和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

人材城(二十八)小説「新 ・人間革命」

2012年05月12日 11時42分04秒 | 今日の俳句
    小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)5月12日(土)より転載】
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人材城28(5/12)

 原谷兄弟の父親は、熱海で、中風で寝たきりになっていた。再婚した義母が、旅館で働きながら、面倒をみてくれていた。

 長男の永太が、「借金は、兄弟で全額返済した」と言っても、父親は信用しなかった。彼らは、やむなく、返済した領収書を持って、再度、熱海を訪れなければならなかった。

 家族で話し合い、父を熊本に連れて帰り、病院に入院させた。病状は、次第に回復に向かい、やがて退院した。そして、父親も、信心に励むようになったのである。

 長い、長い、試練の坂であった。しかし、原谷兄弟は、見事に、“人生の田原坂”を越え、勝利したのだ。

 熊本県出身の作家・徳冨蘆花は、冬の最中には「どこに春がこもっているとも見えぬ。しかし春は来る。必ず来る」(注=2面)と詠った。

 懇談会で、山本伸一は、原谷永太の報告を聞くと、こう語った。

 「そうか。よく頑張ったね。身近な実証、身近な信頼を積み重ねていくなかに、広宣流布の大願の成就があるんです。

 兄弟で仲良く、力を合わせて、地域広布推進の模範の存在になっていってください」

 そして、色紙に句を認めて贈った。

 「火の国の 大兄弟の 馬上行」

 伸一は、さらに、懇談会に出席したメンバーの自己紹介に耳を傾けた。

 人吉本部の婦人部幹部が、家庭の状況を報告すると、県長の柳節夫が口を開いた。

 「『五木の子守唄』で有名な五木も人吉本部のなかにあります。五年前の昭和四十七年(一九七二年)六月五日に五木のことが聖教新聞で紹介された折、先生から激励の伝言をいただきました。五木のメンバーは、それを心の支えにして、現在も頑張っております」

 伸一の顔がほころんだ。

 「嬉しいね。どんなに真心を込めて激励しても、その場限りで終わってしまえば、意味はありません。私の励ましを生かしてくださっている。そこに価値創造があります」

■引用文献
 注 徳冨健次郎(蘆花)著『思出の記 下』岩波書店


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