和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

広宣譜44/小説「新・人間革命」

2015年01月13日 17時08分31秒 | 今日の俳句
「聖教新聞」 2015年(平成27年) 1月13日(火)より転載


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【広宣譜44】

 吉原力は、こう自分に言い聞かせた。

 “仕事が終わったら、そのまま学会活動に出かけよう。会合のない日は、仏法対話か個人指導に回るんだ”

 当時は、タテ線の時代であり、部員は、都内から東京近県にかけて点在していた。就職したとはいえ、給料は決して高くはない。生活費を切り詰め、電車賃を捻出し、一軒一軒、部員の家を訪ねた。

 吉原が山本伸一に初めて個人指導を受けたのは、入会二年後の、一九五九年(昭和三十四年)十二月のことである。彼は男子部の班長になっていた。しかし、信心が惰性に流され、学会活動に身が入らず、仕事も不調続きであった。そんな状態から脱却したいと学会本部を訪れ、伸一と会ったのである。

 そのころ、伸一は、学会でただ一人の総務として理事長を支え、実質的には全学会の指揮を執り、同志の激励に奔走していた。“そんな山本総務に、時間を取らせては申し訳ない”と思いながらも、こう尋ねた。

 「信心が空転している時は、どうすればいいでしょうか」

 伸一は、確信を込めて言った。

 「題目です。題目を唱える以外にないよ。

 祈った人が勝つ――これが仏法です。

 困ったことがあったら、また、私のところへいらっしゃい」

 簡潔な指導であったが、吉原は、温かさを覚え、勇気が湧くのを強く感じた。彼は、この指導を無にすまいと思った。

 日蓮大聖人は、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(御書九九七ページ)と仰せである。

 南無妙法蓮華経と題目を唱え抜いていくならば、わが身に「元品の法性」が厳然と光り輝き、すべてに打ち勝つ自身の境涯が確立される。そして、自分も人びとも幸福へと導く、梵天・帝釈の働きが具現されるのである。

 唱題に励む人は強い。「いま、われわれは凡夫です。凡夫であるけれども、ひとたび題目の功力をうければ仏の姿になります」(注)とは、恩師・戸田城聖の魂の叫びである。


語句の解説
◎元品の法性/根本の悟りのこと。元品とは、根本、元初の意。法性とは、諸法にそなわる真実不変の本性で、悟りの本体のこと。元品の無明(根本の迷い)に対する語。
引用文献
注 「方便について」(『戸田城聖全集2』所収)聖教新聞社



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