和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(五十九)新・人間革命

2011年11月10日 08時18分44秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福 光(五十九)

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 山本伸一の声に、一段と力がこもった。

 「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。

 苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力――それが信仰です。それが、地涌の菩薩です。真の学会員です。

 どうか、皆さんは、大試練の時こそ、“われらは、創価の後継者なり”“われらは、新時代の山本伸一なり”との自覚で、さっそうと立ち上がってください。その希望あふれる姿が、広宣流布の力となります。

 これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は盤石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」

 会場は、雷鳴を思わせる青年たちの決意の大拍手に揺れた。

 伸一は、さらに、皆のために、ピアノを弾いた。曲は、楠木正成と正行の父子の別れと誓いをうたった、あの“大楠公”であった。

 “君たちの闘魂で、英知で、力で、二十一世紀の広宣流布の突破口を開くんだよ!“彼は、こう語りかける思いで、三曲、四曲とピアノを弾き続けた。“福光の種子は植えられた”との、手応えをかみしめながらの、喜びの演奏であった。

 伸一が、栃木県・那須にある関東総合研修所(現在の栃木研修道場)に向かうため、福島文化会館を発ったのは、午後七時五十分であった。

 車窓から見る空は、漆黒に包まれていた。しかし、彼の胸には、群雲を破り、燦然たる黄金の光が降り注ぐ、巍々堂々たる会津富士(磐梯山)が広がっていた。それは、福島の、そして、東北の、青年たちの英姿と、二重写しになっていった。

 “福島を頼むよ! 東北を頼むよ!”
 伸一は、心で叫んでいた。


【「聖教新聞・2011/11/10(木)」より転載】
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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