和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年08月18日 20時14分03秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月18日(火)より転載】

【勝利島24】

 佐田太一を診察した医師は、家族に、手の施しようがないので退院するように勧めた。しかも、「このまま、寝たきりになってしまうこともあります」と言うのだ。
 佐田は、自分に言い聞かせた。
 〝俺が倒れたら、誰が、天売の広宣流布をやるんだ! 必ず全快してみせる! これからが、本当の勝負だ!〟
 家に戻った彼は、首を固定するための装具を着けて、じっと寝ていなければならなかった。全身にしびれがある。呼吸をすることさえ、辛く感じられた。
 多くの人たちは、“これで佐田も終わりだ”と思ったようだ。彼の耳にも、そんな話が聞こえてきた。祈った。必死に唱題した。
 “島の広布のために生き抜きたい”という執念が佐田の生命を支えた。二年がたち、三年がたった。どうにか歩けるまでに体は回復した。広宣流布の使命に生きる人は、地涌の菩薩である。ゆえに、その人の全身に大生命力が満ちあふれるのだ。
 もう家に、じっとしてはいられなかった。皆のために自分が「聖教新聞」を配ると言いだした。首にコルセットをはめたまま、よたよたと歩き、家々を回った。さらに、折伏を開始していった。
 コルセット姿の佐田を見て、「まるで宇宙人だ」と噂し合う人もいた。
 彼は、笑い飛ばしながら、こう言った。
 「私は、一命を取り留めた。これが、既に功徳なんだ。でも、これからますます元気になるから、今の姿をよく見ておきなさい」
 佐田は、試練に遭うたびに、ますます闘魂を燃え上がらせていったのである。
 そして、自ら宣言した通り、医師もさじを投げた怪我を、完全に克服したのだ。
 この事故から、六年後の一九六八年(昭和四十三年)のことであった。ある日、岩海苔を採るために、舟を出し、崖の下に着けた。岩に上がって作業を始めた。
 その時、突然、崖の上から落下してきた、こぶし大の石が、彼の頭を直撃した。
                                            

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