の最高の誇りです。一歩一歩の歩みが、すべて福運となり、無量の生命の財産になっていると、強く確信しております」

 「すごいね。ありがとう!」

 すぐに、伸一の声が響いた。

 彼女はにこやかに一礼し、話を続けた。

 「榛原には、草創期の支部婦人部長として活躍された、私が心から尊敬する木谷節さんという先輩がおられます。みんなから、“宇陀のかあちゃん”と呼ばれて慕われている方です。

 その木谷さんが、さりげなくおっしゃった言葉に、胸を打たれました。

 『私は、組織のなかで、支部員の皆さんに何かあったら、何をさておいても、その人のところへ飛んで行って、一緒に悩み、唱題して、すべて信心で解決してきたんですよ。
そうすることで、その人も成長し、結果的に支部も強くなりました。ともかく、無我夢中で一人ひとりを守り、戦ってきたんです』

 この話を聞いて、“これが学会の強さであり、草創の精神だ”と思いました。

 私も及ばずながら、この精神で、粘り強く励ましを続け、皆に慕われ、頼りにされる、太陽のように明るく、朗らかな、支部婦人部長になりたいと決意しております」


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 「和井弘希の文芸政談」に掲載した俳句集
 http://u-736632kazui.hatenadiary.com/


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